第二日:07【御堂小夜子】
第二日:07【御堂小夜子】
(頭が痛い。吐き気がする)
長々とキョウカの理屈を聞かされた小夜子であったが……彼女の心身は今、頭を押さえつけ揺すられるような嫌悪感に襲われていた。
(だめだ。本当に、だめだ)
文化が違うとか、価値観が違う話ではない。
これは圧倒的強者と弱者、支配者と被支配者。研究者と実験動物。その関係からくる選別と、ささやかな報酬に過ぎないのだ。
要は実験マウスのうち、成績のいい一匹だけを気まぐれに指さし、
「他は全部処分するがお前は殺さないでおいてやる。ありがたく思え」
そう告げる。
それだけのこと。それだけのことを、同じ人間に対してやるというのだ。
そしてそれだけのことをやってのける、圧倒的な力と立場の差があるという証拠でもあった。
強烈な恐怖と不快感のあまり、全身を掻きむしりたい欲求にかられる小夜子。
『……まあただ、君は能力がよりにもよって大外れだったからなぁ』
少女の戦慄も知らず、キョウカが首を掻きながらぼやく。
『流石に勝ち抜くのは、無理なんだよね……』
嘆息。
「人の死刑宣告を、その程度で片付けないで欲しいんだけど」
『でも【グラスホッパー】みたいな能力を持った連中と毎晩戦うんだぞ? 君はどうやって勝つつもりなのさ、あんなラッキーパンチは二度も起きないよ。優秀な僕も、流石にアドバイスのしようがなくて困ってるんだ』
「別に戦う必要なんか、ないし」
小夜子の言葉に対し、首を傾げるキョウカ。漫画なら頭上には、「?マーク」が浮かびそうな仕草である。いや実際、キョウカの頭上には「?マーク」が浮かんでいた。
(この姿はアバターだとか言ってたものね……)
妖精の姿が何らかの未来技術で投影された映像に過ぎないのだから、ハンガーを投げつけた時に身体を素通りしたのも道理である。
(部屋の何処かに、映す機械を隠しているのかしら? それとも知らないうちに私の脳に細工でもしたのかしら……って、脳に細工?)
想像した途端に頭の芯が痛む錯覚が小夜子を襲うが、そんな彼女の苦痛など知らないキョウカは『オゥ』と感嘆の声を上げ、指を鳴らしていた。
『そうかなるほど! 君はできるだけ隠れたり逃げたりして引き分けに持ち込んで、生き延びる日数を稼ぐのか! 生存日数が長くなるだけでも、僕の成績に加点されるものね! 考えたね、偉いよサヨコ! ありがとう!』
何故無条件に、小夜子がキョウカの成績のため尽くすという前提で話を進めているのか。理解に苦しむものの、その辺はとりあえず無視しておくことにした。一々言い返していては、それこそ話が進まない。
息をついてから、小夜子は会話を再開させる。
「そうじゃないわ。私はこれから対戦する相手全員と話をして、引き分けで終わらせるように協力していくの。誰だって好き好んで人殺しなんか、するわけないじゃない。しかもアンタたちの都合で、無理やり戦わされるわけだし。相手がどんな人かは分からないけど、落ち着いて話せば絶対に分かってくれると思うの。全員で八百長すれば、誰も死なないで済むんだから」
『んー、無理なんじゃないかなあ』
小夜子の作戦を聞いたキョウカの反応は、冷ややかなものだった。
「まさか引き分けは、両方共死ぬってわけ!? 昨晩のアナウンスみたいな声は、引き分け数まで言っていたけど」
『いやいや。時間切れの引き分けは、特にペナルティは無い。昨晩の対戦結果表を見たら、かなりの割合で引き分けに終わっている対戦があったしね。まあ初陣で萎縮していた子も多いだろうし、君の言うように双方話し合って無気力対戦に持ち込んだケースもあったかもしれない』
「やっぱりそうでしょ! 普通はそうなのよ。アンタらとしては目論見が外れるでしょうけどね」
希望が感じられてきたのか、小夜子の声に力が入り始める。
『まあそれはそれとして構わないんだ。テレビ局は元々、そういうのをドラマ性として求めているんだからね。そして僕ら大学側にとって、そもそもこれは試験でもあり実験なんだ。そういった君たちの反応や対応は、実際に人間を指導、誘導する際の事例として教材に使えるわけだからね』
腕を組み、うんうんと一人頷くキョウカ。
「そ、そうなの? ……で、結局私らがみんな話し合いで八百長しちゃったらさ。『そうそう人殺しなんかさせられないんだ』って理解して、未来に帰ることになるんじゃない?」
『そうはならない』
「何でよ」
『君は昨晩、【グラスホッパー】に殺されかけたのを覚えていないのかい?』
「あれはその……話し合いが足りなかったのよ! いきなりだったし!? 説得しようにもあんたが何も説明しなかったから、私は何も分からなかったの! む、向こうだってきっと混乱していたのよ!」
思い返してみれば【グラスホッパー】も、平静ではなかったように感じられた。
