第七夜:06【ハートブレイク】

第七夜:06【ハートブレイク】


 自分が歴史上何の意味も無い存在だ、何も成せない人間だとヴァイオレットから言われた時は、それは腹を立てもしたものだ。

 だが今ではこの試験を勝ち抜いて未来に行くことこそが、特別な自分に巡り合わせた運命なのだと、【ハートブレイク】……河内樹里亜は確信していた。


(そうよ! 私は未来に行って、スターになるの!)


 アイドル歌手グループのオーディションに落ちたのも、芸能プロダクションの選考に落ちたのも、読者モデルの反響が薄いのも、SNSが炎上したのも、この時代では私の素晴らしさを、スター性を、可愛らしさを、美しさを理解できないから! 活かしきれないから! 認められないから!

 だからこの出会いは、この誘いは、運命だったの! スペシャルな私に用意された、スペシャルな運命!


 試験開始前からヴァイオレットの甘言を受け続けていた樹里亜は、一週間かけてそう思い込むまでに至っていた。


 自分を認めない現代を捨てて未来へ行くという報酬は、魅力的に感じられたし……何となくヴァイオレット個人とウマが合ったのもある。加えてヴァイオレットらが立てていた勝利への算段、それも気に入った。

 強化された能力、改竄されたスペック、仕組まれた対戦カード。樹里亜が負ける要素は何処にもない。まさに選ばれた彼女に約束された、スターダムへの直通エスカレーター。


(こんなラッキーに巡り合うなんて、私はやっぱりスペシャルなんだわ!)


 おかげで樹里亜は、初日から喜々として相手を狩ることができたのだ。

 元々倫理や道徳という観念からは、縁遠い性格である。人を殺めることに対する嫌悪感は、樹里亜にはまるでない。


(ダサいモブどもは、スペシャルな私の踏み台になって当然なのよ)


 こうして彼女はヴァイオレットと連携し、ここまで勝ち残ってきたのだった。



 血を撒き散らしつつ逃げた【スカー】の方角を呆然と見つめていた樹里亜であったが……しばらくして落ち着き、事態を飲み込んだのだろう。髪を指で弄びながら、くすりと笑った。


「馬鹿ね~、あのおチビさん。私の【ハートブレイク】に、隙なんかないのよ」


 やはりこの鉄壁の防御を、しかも【能力無し】で突破することなど不可能なのだ。


「何をやったって無駄なのに。ダサい子ね~」


 ……勿論【ハートブレイク】でも、防げないものはある。


『ビームやレーザー、電撃、あと火には気をつけなさい』


 ヴァイオレットはそう話していた。その手の攻撃はこのバリアーでは防げないからだ、と。ではそんな能力者に当たったらどうするのか? と樹里亜が尋ねると。


『そういうのは当たらないように、私たちで対戦カードを調整しておくから大丈夫。そして、そいつらには相性の悪い相手を優先的に組んでおいて、ジュリと当たるまで勝ち残らないようにしておくから。安心して』


 担当監督者は、自信たっぷりに答えてくれたのだ。そしてその通りに事は進んでおり、今まで樹里亜がそういう類の能力者と対戦したことはない。


 そして今回の対戦相手に至っては、なんと能力すら持たぬ女。

 聞けば、樹里亜と四日目に八百長対戦で会った【ハウンドマスター】……海堂ナントカという男子高校生……を倒したそうだが、蓋を開けてみればやはり【ハートブレイク】の敵ではなかった。


(あんなのに負けるなんて……【ハウンドマスター】ってよっぽど無能だったのね。カワイソ)


 美形だが好みではなかった男子高校生の姿を思い出し、樹里亜は目を細める。自身の先程の油断と慢心は、棚上げもいいところだ。


(さ、そろそろ歩くのも疲れてきたし~。私もちょっと真面目にやろうかな? 【ナビゲーション】!)


 口には出さず、そう念じる。直後、聞こえてくる機械じみた声。


『斜め左前方、約百二十メートルです』


 彼女の頭の中にだけ響く音声で、【スカー】の位置が案内された。視覚情報が何もないのが不便ではあるが、試験システムの抜け穴をついて盛り込むにはこれが限界だったらしい。


(まあ、スマートフォン地図アプリの音声案内みたいなもんね)


 しかしそう考えてしまえば、馴染みある機能ともいえる。後はその案内に従い、歩くだけ。現にその手順だけで、彼女は今まで四人もの対戦者を倒していた。


(あっちかぁ~)


 向きを変え、ナビされた方角を見やる樹里亜。面倒臭げに息を吐き、ゆっくり歩き出す。


 そう、彼女は走らない。第一回戦の時からずっと、走っていない。

 走れば汗をかくし、メイクも崩れる。折角のヘアースタイルだって、乱れてしまう。それは美しくない、それでは駄目なのだ。

 未来の視聴者を喜ばせるためにも、映像映えは極力意識しておかねばならない。【スカー】のように、涙や鼻水を垂れ流しながら血塗れで逃げるなど、論外である。だから優雅に華麗に余裕を持って……樹里亜は敵を追い詰め仕留めてきた。

「ハグしよ?」も、視聴者受けを考えた上での決め台詞だ。


(だから今回も、私は急がない)


 髪を掻き上げ、笑みを作り、背筋を伸ばし。

 のんびりと、それでいて見栄え良くするために。

 ペースを乱さず、樹里亜は進んでいくのであった。



『目標近くに到着しました』


 幾つかの塀とフェンス、建屋を直進し……道路を渡ってようやく辿り着いたのは、運送業らしき会社の区画だ。


 その敷地の中央に、【スカー】が力なく座り込んでいる。顔色の悪さが、傍目にも分かった。しかし無理もないことだろう。彼女は右手を半ば失っており、流した血も結構な量になるはずであった。


「は~い、【スカー】ちゃん? 私とハグしましょ~」


 右手をひらひらとさせながら、【スカー】に向かって呼びかける樹里亜。

 強く、可愛く、美しい対戦者としての演技。映像映えは、決して疎かにしない。

 一方【スカー】はその笑顔を目にし、


「ひぃ!」


 と悲鳴を上げ、右手を押さえたまま、ふらふらと立ち上がり後ずさる。


「どこ行くっていうの~? もう諦めなさいよ~」

「い、いや、助けて……!」


 命乞いをする【スカー】。恐怖のあまりだろうか。スカートの内側からは水気が滴っており、ぽたぽたと垂れた液体が地面に染みを作っていた。


「あらやだ、お漏らししちゃったんでちゅか【スカー】ちゃん~? ちゃんと替えのパンツは持って来まちたの~?」


 嘲笑う樹里亜。

【スカー】は小さく叫び、ふらつきつつも必死になって彼女から距離をとろうとする。その姿は樹里亜を、さらに愉快な気分にさせた。


 駆けはしない。のんびり歩いて後を追う。

 獲物の体力と精神はもう限界に近付いているのだろう。

 その逃げ足は遅く、樹里亜の歩みと大差ない様子であった。


「いやぁぁぁああ!」


 悲痛な叫びを上げる【スカー】が、駐車車両の方向へと逃げる。

 そこは大型トラックが並べて駐められたスペース。可能な限りの台数を収容するためだろう、トラックとトラックの間は、人一人がようやく通れる程度の隙間しか空いていない。


「助けてえぇぇ!」


 泣き叫んで左右の車体へ身体をぶつけつつ、その間を懸命に進む【スカー】。

 だがそれは、むしろ逃げ場を失う愚行であった。奥には高い塀。トラックはかなりそれに寄せるよう、バックで駐車されている。加えてトラックの背と塀の間には、用済みの大型タイヤが立てかけてあるのが樹里亜の位置からも確認でき、その隙間を通り抜け左右へ逃げることは叶わないだろう。

 つまりは、袋小路だ。


「あっ」


 トラックとトラックの間を奥へ逃げていた【スカー】が、足をもつれさせ転ぶ。


(終わりね)


 樹里亜が【スカー】と同じ空間へ侵入する。後は歩いて近付いて、そして殺すだけ。


(いつもと同じ。私の踏み台になるだけの、モブ)


 しかしその足が、運転席の横あたりに差し掛かった瞬間だ。

 転んでいた【スカー】が思わぬ俊敏さで立ち上がり、樹里亜のほうを向いたのである。その顔を見た彼女の背筋を走る、冷たい感覚。


【スカー】は笑っていたのだ。

 今までの人生で樹里亜が見たこともない、禍々しい笑み。猛獣に牙を剥かれたような恐怖感が樹里亜の全身を硬直させ、精神を凍りつかせた。そしてその笑みに気を取られた彼女は、気が付かなかったのである。


 ……【スカー】が立ち上がるのと同時に、銀色の何かを投擲していたことに。

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