Underground

縹 イチロ

事のはじまり

Homecoming

 どこまでも続く白い砂浜に《イーヲ》は見とれていた。

 海中に佇む、キノコのように奇妙な形をした岩さえ、彼には素晴らしいものに見える。


 先ほど立てた彼の故郷を象徴する旗が、風に柔らかく膨らむさまをみて、ヘルメットを取りたい衝動に駆られた。しかし、大気や陽射し、大地や水に至るまで、測定器は平均をはるかに超えた危険な数値を示している。


 遠い山並みにちらほらと生き残った植物が、ねじくれた姿をさらしている。それを見るだけで、此処の環境がいかに過酷であるか知れた。


 彼は乗ってきた銀色のシャトルの陰で、モニターを確認しながら海中を無人探査機で探っている。生き物どころかわずかな海藻すら見当たらない。繰り返し響く波の音さえむなしく感じられるほど、水面の下は静まり返っていた。微細な生き物に至るまで、この荒涼とした砂漠のような水底では生きていけないらしい。


 青い海と白い砂浜。

 それは本当に美しい風景でありながら、死んでいたのである。


 貝殻やサンゴのかけらが打ち寄せられ、かつては飛び交う海鳥でにぎわっていたであろう波打ち際は、レースのように白い泡が薄い波に押し寄せられるばかりで何もない。篩(フルイ)にかけられたようにまるで何もないのだ。


 それでも遠い昔は生き物たちであふれていたのだろう。

 古城のアーケードのように、大きな生物の肋骨が砂に半分埋まりつつ等間隔でならび、白い柱のように空へ伸びている。紫外線に漂白され、風化した骨は白く、ガサガサと乾いた表面をさらしていた。このように大きな生物を養っていけるほど、かつてのこの星は豊かな生態系に恵まれていたのだ。


「残念だな。君の生きている姿を見たかったよ」


 何も発見できない探査機のモニターを覗きながらイーヲは呟く。相変わらず何も映そうとしない画面には、白い砂底に水面の影が模様を描き揺れていた。


 ズズッ……。


《Jupiter14(ユピテルフォーティーン)》より《E-6(イーシックス)》へ。

 繰り返す。《Jupiter14》より《E-6》へ。イーヲ、聞いてるの!


 ノイズをものともせぬ女性の声が、無線からイーヲを呼びつける。

 大気圏外で待機している母船からだ。


「《E‐6》から《Jupiter14》へ。はい、テラ。何かご用?」


 暫しノイズが走ったあと、先ほどを上回る音量でテラの声が響いた。明らかにイラついている。


「ご用じゃないわよ! もういい加減戻ってきなさい! あなた以外のクルーはもう全員帰還してるんですからね。調査時間はもう終わり! 今すぐシャトルを離陸させなさい!」


 キーンと響く雑音とともにテラの怒りも爆発する。

 叱られるのは無理もない。《Jエリア492》と呼ばれるこの地点の調査に当てられた時間の期限は4時間前にとっくに切れていた。


「分かった、分かったって。無人探査機を引き上げたらすぐ離陸する」

「今すぐ作業を始めて。他の待機船はすでに《エウロパ》に向けて出航しているのよ」


 冗談抜きで置いて行かれる前に戻ってきなさい。これは命令よ。

 有無を言わさぬ勢いで無線が途切れた。


《Jupiter9》から《Jupiter14》までの宇宙船を調査団として派遣しはじめたのがつい七年前。

 放棄されたかつての故郷を蘇らせようという政府の方針である。長いあいだ生命を育みつづけてくれた母を人類はいまだ諦めきれずにいるようだ。


 百年以上たった今、遠く《ユピテル》の衛星に落ち着いた《アースの子》らは、めちゃくちゃになった故郷を再生する糸口を広大な荒地のなかに探し求めていた。


 《Jエリア492》と名付けられたこの小さな島国は、かつては《日本》と呼ばれていたそうだ。


 調査団の一員として派遣されることが決まった夜、イーヲの祖母がそこは曾祖父の故郷だと、懐かしそうに教えてくれた。


「いまなら、季節は秋だね」


 おぼろげに残る風景を思い出の中から手繰り寄せるように祖母は目を瞑った。


 分厚い氷に閉ざされた海のなか。防護ネットを張り巡らせた透明の膜の内に空気を貯め、人工的にコロニーが形成された。それは暗い海底で、点々と並べられた銀貨のように輝いていた。《竜宮》と呼ばれるその土地へ、流浪の民となった人々が移り住んで久しい。


「秋になるとね。視界いっぱいに広がる森がそれは賑やかに色付くんだよ。赤、黄色、橙。真っ青に澄んだ空にとても栄えて、それは美しかったよ」


 数十メートルもある大木。絨毯のように広がる草花。飛び交う小さな生き物たち。

 そんな多彩な動植物が、星を覆っていたなど、彼には想像もつかなかった。しかし、そんな祖母の語るおとぎ話のような世界がイーヲは好きだった。


 彼らの間で《零の日》と呼ばれているあの日。

 ほとんどの人が、着の身着のまま救難船に飛び乗って星を離れた。

 たくさんの人が置き去りになり、運良く空へ飛びたてた者達も《エウロパ》まで無事にたどり着けたものはほんのわずかだった。


 そんな混乱のなか、持ち込まれた動植物は、以前の星からすれば本当に乏しい種類しかなかったが、それでも現在の彼らの生活を力強く支えてくれていた。しかし、それらは食べていくうえで必要最低限のものであり、祖母の語るような草花とはかなり違っていた。


 この星に辿りつけば、祖母の語ってくれた風景をひとかけらでも見つけられるのではないか。


 そんな期待があった。


 だが、地上に降り立った彼らを迎えたのは、どこまでも続く砂と、ただの潮溜まりと化した海だけだった。空は青く澄み渡っているというのに、その空の下、色付く森は見当たらない。


 無人探査機に戻るように指示を与えようと、ボードへ手を置いたそのとき。砂底から船の一部と思われるドーム状の窓が覗いているのを見つけた。


 空気を内包しているらしく、ガラス面が銀色に光を反射している。探査機へ送る命令を変え、窓に近づいてみた。


 そして、息をのむ。


 その窓には赤く色づいた無数の葉が覗いていたからだ。


「《E-6》より《Jupiter14》へ! テラ、返事をして!」


「貴方ね。いつまでもたもたしているの。これ以上勝手な行動をとるようなら強制シグナルを送ることになるわよ」


「いいから! とにかく今送った映像を見て!」


 忌々しげな舌打ちの音が聞こえたものの、テラは送られてきた映像を確認してくれたらしく驚きの声が聞こえてきた。


「イーヲ。正確な座標を送ってちょうだい。私はキャプテンに報告してくる」


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