『開始直前に与えられたたったの五分間で、ただの女子高生だった【グラスホッパー】をその気にさせたテイラー……うん、そう。監督者の名前だよ。僕と同じ授業を受けているメンバーだ……彼の説得術は大したものだな。試験が終わったら、話を聞いてみたいものだ』
「とにかく昨晩はいきなり過ぎたの! ちゃんと話せば何とかなるわ!」
語気を強める小夜子。
だがその顔へ向けキョウカは、すっ、と両手を突き出す。
左手は指を全部広げた平手。右手は親指だけを畳んだ平手だ。
『九人』
「えっ?」
『全被験体五十人中、昨日、対戦相手に【勝った】奴は九人いる。君を含めてだけどね。これがどういうことか分かるかい、サヨコ』
「それは……」
『やる気になって相手を倒した奴が、八人はいるってことさ』
「う……」
『説得するのはいいさ。八百長に持ち込むのもアリだろう。そりゃあ、全員が無気力対戦をするようであれば、君も死なずに済むかもしれない。対戦ではね』
だが、と一言置き。キョウカは先程突き出した手の指を見ながら、さらに続けていく。
『八人はもう話に乗っているんだ。これを説得するのは、かなり困難だと思うよ』
「そ、それでも馬鹿みたいな殺し合いを続けるより、マシだと思うかもしれないじゃない? だって、戦えば自分が死ぬ可能性だってあるんでしょ!?」
『んー、初めの晩に皆がその考えに至って説得していたら、できたかもね。でもそんなことは不可能だったし、そしてもう、これからも不可能だ。特にサヨコ、君にはもう無理だね』
「何でよ」
『分からないのかい? 何故かって、そりゃあ』
キョウカがそこまで口にしたところで、
ぴぴぴぴぴぴ!
と鳴り響く電子音。
一瞬スマートフォンでも鳴ったのかと思った小夜子だが……すぐに、自身の設定した着信音ではないことに気付く。
『ああもう! 時間になっちゃったじゃないか! 一日一時間しか面談時間は無いのに! 君がロクでもない質問ばかりするからだぞ! このお馬鹿!』
妖精姿で地団駄を踏んでいる。
どうやら、キョウカが何かしらのタイマーを設定していたようだ。
『いいかい、時間がないから手短に言うよ。今夜午前二時から第二回戦が行われる。君はとにかく逃げるか隠れるかして、制限時間終了まで凌ぐんだ! 運が良かったらまた』
正確には『ま』のあたりでキョウカの姿は光の粒子を撒き散らし、消えた。
同時に「ぴぴぴ」という電子音も途切れ、部屋の中は瞬時に静寂で包まれる。
「え……?」
部屋の中を動くものは、何も無い。
先程まであの羽虫が地団駄を踏んでいた床を小夜子が見つめるが、やはり何も無い。静かだ。
ブロロロロ……。
エンジンの音が聞こえて、遠ざかる。
近くの道路を路線バスが通ったのだろう。
そしてすぐ、また静かになった。
数十秒ほど呆気にとられていた小夜子であったが……やがてゆっくり立ち上がり、先程嘔吐したゴミ箱までのそのそと近付いて持ち抱え、そして一階へと向かう。
「……片付けなきゃ」
ふらふらと辿り着いたトイレで、臭気に顔をしかめながら嘔吐物を捨てる。
洗面所で水を入れてすすぎ、またトイレへ廃棄。これを二回ほど繰り返し、ゴミ箱を概ね綺麗にしてから部屋へと戻す。
「結局、何なのかしら」
一人になった途端、先程までのことは自身の妄想なり精神的な問題なりが引き起こした幻覚ではないか、という当初の不安が蘇ってくる。
やがて現実的な感覚に引き戻された小夜子の認識内でそれは確信となり……やはり父親が出張から帰ってきたら、何処かのメンタルクリニックに通院させてもらうよう相談すべきなのか、という問題が思考の大半を占めるようになった。
その後はそのままぼんやりと、スマートフォンを手に時間を潰す。
ネットを巡回しても興味も刺激されず頭にも入ってこないが、とにかく指と目を動かして気分を紛らわせたかったのだ。
いつも楽しみに機会を窺う、SNSでの恵梨香とやり取りもまるでする気が起きなかった。
その後夕飯にはあさがおマートで買った弁当を食べ、風呂に入り、早めに就寝することに。
時計は二十一時過ぎ。やや早いが、構わず寝てしまう事にする。
起きるのは朝六時三十分。アラームはセットした。
(目が覚めたら、えりちゃんと学校だわ)
学校から帰ったら、明日も早めに寝よう。
父が出張から帰るのは、三日後だか四日後だっただろうか?
それまでに相談するべきかどうかを決めねば。
まぁひょっとしたら、明日からはこんな幻覚はもう出てこないかもしれない。
(うん、きっとそう)
だからとにかく、早く休んで心身を落ち着けよう。
(そう、だから……)
と、考えながら。
小夜子は沈み込むように、眠りへ飲み込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます