帰国の歓迎と招かれざる客

 二度目の崖の国。ラステルは下船して大きく深呼吸した。ペジテのドーム内とは違う新鮮で沢山の匂いがする空気。蟲森ともまた違う、風が強く吹き付ける大地。


「こんなに早くまた来れるとは思ってなかったわ」


 ラステルの台詞にパズーが笑ってくれた。


「むしろ遅いくらいだ!良かった帰ってこれて」


 ほっと胸を撫で下ろしたパズーがグスンと鼻を鳴らした。


「これが大自然……」


 操縦席から降りてきたアンリ長官が感嘆の声を漏らした。


「アンリ様!俺、くじで当たって本当に良かったです!」


 アンリ長官の部下ダンが瞳を潤ませた。短髪で背の小さな少年のようなアンリ長官と背の高い蛇顔のダンは立場が逆に見えてならない。まだ殆ど話せていないのでこれは良い機会だとラステルは口を開けた。しかしパズーに遮られた。


「セリムの奴すぐ戻って来るって言ってたけど……先にアスベル様が来た!あれ?隣にユパ様もいる」


 盆地の下、丘の向こうから馬と赤鹿に乗った武装兵が近寄ってくる。ラステル達を送迎してくれたアンリ長官と部下のダンがパズーの後ろで直立して敬礼した。パズーが大きく手を振って叫んだ。


「ユパ様!アスベル様!パズーです!セリムを連れて帰って来ました!」


 勢いよく駆け出したパズーにユパとアスベル、そして衛兵達が大きく手を振った。置いてきぼりにされてラステルは迷った。セリムもいないしどうするべきなのだろう。


「奥方様、私とダンは明日の朝まで機内で待機しております」


 アンリ長官がラステルに向き合った。隣のダンは少し不満そうにアンリ長官を見たが直ぐに真剣な表情になった。


「え?どうして?」


 ラステルが尋ねるとアンリ長官が目を丸めた。隣のダンは心なしか嬉しそうに見える。


「セリムのお兄様がお二人をきっと招いてくださるわ。長旅で疲れたお客様を放置するなんてそんなこと……」


 途中まで言いかけたときラステルの名前が呼ばれた。セリムの声だ。見上げると大鷲凧オルゴーが戻ってきていた。誰か人が乗っている。弟子に会いに行くと言っていたからリノだろう。衛兵達からわっと歓声が上がった。歓迎に応えるようにセリムは手を振りながら衛兵達の横をすり抜けてラステルの前に背中を向けて着地した。衛兵達の声がどよめきに変わっていた。セリムの背中にアピがしがみついているのを見たのだろう。


「ただいまラステル!ほら、リノ」


 機体から降りたセリムがリノの肩を叩いた。


「崖の国の風の子、リノです!風詠セリムの弟子で医師アスベルの生徒です。ペジテ大工房の方々よろしくお願いします」


 たどたどしくも元気一杯に挨拶するとリノは頭を下げた。アンリとダンが微笑ましそうにしている。顔を上げたリノと目が合ったのでラステルは素晴らしいと目で訴えた。何故かリノは唇を尖らせて俯いた。それからセリムの腕を引っ張って耳元で何か囁いた。


「帰国早々に私用で席を外して申し訳無かった。アンリ長官にダンさん、城塔へ案内します。長旅お疲れでしょう。労わせてください」


 セリムの言葉にアンリ長官は困惑しダンは満面の笑みを浮かべた。


「セリム王子……」


「セリム!その背中の蟲は何だ!」


 アンリ長官の声はアスベルの怒声に掻き消された。鬼のような形相で馬を走らせてくるアスベルにラステルは驚いてセリムに近寄った。


「アスベル先生!聞いてほしい事が沢山あります!僕は蟲と親しくなりました!」


 セリムがラステルの肩を抱いた。アピがラステルの頭の上に乗った。セリムは呑気に笑っている。渋い顔をしてアスベルが馬を止めて降りた。


「先生!こいつ間抜けだから平気ですよ」


 リノがアピを指差した。


「リノ、その言い方は良くない。悪い言葉は自分に返ってくる。指もやめなさい」


 リノに少し強めの声で諭したセリムはかなり大人びて見えた。アスベルが感心したようにセリムを観察しそれからラステルとアピを眺めて目を細めた。その嫌な視線にアピも何か感じたのかアピはラステルの頭から離れてセリムの背中へと移動した。しがみついてフルフルと小さく震えている。


「はい師匠。えっと……アピスはドジ、違うな、おっちょこちょい?あー分かんない!とりあえず化物じゃなかったです!」


 ラステルは思わずリノの顔を凝視した。


「セリム!お前こそ礼節がなっておらん!」


 どっしりとして落ち着いたユパの声に注目が集まった。赤鹿に跨る堂々たる姿にラステルは自然と頭を下げていた。


「ラステル姫、我が国から王子を連れ出したというのに、今度は連絡も無しに堂々と来国されるとはどういう事でしょうか?」


 顔を上げるとユパが赤鹿から降りてラステルの前に移動してきた。言葉とは裏腹に微笑んでいる。ラステルはチラリとセリムに視線を投げた。セリムは小さく首を縦に振るだけだった。


