第1章 勇者の未亡人

レーネとミコシエ

 酸鼻の宴の翌朝、男らの表情は打って変わって厳しいものになっていた。

 モヒカン一人がへらへらと笑いながら、

「あれ? 女は連れてかんのですかい? 連れてきゃいつでもヤれるのに」

 などとぼやいている。

 

 頭目は、太い剣を背に下げて冷徹に言いくだす。

 

「馬鹿が。貴様も戦士の端くれなら、気を入れ替えろ。これからは峠越えの山場……女連れではこの先は越せん。足手まといになる。それだけ険しい峠だ。

 女、あんたも運が悪かったな。こんなところに迷い込んだ挙句、俺達に犯され……最後は魔物の餌だ」

 

 女は、すでに半ば裂かれている服を着てうな垂れている様子だったが、気の方は確かのようで、男らを睨み据える。

 

「ヘッヘ。しかしどーだ、魔物の餌になる前に気持ちいーめ見れたんだ。ナ、よかったろ?」

 

 男ら二、三が女に浴びせ笑うが、頭目がそれを引き締めた。

 

「わかってんだろうな、ここからは今まで以上に気合を入れろ。でなければ貴様らも魔物の餌になるだけだ。行くぞ!」

 

 一団は頭目に従い、ぞろぞろと小屋を出て行った。最後に続いたモヒカンが、名残惜しそうに女をじろじろと見ていく。

 

「ひゃはぁ、ほんとよかったぜぇぇ。オレもあんたで大人の味を知ったゼ……ククク、あらっ?」

 

 モヒは、小屋に残されたのが女だけでないことに気づいてはっと声をあげる。

 部屋の片隅には、昨日の格好のまま長髪の若者ひとりが残っていたのだ。

 

「はぁぁ……? おい、あんたっ、新入りっ、てオレも新入りだが……おい同僚っ? てめえ何してる、行くぞ、おら。あ、もう、皆行っちまう、ほら! 知らねえぞ。オレは行くからなっ」

 

 モヒはもう木立の中へ消えていきそうな仲間の集団を追って、行ってしまった。

 

 小屋に、女と若者が残される。

 

 女はまたうな垂れた。

 男どもの乱暴で幾らかの打ち身を負っているし、何より体中が気持ち悪く薄ら寒かった。

 

 女は、この小屋に寄ろうとしてここに先に来ていた一団に襲われたのだった。

 用心はしていたのだが、男らは女が小屋に近づいてくるのを察知すると、最初から襲う目的で物陰に潜んでいたのだ。

 逃げたが、すぐに捕まった。

 荷物はそのときに、小屋の外に散乱してしまったままだ。

 

 見ると部屋の隅の長髪が、ゆっくり立ち上がろうとしていた。

 女は一瞬身構えたが、長髪が女に何かしようとしているとは思われなかった。

 昨夜の乱暴には加わっていないこともわかっている。

 しかし、止めるようなことも一切しなかったし、この若者だってあの野蛮な連中の仲間には違いないのだ。

 何故、ここへひとり残った?

 

 その長い髪に隠れて半ば表情は見えないが、整った輪郭に、どことなく幼さを残す顔立ちと見えた。

 肉食獣のようなさきの連中とは全く違う印象だが、この男はこの男でどことなく神経質でいささか病的な印象を受け、無論心安くはなかった。

 いや実際のところ、病気なのだろうか。

 長髪は立ち上がっても首を垂れ、壁際に寄りかかったままだ。

 

「あなたは……」

 

 女は、声をかけるのはよした。

 頭数として連れて来られただけの下っ端で、峠越えできるほどの体力もないのかもしれない。

 しかし自分だって他人の心配をしている余裕はない。

 しかもろくでもない連中の仲間だ。

 

 女は、若者のことは放って小屋の外に出て、恐る恐る辺りを回り始めた。

 

 茂みが群生し、小屋を囲う太い木々に絡み合っている。

 荷物を探すのは容易いことではない。

 それでもさいわいに布巾や水筒が見つかるが、大事な物はそれを入れた荷袋ごとなくなっている。

 昨日のことが思い出される。悔しさ以上にやりきれなさが込み上げていた。

 

「不意打ちでなければ、あんな連中……ああ、杖だけでも見つかれば今からでも追って――」

 

 背後に、忍び寄る気配。

 振り向くと同時に、逃げるにはもう手遅れだとも悟ることになった。

 

「私は、行かなければならないのに……なんとしても、オーラスへ!」

 

 思いつつも、次々襲い来る狼どもの牙をかろうじて免れるのみであった。

 逃れ、小屋の壁にすがりついたとき、次の牙が来なかった。

 見ると狼の注意は小屋の入口の方に向いている。

 

「探し物をするときは、注意深くなければ……」

 

 小屋の入口に、あの黒尽くめの長髪が立っていた。

 

 細い両刃の剣がその手に抜かれている。

 二匹の狼がすでにその刃にかかっていた。

 一匹が飛びつくが、それが瞬く間斬られてしまうのを見ると、狼のリーダーは残りをまとめ茂みへと退いていった。

 

