第一夜:03【御堂小夜子】

第一夜:03【御堂小夜子】


 ごおおっ。どすん!


 背後から襲いかかった衝撃で、前のめりに押し倒される小夜子。

 反射で手をつき、顔を地面へ叩きつけられることだけは奇跡的に回避……だが小さな石が掌や手首、膝へと食い込み、その一部は肌を裂いて傷を作った。


「ううっ……?」


 苦悶の声を上げつつ立ち上がり、振り返る小夜子。


 土煙の中……十メートル程離れたところの地面が、半径二メートル程度、半球の形にくぼんでいるではないか。そしてもうもうとしたその中央には、一人の少女が立っている。

 どうやら小夜子の注意が散漫となった際に上空へと飛び上がっており、轟音と共にそこへ落ちてきたらしい。

 彼女もここに人間がいるとは全く予測していなかったらしく、驚きに満ちた表情で小夜子を見つめていた。


 羽織っているのは紺のPコート。開けた前からブレザーの制服が覗いている。首のリボンはえんじ色で、ハイソックスは白。スカートは少し短め。背丈は小夜子よりも高く、百五十五センチ程度だろうか。

 以上の情報と顔立ちと体つきからして、おそらく同年代の高校生なのだろう。

 切れ長の目で唇は薄く、鼻はそんなに高くはないがまあ美人な方ではないか……と小夜子は思わず品定めしてしまう。また、黒いストレートの長髪が似合っていると感想も。

 ただし「あの子ほどじゃないけどね」と、付け加えてだが。


「貴方が【スカー】?」


 そんな勝手な論評者に向け、ブレザー女子高生は話しかけてきた。

 だがその顔には、警戒の色が露骨に浮かんでいる。


「え? あ、あの、私、御堂小夜子って言います。こんばんは」


 思わずお辞儀して挨拶する小夜子。

 異常な夢の中とはいえ初対面の相手だ。現実の延長線で、自然と敬語を使ってしまう。


「本名じゃなくて能力の方。名前なんか知らない方がいいじゃない? 気分的に」

「はあ」

「私は【グラスホッパー】にしたの。貴方は【スカー】にしたんでしょ」

「それなら、ええと、そうかも知れません」

「そう」


 そこまでやりとりをしたところで【グラスホッパー】はしゃがみこみ、「どうっ」という音だけを残し小夜子の視界から消えた。

 見れば窪みの中央、彼女が立っていた場所はさらに底が深くなっている。


 地面を踏み込んで跳ねた跡だ、と理解した瞬間……既に身体は駆け出していた。

 小夜子当人も驚くほど、素早い判断と行動だ。おそらくは、先程の分析あってのものだろう。そしてこの反射行動が、彼女の命を繋ぐことになる。


 しばらくの間を置き、ごおうっと空気を裂いて小夜子の耳へ届く轟音。


(落ちてくる音だ! 踏まれる!)


 数瞬の後。先程と同じく、閃光と衝撃が小夜子の背中を襲う。

 これまた同様前のめりに突き飛ばされた彼女であったが、倒れるというよりは転がる形になり、今度は運良くずっと早めに立ち上がることができた。


「はっ」


 振り返る小夜子。先程まで彼女がいた場所は地面が抉られ、周囲は押しのけられた土で盛り上がっている。そしてその中心にはやはり、【グラスホッパー】。


「……っ」


 外したのが意外なのか、小夜子が躱したのが予想外なのか。ややきょとん、とした顔で目を丸くしていた。


(あ、本当はちょっと可愛い顔なのかも)


 それを見て、などと緊張感の無い事を考える小夜子。

 だが【グラスホッパー】はすぐ険しい表情に戻り、舌打ちして相手を睨むと、再跳躍のためにしゃがみこむ。


「ちっ!」

「ひぃっ!?」


 彼女が屈んだ時点で、小夜子はまた駆け出していた。

 どうしたら良いかなど、全く分からない。だがじっとしていたら、踏み潰されることだけは確実だ。


 とにかく走る、走る。走る。

「ひっひっ」と恐怖で声にならない息を吐きつつ走る。

【グラスホッパー】が落下する轟音が小夜子の精神を追い詰める。それでも走る。

 背後で衝撃と閃光が炸裂するが、振り返らず走る。

 跳躍のため地面を蹴る音が聞こえるが、構わず走る。


(あの人、私を殺すつもりなんだ!)


