第一夜:05【御堂小夜子】
第一夜:05【御堂小夜子】
恐る恐る身体を起こし運転席のドアを開け、ミキサー車から降りる小夜子。
今や聞こえるのは、自分が小石混じりの砂を踏む音だけであり……あたりはしん、と静まり返っている。
「大丈夫……よね」
ゆっくりプラントの方向へ歩いていくと、探していた「モノ」はすぐに見つかった。
「……【グラスホッパー】」
コンクリートのたたきの上に、横たわる彼女。
暗い。明かりは月のみで、光量はまったく足りていない。だが闇に慣れた小夜子の目は、【グラスホッパー】の姿を十分に見て取ったのだ。
彼女は動かない。いや、動けないのがよく理解できた。
おそらく最初に、コンクリートへ衝突した部分なのだろう。左腕は、関節が一つ増えたかのように変形している。何か白っぽいものが、腕から突き出しているのも見えた。
そして片手だけで、落下の衝撃を吸収しきれるはずもない。首も、普通ではありえない方向を向いているではないか。
頭部の状態に至っては、小夜子はもう直視することすらできなかった。
「へこんで、膨らんでる……うっ」
こみ上げる胃液に抗えず、崩れるよう膝をつき、吐く。
そして涙目で嘔吐しながら、小夜子は再び【グラスホッパー】へ顔を向けた。
(見たくない)
と思いながらも、視線は再びブレザーの少女へ向く。
彼女の頭部を中心に広がりつつある、水たまりのような何か。先程も見た腕に、捲り上がったスカートから覗く、下着と足。この状況と不釣り合いなその脚の白さについ、視線が吸い込まれる。
こんな惨状を目にしながら何を見ているのか、と猛烈に自己嫌悪しつつ……小夜子は再び、胃液を吐いた。
……ぱんぱかぱぱぱぱーん。
間の抜けたファンファーレが鳴り響く。
『Aサイド【グラスホッパー】、死亡! 勝者、Bサイド【スカー】! キョウカ=クリバヤシ監督者、おめでとうございます!』
対戦開始を告げたのと、同じ男の声であった。同時に小夜子の眼前へ浮かぶ、『勝者【スカー】』という文字。祝福のつもりなのか、キラキラと光る効果までが付いている。
「何がおめでたいのよ馬鹿! いいから早く、救急車呼んでよ!」
足を震わせながらも立ち上がり、空に向かって叫ぶ小夜子。
救急車が来ても、【グラスホッパー】はもう助からないであろう。だがそれでも、言わずにはいられない。
『二回戦は、明日の午前二時から開始となります。監督者の皆様も、対戦者の皆様も、それまでゆっくりとお休み下さい』
小夜子の訴えに対する返事は無い。男の声は、一方的に告げるだけである。
『それでは、お疲れ様でした!』
「ちょっと待ちなさいよッ!」
瞬間。小夜子の視界から奪われる、全ての光。
(これ、ここに来る時と同じ……?)
ふわり。
足元が消失するような感覚と共に、意識も闇の底へと沈んでいく。
抵抗することもできずに、そのまま小夜子は気を失った。
◆
どくん。
鼓動と共に視界が蘇る。
見慣れた壁、いつもの天井、宿題が置かれたままの勉強机、床に積み重ねられた本の塔、派手な格好をした美少女フィギュアの置かれた棚。
「ん……」
存在を確認するかのように、己の身体をばたばたとまさぐる小夜子。
眼鏡はかけていない。服はパジャマだ。そして今座っているのは、自分のべッド。そう。つまりここは、彼女の部屋以外の何物でもないのだ。
そして周囲には誰の気配も感じられず、何の音も声もなかった。キョウカと名乗ったあの不愉快な羽虫も、見当たらない。
「そうだわ」
枕元のスマートフォンを、急ぎ手に取る小夜子。眼鏡はかけていないため、ぐぐっと顔に液晶を寄せる。
画面には「午前二時 十月二十六日 月曜日」と、現在時刻が何事もなく映し出されていた。
「時間……経ってない?」
やや自失しながら眺めていると、二時一分に表示が進む。
そのまま枕元へ放り投げられる、スマートフォン。
「……夢、なんだわ」
ぼんやりと天井を見上げ、小夜子は呟く。
おそらく夜中に寝ぼけながら起きてしまい、座ったまま、器用にまた眠ってしまったのだろう。
目覚めてみると、馬鹿馬鹿しい限りだ。
「ああ嫌な夢だわ。実に、嫌な夢だったわ」
疲労感が酷い。身体の疲れではなく、精神が摩耗した感覚というべきか。
明日は、いや今日は学校があるのに。
(まあいいわ)
起きる時間まではもう四時間少々ある。
(早いとこ、寝直しておこう)
掛け布団を手繰り寄せ、頭まですっぽりと潜り込む。
中で胎児のように身体を丸めつつ、小夜子はもう一度眠りにつくのであった。
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