第24話「商売敵」
「もういいよ、これ取って」
部屋に入るなり奪われた笠に、
それを見て、
「まあ、すごい汗。待って、今拭くものを」
慌てて隣の部屋(寝室)へと走ると、すぐさま取って返し、
「はい」
笑顔で布を差し出した。
「あっ、ありがとうございます」
声が裏返っている。琅惺は慌てて咳払いをし、受け取った布で頭を拭った。
「待ってて、今何か飲み物を持って来るわ。何がいいかしら、いつもみたく、お酒?」
「おい、そんなん飲んでねえだろ! こいつが本気にするじゃねえか、いつも通り茶でいい茶で!」
「はいはい」
慌てて怒る珂惟に、杏香は笑いながら応え部屋を出て行った。
「信じてねえだろうな。俺絶対、般若湯なんか飲んでねえから」
杏香が姿を消した途端、向けられ続けた厳しい視線に、
「それ以前の問題だろ」
冷たく切り捨てられ、珂惟はへ? という表情だ。そこへ、
「お待たせー」
杏香が盆に茶を乗せて戻って来た。
「あら、どうかした?」
妙な雰囲気を感じ取ったか、杏香が小首を傾げてそう聞いた。
そして。
「なあんだ、そんなこと気にしてたのー」
お茶が運ばれてしばらく、杏香の鈴を鳴らしたような軽やかな笑い声が室内に響いた。
「珂惟が連れて来たからひょっとして、と思ったけど、態度見て確信しちゃった。それに私驚かなかったでしょ? 何でか分かる?」
向けられる杏香の視線を躱しながら、眉を寄せる琅惺。
「慣れてるってことよ。よく来るわよーお坊さん。守秘義務あるから誰とは言えないけど、上座さんとか寺主さんとかも珍しくないよ。どこの寺の、ってのも内緒だけど」
にっこり笑う杏香の言葉に、琅惺は凍りついた。珂惟は慌てて、
「おい、お前はどうしてそう平気で――」
「マズかった? そう言えば、名前聞いてなかったけど、ひょっとして――琅惺さん?」 その言葉に、琅惺は思わず杏香を見る。
「どうして私の名を?」
「やっぱり! だと思ったんだ。感激だわ。街で噂のすごーい頭いい人に会えるなんて。それに、珂惟が寺の中のことを話すとき、唯一上げる名前だったから……」
「あーもういいお前、黙ってろ」
「何でよー」
「うるさい黙ってろ」
そんな二人の様子を、琅惺は不思議そうな表情をして見ている。すると、
「あ、そうそう」
杏香が思いついたように手を叩いた。
「あのね珂惟。前、言ってたでしょ依頼が減ったって。それが何でか分かったのよ」
「イライ?」
琅惺がおうむ返しに繰り返す。杏香は琅惺の方を向き、笑いかけると、
「そう、依頼。悪鬼祓いの」
「お前――また」
慌てる珂惟に、杏香は不思議そうに、
「あら、いけなかった?」
「悪鬼祓いって――じゃ、この前まるで道士みたいな格好で帰ってきたのは――」
琅惺の咎めるような視線を、珂惟は困惑を隠し切れないままに逸らした。ご想像通りと答えたようなものである。
珂惟は大きくため息をつき茶碗を持つと、
「で、どう分かったわけ?」
一口啜り、開き直ったように、そう聞いた。
問いかけに、杏香は身を乗り出すと、「
「なんと、商売敵がいたのよ!」
「商売敵?」
「そう。
大覚寺のある崇賢坊もここ西市も街西にあたる。そして一般的に街東には官僚や貴人宅が多く、街西には庶民が多いとされていた。
「街東に? 道理であっち方面の依頼が全然ないわけだ。くっそ金持ち揃いの街東を取るとは汚ぇヤツだ。どんなヤツよ?」
「年は三十近くで、すっごい能力のある道士らしいわ。身の丈がゆうに六尺はあって、足長くって細面で、しかも、しかも二重で、切れ長な眼差しが目を引くいい男らしいのよー」
まるで見てきたかのように目を輝かせる杏香。ちなみにそれだけ背が高く、二重というのは、この時代では珍しいことである。
嬉々とした様子の杏香に、珂惟は苦虫を噛み潰したような顔をして、
「道士かどうかは分からんな。俺も違うし」
そう言って一息に茶を飲み干すと、
「ったく俺の専売特許を勝手に取りやがって、見つけたらただじゃおかん」
忌々し気に吐き捨てる。とはいえ道士崩れがあちこちで似たようなことをしており、悪鬼祓いは珂惟の専売でもなければ商売敵も一人とは限らないのだが。
そこへ鼓の連打される音が隆々と、微かながら確かに聞こえて来た。暮鼓である。
「おい、そろそろ行くぞ」
それを聞き、珂惟は徐に立ち上がると、おとなしく座って茶碗を持っている琅惺を見下ろし、言った。
「あっ、うん。ごっごちそうさまでした」
それに押されたように慌てて立ち上がる琅惺。
「え、もう? いつもより早いじゃない」
「仕方ねえだろ、こいつトロいんだから。坊越えなんかさせらんねえよ」
琅惺は言い返すのも忘れて立ち尽くしている。妓楼だ、悪鬼祓いだ、坊越えだのと優等生には全く馴染みない言葉を一度に聞かされ、それを理解するので精一杯なようだ。
杏香は、さもありなん、とばかりに頷き、
「そうよね、それが普通よね。じゃあ商売敵のこと、もう少し詳しく聞いておくわ。今度は昼間に来てよ、抜けやすいから。琅惺さんもまた来てね。きっとよ」
そして笑顔で琅惺に笠を渡す。
「はっ、はい」
それに琅惺は笑顔で頷いたばかりか、
「約束ね」
と言われ、小指を絡めたりなんかしてる。
「おいおい」
その様子を、珂惟は呆れて眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます