第22話「くわだて」

琅惺ろうせい!」

 牡丹観賞に向かう人がにこやかに往来を埋め尽くす中、恐ろしく鋭い視線が振り返った。

「これ、寺主がこれも渡してくれってさ」

 珂惟かいは軽く息を弾ませ、被った笠を取りながら琅惺の横に並ぶ。 

 琅惺の目が珂惟の手元に向いた。そこには紫紺の包みが二つ。

 だがそれも一瞬のこと。

 琅惺は再び前を向き、隣の珂惟にちらとも目を合わせようともせず、

「分かった。ではそれを」

 ただその右手を差し出してくる。だが、

「俺も行くよ。寺主じしゅが一緒に牡丹を愛でて来いって。そう言われたら、二人で帰らないとヤバいだろ」

 その言葉に、琅惺は横目で珂惟を睨みつける。

 そして。

「――気安く呼ぶな」

 そう吐き捨てると、琅惺はいきなり足を速めた。

「ちょっと待てって!」

 振り向かない後ろ姿を、珂惟は慌てて追いかけていく。


 それからしばらく――。


「さすが『見に来い』と言うだけあって、見事な咲きっぷりだったな。人が多いのには辟易したけど」

「どこで愛でたんだよ」

 化度けど寺を出た途端かけられた台詞に、琅惺は非難がましい言葉と視線を、半歩先を歩く珂惟に投げつける。

 だが珂惟は一向に気にしない様子で、

上座かみざに会う前に境内であちこちで見たから、いいだろ。それに、牡丹は仮度寺だけのもんじゃないし」

 言いながら辺りを見回す。

 つられて琅惺も周囲に目を巡らすが、一人、前を歩いていた老人がそこの角を曲がってしまうと、小路には人気さえなくなってしまった。

「――それより、何だってこんなうら寂しい道を通ってるんだ? 近道でもなんでもないじゃないか」 

 すると。

 珂惟がいきなり足を止めた。辺りを見回していた琅惺はその背にぶつかりそうになり、「おい」と声を上げかける。そこでこちらに向けられた目に、思わず目を合わせてしまった。あまりの至近距離にうろたえる琅惺。

 そんな彼を、珂惟は廃屋なのか人家なのか分からない建物と建物の隙間に、有無を言わせず押し込んだ。

「なっ、何!」

「しっ」

 不審も露な琅惺の抗議の声を、珂惟は辺りを窺いながら押しとどめる。

 そして改めて人がいないのを確認すると、

「そのいかにも坊主って格好だと、ちょっとヤバいんだよね」

 そう言って、自分の笠を琅惺に目深に被せた。その声には、面白さを噛み殺している感がありありだ。

「それと――」

 そして間髪入れず手にした包みを解く。

 そこから現れた代物に、琅惺は愕然とした。

「それは……俗衣じゃないか! まさか、それを私に着ろと」

「ご明答。さっすが最年少合格者」

 笑顔で吐かれた言葉に、表情を強ばらせたまま、琅惺は後ずさる。

 後ずさりながら、

「冗談じゃない、そんなのに袖を通したら即、還俗げんぞくしなきゃ――ちょっ、やめろって!」



「もっと深く被れって、ほら」

 傾いた日が、西から仄赤く射し込む。伸びる影が目深に笠を被る隣の琅惺にかかる中、珂惟は手を伸ばして、さらにその笠を押さえ付けた。

 そういう珂惟は髪を結い上げ、着ている衣も辺りを歩く数多の青年と何ら変わることはない。琅惺もまたしかりである。

「で、どうする気だ」

 諦めをつけたのか、琅惺はおとなしく珂惟に従っている。

 騒ぎ立てて注目を集めることの方がマズイし(最年少合格者なので、多少名が売れている)、かといってこの格好で寺に戻るわけにもいかず、ここで着替えをしっかり手にしている珂惟に放り出されても困るというものだろう。

 二人は化度寺のある義寧坊から大覚寺のある崇賢坊に向け、南下していた。

 ここは途中の西市。

 朱雀大路を挟み対称にある東市と並び、長安一の繁華街と称されるのがもっともであるように大勢が忙しく行き来している。

 笑声・怒声・泣声、それに被さる楽歌の声。

 時に楼上から甘やかな誘いの声を投げるのは、これから一日が始まる酒楼の華、白晢青眼の胡姫。


「言ったろ、牡丹見に行くって」


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