松の湯 (中②)


「くっくっくっ。これで竜は我の所有物だ」


 竜――番頭を『傀儡』にかけること自体は造作もなかった。


 最も危険なのは宿り主を乗り換えるタイミング。

 自身が無防備にさらされる。

 だが教皇を解放した途端、彼女の方から駆け寄ってきた為、移動する必要もなく、乗り移ることができた。


「やはり優れた宿り主を使役するのは良いな」


 戦闘も無論あっさりと片がついた。

 竜の肉体は素晴らしい。老魔術師やドワーフや傭兵たちが油断していたのもあるが、素手だけで圧倒することができた。


 余りにもたわいなかった為、周囲にある壁や設備を破壊して、腕試しをした程だ。


 問題が起きたのは、彼らに留めを刺す段階。


「どういうわけだ……くっ……殺せんぞ!?」


 ドワーフに手をかけようよする直前ーー。

 腕が動かなくなる。

 まるで鎖に拘束されたようにどれだけ力を振り絞っても、その先に及べない。


 恐るべきは竜の執念。

 彼女の魂が、「殺害」という行為を拒絶しているのだ。


「止むを得まい」


 竜/蚤の王は諦めることにした。

 無理強いをして『傀儡』が解ける可能性もありえた。


 代わりに『眷属召喚の呪文』で眷属たちを使役して、ドワーフ共を疫病にかける。

 数時間も放っておけば死ぬだろう。


 竜の魂は徐々に飼いならしていけばいい。

 時間をかければ『傀儡』の魔力が浸透し、完全に抵抗できなくなるに違いない。


「わ……か……だんな……?」


 だが予想外の出来事がまたしても起きた。

 竜が自らの意思で、絞り出すように声を発したのだ。


 本来なら、『傀儡』は絶対。

 一度、支配下におかれた宿り主は、名前通り、意志を持たない操り人形と化す。

 魂は深い眠りについたまま、どのような行為をさせようと抵抗しないはず。


 彼女の禁忌に触れるような行為に及んでいないのに、何故、ここまで使役コントロールできなくなるのか。


「原因はあの人間か……?」


 番頭/蚤の王は目の前の人物を凝視した。

 あの男が現れた途端、竜の意識が反応示したのだ。


「番頭さんもしや、何かに乗っ取られちまってる……?」


 近づいてくるこの若旦那とやらには見覚えがある。


 確か、入り口で眷属たちに襲わせたはず。

 今頃は黒死病にかかり、重篤でなっていなければおかしいのだが、どう見ても熱に浮かされている素振りがない。


「逃げ……て……」

「いやあ困ったな。番頭さんを『出禁』にゃあできねえし」


 蚤の王は、不可解に思っていた。


 あの男、何だ。

『審美眼』で隅から隅まで眺めても引っ掛かりはない。

 極めて凡庸な人間だ。

 特別身体能力が秀でているわけでもなく、魔力は欠片もーすら持たず、ましてや病気に対して特別な免疫が備わっている様でもない。


「だがそんなはずはない」


 マツノーユにいた他の者らが、皆何らかの手練れだった。


 何よりも彼の健康状態がそうではないことを物語っている。

 疫病にかかっている様子がまるでない。

 つまり彼は、何らかの術を用いて、人喰い蚤の大群を退け、黒死病すら防いだ。

 看破できないだけで、何らか能力を隠している証左だ。


「つまりは油断はできない。この若旦那とやら……最大限の警戒が必要」




 蚤の王は勘繰り過ぎていた。

 僅かな思惑の違いから、疑心暗鬼になり、若旦那の存在を警戒し過ぎていたのだ。


 故に、彼は誤った決断を下す。

 それは即ち――。




「……なあ若旦那とやら」

「おおうっ急に喋り方が変わったな。乗っ取ってるやつか?」

「ひとつ勝負をしようではないか」


 蚤の王はそんな提案を持ちかけた。

 疫病が効かない相手で、この手で直接殺すこともできない状況であれば、戦う術がない。


「何でもいい。わしを負かすことができればこの竜の身体は開け渡そう」


 そう告げると、若旦那は腕組みをして考え込む。

 こちらの言葉の裏を読もうとしているようだ。返事に時間がかかるように思われたが、すぐに口を開いてくる。


「ほう。よく分かんねえけど、あんたが勝った時の条件もあるんだろ?」

「そうだ。貴様が負けたらこの竜を救う事を『諦めた』と宣言しろ」


 これは魂の問題だ。

 竜――番頭を完全な『傀儡』するには、魂を屈服させる必要がある。

 それにはほんの少しでいい、彼女に負の感情を抱かせたい。


「成る程、どんな方法でもいいのかい?」

「構わんさ」


 例えばそれは失望。

 日頃、信頼を寄せている相手に期待を裏切られた瞬間に沸く、灰色の感情。


 それが起きた瞬間から、この竜はようやくただの『傀儡』に成り果てるに違いない。


 そうなれば殺しも厭わなくなる。

 この手を直接、下して容易く片が付くに違いない。


「よし、じゃあサウナで勝負だ」


 若旦那が威勢良く宣言する。

 無論、どんなものであろうと、負ける気はない。


 ただサウナとは一体何なのか。


 またどこからともなく「は?」と呆れ声も聞こえた。それが竜の発したものだと気付いたのは暫く経っての事である。



「さあ適当に座っておくれよ」


 男――若旦那が連れてきたのは小部屋だ。

 見たところ罠はなさそうだ。


 ただ竜の五感を通して、喉がひりつく感覚を覚える。

 空気が暑く、乾いているのだ。


 原因は、中央にある柵。

 鉄筒が備え付けられており、中には幾つもの石が詰め込まれ赤々と熱せられている。


「若旦那とやら今一度、サウナというもののルールを確認したい」


 竜/蚤の王は尋ねた。


「この暑さのなかで、どちらがより長居できるかを競う。それで異論はないか?」


 若旦那が「簡単だろ?」とニヤリと笑みを浮かべる。

 何か勝算があるのだろうか。

 それでなければ自信のある振る舞いはできない。


「貴様はどれだけここに留まれる。十日間か? 十月か? よもや十年という事はあるまいな?」

「旦那、冗談きついぜ」


 若旦那が苦笑い浮かべる。

 果たしてそれは謙遜か弱音か。


 何れにせよ、こちらの勝利は確定している。

 何故ならこの身体は竜だ。

 溶岩を泳ぎ、永久凍土で眠ると謳われる種族だ。

 何が起ころうとも、この程度の環境で根をあげるわけがない。


 ここで若旦那を屈服させ、竜の心を必ず折り、彼女を我が軍門に下らせる。

 そうなれば大陸は蚤と疫病のユートピアになるに違いない。


「くっくっくっ……勝負あったな若旦那とやら」


 竜/蚤の王はほくそ笑んだ。


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※本作品は、「小説家になろう」で先行公開しております。

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