八番都市の群像

政木朝義

八番都市の群像



■名前:マルセン・G・R=リーベンス

■性別:男性

■居住:A級地区

■職業:軍人

■市民番号:※※※※※※※※



 夜も更けると向かいに座る楊 昊(ヤン ハオ)は、迷いのない口振りで訳の分からない話を始める。ああこれはすっかり出来上がったな、とマルセンが思うのも毎度の展開であった。かと言って何を気にかける訳でもなく、最後まで奇妙で不毛な問答に付き合うだけだ。

「見れば分かる」

 何処からか煙草の臭いが漂って来て、マルセンは左半分に眼帯のある顔をしかめた。彼にとって料理の匂いを楽しむ事を邪魔する無粋な煙だが、このような店に入る限りはつき物だ。どこからか湧き出る男達の太い笑い声、テーブルにまで染み付いた酒と煙草の臭い、威勢の良い店主が今日も誰かと丁々発止。壁中に貼られた手作り感溢れる謎めいた創作メニューは、上に帝国語、下に東方特有の角張った文字という二重表記で書かれている。希に起きる喧嘩は花になるか泥になるか、その時集った客次第。熱気に包まれた、長いようで短い夜が明けるまで続く。第八番都市以外の庶民居酒屋にも訪れた経験はありはしたが、極東である八番の醸し出される風情は帝都と大分違っている。今や彼もこれはこれでと、荒々しい雑然さを薄暗い中で楽しんでいた。


 街が変われば若干文化も変わるのは理解していたのは文字上でだけで、実際中に入ってみると色々発見があった。例えば昊が使っている、一対の細長い食器、箸。そこに挟まれている赤味を帯びた、魚肉を擂って固めたという食べ物。

「カニカマは、蟹という生物の肉を精巧に模した食品と言われている。だが俺達は蟹を知らない。本物の蟹の味を知らない俺達は、これが蟹に良く似ているという事なんて分からない。果たしてこれは、本当に蟹に似ているのか?」

 マルセンは答えず、目の前の呑み助を眺める。昊は酒を飲んでも顔色さえ普段と変わらないが、言っている事がどんどん可怪しくなってくる癖があった。座った目付きで重心が定まらず、平常時より姿勢が悪い。摘まんだカニカマをさっさと食べてしまってから、いつの間にやら空になっていた友人の碗の上へ酒瓶を傾け、注ぎ過ぎて少し零れた拍子に眉尻を下げる。改造兵という体質から酒には酔えないマルセンは、これが何度目の失態か冷静に覚えていた。三回目だ。大方勿体無いとでも思っているのだろう。とは言え、彼のやる失敗にしては遥かにマシな方である。この後も何度か失敗をして、最終的には家に帰りつく前に寝ようとするのもよくある傾向だ。そして次の日になれば、自分が言った事やった事をすっかり忘れているのだ。ここまで酷いと普通一度で勘弁というものだが、彼に付き合ってやるのが不思議と悪い気がしないので、気づけば今日もマルセンは、昊と酒を呑み交わしている。


「制作者が蟹を模してるというのだから、蟹とやらに似ているのだろう」

 マルセンは静かに、友人が注いでくれた溢れんばかりの酒を一息で飲み干す。砂漠の日差しの如く強烈な辛味と、後からそっと寄り添う芋の甘み。マルセンに東方文字は読めないが、昊の選んで勧める酒にいつでも間違いはなかった。例えば今日のように、目前の空気が抜けた男のように、酒の味など分からなくなるまで酔ってみたいと思う夜もある。だが特有の高揚感に至るより先に、酔いは逃げて行ってしまうのだ。彼が改造兵であるがゆえに、何度口に入れても、何度求めても、決して手に入る事のない快楽。


 飲み屋街に連なる装飾灯の中を、酷い濁声の歌が彷徨っている。魔導的な意味を一切持たない、誰も聞いた事がない歌詞だ。追従する者野次を飛ばす者、違う歌を歌い出す者。外テーブルで宴会をしている若人集団からなんとか食物を手に入れられまいかと、ひたすら媚を売る犬の鳴き声が混ざる。表の雑踏に耳を傾けていると、昊の声が突然割り込む。

「蟹がどんな見た目をしているか知ってるか? 俺は、いや帝国人の殆ど全ては図鑑でしか見た事がないだろう。あれは……、何というか、」

「蜘蛛か」

「そうそう、脚が多くて棘が生えていて、蜘蛛にそっくりだ。奴ら海底に棲んでいるってな。海底なんていう、良くそんな恐ろしげなところに行って、そこで見つけた気味の悪い生物を捕まえて、その上食べてみようと思ったものだ。しかもなかなか強そうじゃないか。昔の人間はどうかしている」

「確かにな」

 マルセンは最後のひとつとなった赤い食品を、手前のフォークで突き刺し口に放り込む。口腔内に広がる塩気を含んだ仄かな生臭さを、八番都市の人間は『海の匂い』と呼んでいた。帝国ではもう何代も前から、絵や写真で語られるだけとなった御伽噺のような場所だ。八番が殊更に海の匂いが好きなのは、生産区にある古びた巨大水槽地帯を見れば明らかだろう。そこから収獲された生物が、海の匂いを有する多種多様な食品へ加工され出回る。酒のつまみとして出された例の赤い練り製品も、そのひとつという訳であった。


「こういう海しか知らないのだ、俺達は」

 グラスを持ち上げ楊 昊は、溜め息混じりに独り言つ。彼が手を少しばかり傾けると、中に浸かった氷が踊り透明な音を立てた。囲いの中で滞留する水分を、酒に濁った黒い瞳でぼんやりと眺めている。表面から離れた水滴がテーブルに落ち、緩やかに木目に染み込んで、深い深い色になるまで。


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