 今度は左前方に衝撃と閃光。右へ向きを変え走る。そして再び、「どうっ」という衝撃音。


(先回りしようとしてる!?)


 直感的に意図を察した小夜子は急停止し、踵を返して【グラスホッパー】が飛び上がった方向へ走り出す。

 数秒して真後ろに着地の衝撃音。先程よりも、ずっと大きい。


「ひっ」


 小さく悲鳴を発した小夜子が振り返ると、ちょうどコンクリートのたたき部分に降り立った【グラスホッパー】と視線が交差した。

 足元の硬い床面は、彼女を中心に砕けて割れている。土に着地した時より砂煙がもうもうと舞っているのは、コンクリート上に乾いた土砂が散らばっていたせいだろうか。

 だが問題は、そこではない。その位置は、あのまま小夜子が走っていればコンクリートごと踏み砕かれていた場所なのだ。


 つまり彼女は、小夜子の走る先を狙って跳躍し始めている。

 そして着地距離の縮まりは、コントロールの向上を示していた。


(段々、慣れてきているんだわ)


 自分は確実に追い詰められているのだ。そのことを、小夜子は認識せざるを得ない。



 それから四度、小夜子は【グラスホッパー】の攻撃を回避した。

 辛うじて、を付け加えるべきであるが。


「はぁ! はぁ!」


 全力で走り続けたせいで、息が苦しい。脇腹が痛む。

 元々小夜子は運動が得意ではない、むしろ苦手というべき人種だ。マラソン大会では最後から数えたほうが圧倒的に早く、運動会や体育祭という類にも良い記憶はまるで無い。


 だがその鈍足でも走って方向転換を繰り返す間は、【グラスホッパー】も命中させにくいようだ。その事実が、辛うじてまだ彼女の足を動かしていた。

 しかし無論、いつまでも走り続けられるわけではない。


 小夜子は、限界が近付くのを感じていた。どこかに隠れなければ、じきに追いつかれてしまうであろうことも。


(走らなきゃ、走らなきゃ!)


 気は焦り、鼓動は早まる。息は切れ、足は重い。

 そんなふらつく小夜子の前方、十五メートルの場所に【グラスホッパー】が落下する。


 どごん!


「うっ……!」


 跳ね上げられた土砂を浴びつつ小夜子は左へ向きを変え、肺と脇腹の痛みに耐えながら駆け続ける。

 だがそうやって逃げてきた彼女の前方を、横に広く阻むものがあった。


「骨材置き場」という表示板の取り付けられた、やや大きな施設だ。

 施設といってもコンクリ壁で領域をいくつかに区切り、屋根を取り付けただけの単純な物。そしてそのスペースごとに、砂や小石がうず高く積まれ小さな山のようになっている。

 つまりはコンクリートを製造する際の材料を、種類ごとに分けて保管しておく場所であった。砂の運搬にはショベルカーを使うので、このように開放的な構造で作られているのだ。

 だが勿論小夜子はそんなことなど知らないし、目前に立ち塞がるそれはただの障害物でしかなかった。


(方向、変えなきゃ)


 息を絞り出し針路を変えようとしたその瞬間、【グラスホッパー】が骨材置き場に「着弾」する。


 ごっ!


 土の地面を大きく抉り、コンクリートの床を砕く威力である。

 青い炎の膜に包まれた【グラスホッパー】は骨材置き場の屋根を容易く貫き、下にある砂の小山へとそのまま突入したのだ。


 ……だがその身体は、この時点では砂にめり込まなかった。まるで彼女は見えないボールの中心にいるかの如く、砂は球状の空間を確保したまま掻き分けられていく。

 そして砂山を大きく穿ったところで、炎の膜は消えてしまったのだ。ついでに彼女の周りの「見えないボール」も、同時に消えたらしい。


「わぷっ!?」


 砂を押しのけていた不可視の防壁が無くなったためだろう。

【グラスホッパー】は掻き分けたばかりの砂を、全周からその身に被ることとなったのである。

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