第4話 思惑の狭間で
エリスは、トラサムント王子の部屋に来て居た。部屋の入り口近くに立ち、エリスは、居心地が悪そうにソワソワとしている。
「珍しいな。エリスが僕に頼みごとなんて」
「べっ別に良いでしょ?」
トラサムントは、部屋の中心にある円卓の席に腰掛けて、紅茶を美味しそうに啜って居た。
「あっあのね。明日、暇? もし時間が空いてたら……」
「大丈夫だよ、エリス。君の為の時間なら、何時でも空いているよ。それも、デートのお誘いなら、なおさらさ」
トラサムントは、おどけた調子でそう言うと、エリスは、顔を真っ赤にして怒りだした。
「トラサムントのあほう!! もう、頼まない!!」
エリスは、そう叫んで部屋から走り去ってしまった。そんなエリスの姿をトラサムントは、目で追いながら、紅茶の入ったカップに口を付ける。
「さて、どうしたものかな」
トラサムントは、少し考え込む様子でそう呟いた。エリスが自ら行動を起こす事にトラサムントは、得に気にしていなかった。むしろ、行動を始めた事に嬉しさを噛み締めている。問題は、エリスの行動が貴族達の思惑によって始められた事にある。トラサムントは、この状況をどう利用するかを考え始めていた。
翌朝、エリスは、不機嫌そうに仏頂面で馬車に揺られていた。エリスが不機嫌なのは、朝、治水工事の下見に行こうと城の入り口を出たところ、トラサムントが馬車を用意して待ち構えて居た事にある。自分自身の考えや行動がトラサムントに気づかれて居た事にエリスは、腹が立って仕方が無かった。狭い馬車の中で自分の目の前に居るトラサムントの姿を見て、エリスは、深い溜息を吐く。ヘラヘラと自分に笑顔を向けるトラサムントの顔を見る度にエリスは、どうしてあの時、頷いてしまったのだろうかと、後悔をしはじめていた。
「ずっと、気になってたんだけどさ。どうして、何時もヘラヘラ笑っているのよ? 気味が悪いわ。昔は、もっとかっこよかったのに」
唐突にエリスは、目の前に居るトラサムントにそう問いかけた。トラサムントは、驚いた様子で大きく両目を見開いた。
「酷いなぁ。成長したと言って欲しい。昔の僕はね。周りの期待に応えなくちゃってさ。気を張ってたんだよ。でもね、そんな必要は、無いんだって気が付いたのさ。君のおかげでね」
「そんなものなの? 今の自分が本性ってわけ?」
「そうだよ。本性ってわけでもないけど。近いかもね。ヘラヘラ笑って居るもの処世術ってやつ」
「ふ~ん」
エリスは、トラサムントの説明にまだ納得がいかない様子でそっぽを向く。
「君がホアメルの仕事を引く受けてくれて、良かったと思っている」
「はぁ? どうしてよ?」
「最近、君への風当たりが強くてね。どうも貴族達が裏で動いてるようだ。だから、そろそろ仕事をキッチリこなしてもらって、城の中での立場を明確にして欲しいと思って居たんだよ」
「そう言う事ね。だから、ホアメルの奴……」
エリスは、少し悔しそうな表情でそう呟いた。
エリス達が馬車に揺られて二時間程、ようやく目的地に到着した。到着した場所は、グラト山の麓。治水工事予定地である。グラト山の麓には、鉄鉱石の採掘場が在ある。その鉄鉱石を精錬、加工する仕事を求めて、人が集まり町を形成している。馬車から、降りたエリスとトラサムントの二人は、高台から下に広がる町とローヌ川を眺めて居た。
「この近くに鉄鉱石の採掘場があるんだ。それで、鉄を精錬、加工にするには、大量の水が必要でね。川の近くに町が出来たんだが。雨期が来ると川が氾濫して、安定した鉄の供給が出来ない」
「だから、治水工事をして、鉄の安定供給を……か」
エリスは、少し納得がいかない様子でそう言った。エリスは、解かっていたのだ。鉄を必要とする理由を。この国で生産される鉄は、全て武器と防具に使われる。つまり、戦争をする為の準備をしている事にエリスは、気づいてしまったのである。
トラサムントは、下見の為と言って高台から町の方へと駆け下りていくエリスの後ろ姿を微笑ましく眺めて居た。トラサムントは、こんな平穏な時間が長く続けば良いと思っていた。しかし、周りの状況や国の状況を考えれば、この貴重な時間は、そう長く続かない事をトラサムントは、解かって居る。エリスと平穏な時間を共有できればそれで良いとさえ思って居た。ここ来て、貴族達が動きだし、自分とエリスの微妙立場さえ引裂こうと言うのなら、直ぐにでも戦争でもして滅んでしまえと、トラサムントは、時々思う事がある。エリスの後ろ姿が街中へと消えて行った所で、トラサムントは、馬車の操主をして、馬の世話をしているアリウスを呼びつけた。
「アリウス。貴族達の動きは、掴めているか?」
「王子、確かな情報は、中々出てきません。しかし、不確かな情報は、あります」
アリウスは、トラサムントの前まで来ると、そう報告した。
「おそらく貴族達は、治水工事の責任をエリス一人に押し付けようとしています。今の所、絡め手でと言う事でしょうが。それが効果がないと解かれば、強行策を取るかもしれません」
「強行策?」
「直接、命を奪いに来ると言う事です」
アリウスは、表情を崩さずに淡々とトラサムントにそう告げた。逆にトラサムントは、大きく両目を見開いて真剣な面持ちで考え込んだ。
「それは、まずいね。何か対抗策を打っておこうか」
トラサムントがそう言うとアリウスは、言葉を続ける。
「それと、もう一つ。ベルサリウス家から、王子宛てに社交界への招待状が届いています」
「そうか。それは、断れないな」
トラサムントのその返答にアリウスは、正直驚きを隠せないで居た。いつも貴族からの招待を頑なに断っていたトラサムントだけにアリウスにとっては、予想外の返答だった。
「王子、正気ですか? ベルサリウス家の社交界に出席すると言う事は……」
「解かっているよ。だか、断り続けるわには、いかなくなった。おそらく、ベルサリウス家の少女でも紹介されるだろう。気を許せば、婚約と言う事もありうる」
「では、なおさら欠席するのが望ましいかと。これ以上ベルサリウス家が力を手に入れるのは、国にとっての不幸です」
「だが今の状況では、そうも言っていられない。他国の姫との婚約の話もあったが、周辺諸国の緊張が大きくなりつつある現状では、それも国を危険にさらす事になる」
トラサムントにそう言われては、アリウスも返す言葉が見つからなかった。もう18歳と言う年頃に王子は、普通結婚して子を設けてもおかしくない年齢である。トラサムントは、遅すぎるくらいで、貴族や多方面から、結婚や婚約の話が持ち上がり、これ以上、無視する訳にもいかなくなった。王子としての務めとして、世継ぎを残す事は、国家にとってとても重要な事であるからだ。そんな沈痛な面持ちの二人の所へエリスが駆け足で戻ってきた。
「トラサムント!! 向こうに凄い場所があったのよ。トラサムントも行こう」
エリスは、そう言って、トラサムントの手を取って走りだした。走るエリスの横顔を見つめていると、トラサムントは、さっきまで話して事が途端に馬鹿らしく思えてくる。この幸せな時間がいつまでも続けばいいと、トラサムントは、とても深くそう思うのだった。
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