「……あ、」

 ありがとう。……女は言葉は呑み込んだ。

 助けてもらったことになるが、男はこれからただ出て行くだけのところかもしれない。

 そもそもはこの男の仲間らのせいで、こんなことになってしまっているのだ。

 

 黒い外套に、先程は被っていなかったが冑まで黒。

 冑はよく見れば鉄製ではなくバシネット風に仕立ててある帽子なのだが。

 

 男は行かず、女の方を確かに向いた。口を開いたので何か言うのだと思うが、言葉が出てこない。

 

「あの……?」

 

 女はいぶかしんで、とうとう自分から語りかけた。

 

「何か」

 

 遅れて出てきたような、小さいがはっきりした声で男が発した。

 

「行かないの。あなたは……」

 

「勿論、行く。こんなところにいては、またすぐに魔物が来る」

 

 ではどうして行かないのだろう。

 

「……どうしたのだ?」

 

 男の声や調子は落ち着いており、小屋にいたときのような病的さは今は感じられなかった。

 連中のように女を嘲ったりまた哀れんだりといった様子もない。

 

「行かなくては」

 

 男は言いつつ、周囲をチラと見る。

 あまり、これ以上長居はよくないといった素振りだ。

 男は木々の方へ何歩か歩み、顔だけ振り向いてもう一度、はっきりと女を見た。

 

「さあ。早くしないと」

 

 女は複雑な表情を返した。

 

「なぜ? 連中と峠を越すのでしょう。どうして一緒に行かなかったの。あなたは、連中の仲間じゃないの?」

 

「……しのびない。こんなところに、女を一人――」

 

 そこまで聞いて、女はよろよろと、男の近くまで歩み寄った。

 顔を上げて、厳しい目付きで男を見据える。

 

「ほ、ほうっておいてくださいよ! なら、あのときだって、……見ているだけで、あのときに助けもしなかったくせに……最後まで、ほうっておいてくれたらいいじゃないですか!」

 

 女は、はっとして、

「ごめんなさ――」

 とまた言いかけた言葉を飲んだ。

 

 男は正面きって女に向き合う。

 

「あいつらなら、曲りなりにもプロの戦士の集団だ。長く一緒にいたわけではないが、幾つかの戦いを共にした。戦士として彼らに敬意を払っていたが……ああいった行いは好くわけではない。が、私一人でどうにかなったわけでもない。それに……助ける義理があったわけでもない」

 

 男はそう言い切った。

 

「……そうよ。勿論」

 

「それに、あのとき私は――」

 

 何か言いかけたが、今度は男が言葉を飲んだ。

 男は何か思いを拭うように目を瞑って、代わりに適当な言葉を選んだように発した。

 

「とにかく行かなければ。……まあ、生きていればいい。すべきことがあるなら――」

 

 女は踏み出して男の頬を打った。ぱしんと音が響く。

 

「勝手な、安っぽい台詞。生きていればいいなどと、あなたはまだせいぜい二十歳そこそこかしら。私は、あなたよりはずっと長く生きている……そんなことを言われる、義理もない、でしょう?」

 

 男は目を閉じたまま、耳をそばだてていた。獣の足音が聴こえている。狼が新たに数を揃えて戻ってきたのかもしれない。

 

「行こう」

「魔除けを、大事な魔除けをなくしたの」

「探している暇はもうない。連中にも追いつけなくなってしまう」

「まさか。あんな連中と一緒に行くものですか」

 

「しかし、ここにいてもどうにもならん。こんな峠の中ほどでは戻ることも叶わんしな。私一人でも、この峠は抜けられない。連中に合流はしない。離れて後をつけていこう。前方の魔物は連中が片付けてくれるだろうから」

 

 男はそう言うと外套を脱いで女に渡した。

 女は尚も心安くはなかった。

 しかし、まったくその通りで、このままここにいても……

 

「わかったわ。あなたは……」

 

 男は急に駆け出し、ふっと行き先の茂みに剣を振るった。

 獣の気配が左右に散る。

 そちらに女を走らせると、小屋の周囲に、さきの大きな狼の集団が二、三、四と姿を現し始めた。

 

「私はミコシエ。そう呼んでくれればいい。それから私はこの見た目よりは年はいっているんだ。それなりに、色々あったさ。あなたほどでは、ないのかもしれないけど」

 

 言いながら、ミコシエの振るう刃に狼の数は減るが、二、四、八、……と倍単位で姿を現して二人を囲み始める。 

 

「こいつらは魔狼だ。どれだけでも数が増える。数多を切ってきたミコシエの刃でも全てを切り尽くすことはできない。走れ」

 

「私は、レーネ。レーネ・イリィテ」

 

 女、レーネは、群れが散ったところへと駆け出した。

 

「レーネ」

 

 ミコシエも、剣を振るいながらそれに続いた。

 

「……イリィテ。その字は」

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