「分かるでしょう、ラウ……これが何なのか」

 刻印の光が脈打った。隷属の名がアリストラムの心臓の上から首筋にいたるまでくろぐろとうねるようにして浮かび上がってゆく。

 アリストラムは息苦しく喘ぎ、残る力を振り絞ってラウの上半身を抱き起こした。

 力なくぐらぐらと揺れるラウの頭を胸に引き寄せ、かき抱いて、ラウのくちびるを自らの首筋に浮かび上がった堕天の刻印へと押し当てさせる。

 ラウの身体が震えた。

「分かるでしょう、ラウ……これが何なのか」

 ラウは無意識に喘ぎ、舌を出して、アリストラムの首筋に散る血を舐めた。

 呼吸が荒く、うねり始める。

「刻印です」

 アリストラムはもがくラウの唇に指の先を差し入れてこじあけさせた。ラウは、意識すらないのにも関わらず、いやいやと涙ながらに抗っている。

 牙が、白く光っている。

「だめ……」

 涙がこぼれ落ちる。

 抗いながらも、ラウは、アリストラムの肌の匂いを嗅ぎ、血の色に浮かび上がった刻印を舐めた。

 また、舐める。

「や、やだ……やだ……ありす……イヤ……!」

 吐息が悲痛に乱れた。

 構わずに、アリストラムはラウを強く抱き寄せた。

「貴女に、永久の忠誠を」

 狼の白い牙が刻印に押し当てられる。

 ラウは無意識に喘ぎ、うめき、抗いながらもアリストラムの首筋に歯を立てた。するどく尖った犬歯が刻印に食い込む。

「そう……それでいいのです」

 アリストラムはラウに身を任せようとしながら、力なく微笑んだ。

「私の命を――貴女に捧げる。だから」

 ともすれば逃げてゆこうとするラウの頭を、半ば強引に自らの首へと押し当てさせる。

 刻印の光がゆらめき立った。翡翠色の光がラウの涙を照らし出す。

「いや……イヤだ……アリス……!」

「私の命を、使いなさい」

「やだ……!」

 もがくラウの喉から、悲痛な声がもれた。

 妖美な翡翠の光が、暗い洞窟の天井を照らし出していた。したたり落ちる漏水の滴の音が甲高く跳ね返り、いんいんと響いて。

「ぁ……」

 ラウは理性のない眼をうつろに開け、刻印のゆらめく光を見つめた。

 光っている。

 誘っている。

 この、光は――


 血の匂いを、これほどかぐわしいと思ったのは、初めてだった。

 いのちの匂い。

 力の、匂いだった。


 欲しい。

 この光が、欲しい。


 ふいに、心のどこかが、びくりと針で突き刺されたように痛んだ。

 だめだ。この光を食らってはいけない――


 どうして?

 いとけない笑みを浮かべた過去の自分が、小首をかしげている。

 くすくす笑っている。

 だって、おいしそーだよ? これは、食べてもいーんだよ? 

 ――だめだよ。ダメ、だって……

 どうして?

 翡翠の眼がひそやかな狡猾の色にきらめく。

 だって、”アリス”が、”良い”って言ったんだもん。いいに決まってるじゃん? あたしは、食べるよ? だって。食べないと――


 こぼれる血のしずくを口の端で受け止め、熱に色あせ、黒ずんだ唇をアリストラムの首筋に強く押し当てる。あふれる赤い色を、ラウは、舌を出して舐め取った。異様な熱を帯びた喘ぎが、アリストラムの肌に這う。

 眼に映り込んだ銀色の髪が、かろうじて理性の光を反射させる。ラウはアリストラムの身体に顔を埋め、喉の奥をかなしげにふるわせて吠えた。くちびるを舐め、アリストラムの血を舐め、刻印にくちづけて、命をすする。

 尻尾を振りながらもこみ上げる獣欲を持てあまし、喘ぐ。

 ラウはアリストラムにのしかかった。とがった爪の生えた前肢をかけ、うっすらと狼の柔毛に覆われた胸を蜜袋のように振り散らして、刻印に牙を立て、あふれる血を口に含み、舌を転がし、舐める。

 生気が吸い出されてゆく。

 血の味が、狼の本能を呼び覚ましてゆく。

 すすればすするほど、くちづければくちづけるほど、求めれば求めるほど、命があふれ出てくる。

 今まで口うつしに吹き入れられてきた銀の吐息とは比べものにならない魔力そのものの源流が、人間の生気が、魂そのものの甘美な刻印の味が、妖艶な光となってラウを照らし出した。

 ラウは血の誘惑に耐えきれず、獣の本性を剥き出しにしてアリストラムの身体をむさぼった。

 刻印から流れ出してくる”命”を。

 啜り尽くす。

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