「ご無礼をお許しください。夫共々父や兄を説得し東の国々への平和的支援を約束して参りました。一刻も早く自分達の口からお伝えしたかったのです」


 嘘は一つ。ラステルは姫なんかじゃない。あとは正しい。これで良いのか?と恐々とセリムを見上げたら小さく笑ってくれた。ユパもニコニコと笑っている。ホッとした。


「許しを乞いに戻りました。手土産はエルバ連合への食糧支援、今後の文化交流、そして……」


 セリムが口を開くとユパは険しい目になった。


「セリム!もう一度言う!礼節がなっておらん!」


 ユパの視線がアンリ長官とダンに注がれていた。二人とも敬礼して直立している。叱られたセリムはバツが悪そうに顔を歪めたが、すぐに笑顔に戻った。ラステルはリノと顔を合わせて笑いを堪えた。今度もリノはすぐハッとして俯いてしまった。嫌われていたらどうしよう。


「遠路遥々、西のペジテ大工房より我等を送り届けてくれた国防を担うアンリ、ダンです。アンリ、ダン、崖の国の王ユパである。こちらへ参れ」


 セリムはリノをラステルの方へと押しやった。ラステルはリノの両肩に手を添えた。するとリノは驚いたようにラステルを見上げた後にまた俯いてしまった。模造風凧の操縦をラステルに教えてくれた事をもう忘れられてしまったのかもしれない。寂しかった。


 アンリ長官は堂々と胸を張って、ダンは少しビクビクしながらセリムの横に立った。

 

「崖の国を治めるユパと申します。遠い異国より主の護衛、お疲れになりましたでしょう?」


 ユパがスッと手を差し出した。後ろの衛兵達が固唾を飲んで見守っていて空気がピリッとしている。すかさずアンリ長官がユパの手を握った。


「ペジテ大工房の国防を司る護衛人、その長官アンリと申します。部下のダンです。労いありがとうございます」


 アンリ長官に続いてダンがユパと握手を交わした。


「パズーはおるか⁈」


「はい!」


 ビクビクしながらパズーが護衛兵の間から出てきた。


「客人はお前に任せる。見ず知らずの者ばかりでは気も休まらないだろう。クワトロ、ヴァルボッサ、失礼のないように手配しなさい」


 パズーの後ろからクワトロが現れた。ラステルと目が合うとウィンクしてくれた。


「えー、僕も疲れているのに……」


 呻いたパズーがユパに睨まれクワトロに肘で脇を小突かれた。


「あの、ユパ王様。パズーは我が国の英雄です。どうか労いをお願いします」


 一歩踏み出してラステルはユパヘ懇願した。ユパが目を大きくして豪快に笑い声をあげた。


「それは話を聞くのが楽しみだ!ではセリム、ラステル、客人を案内しなさい。パズーは好きにしろ。済まなかった」


 呼び捨てにされてラステルは嬉しかった。セリムがラステルの腰を抱いたので手の甲を抓った。何度頼んだら人前ではしたない真似をやめてくれるのだろう。それを見ていたユパが肩を揺らした。


「あー、ラステル。人前で妻を恭しく扱うのはこの国の礼儀だ。恥ずかしくても従ってくれると助かるけど。僕が更に礼節知らずになってしまう」


 セリムに耳打ちされて反省した。他所の文化の妻となったのだからセリムから色々と学ばないとならないのについ忘れていた。


「姉達から教わりなさい。城塔へ帰る!」


 何もかも見透かしているというようにラステルへ囁くとユパは号令をかけた。丘に轟く威風堂々として宣言に場が震えるような気がした。衛兵がセリムに連れてきた赤鹿の手綱を渡した。アスベルは動かずにセリムを見つめている。ユパがアスベルの肩を叩いて衛兵達と去って行った。


「お前が英雄とはどういうことだ?」


「いや、僕は……別に……」


 クワトロに肩を抱かれたパズーがラステルを縋るように見つめた。


「私を何度も助けてくれたんですよお兄様!」


 クワトロがぼんやりとラステルを見つめた。それから大きく手を広げた。


「可愛い妹よ素敵な装いだ。また会えて嬉し……」


 ラステルが逃げる前にセリムとリノがクワトロの脛を蹴った。


「痛い!おい、愚弟は兎も角弟子まで何してくれる!」


 クワトロがリノを見下ろした。守ってくれたのかとラステルはリノを後ろから抱きしめた。


「ありがとうリノ君。お兄様の親愛は私には恥ずかしすぎて困ってしまいます。どうか手加減してください」


 リノがもがいてラステルの腕の中から逃げた。ショックを受けているとパズーがリノの背中を軽く叩いてた。


「顔真っ赤だぞリノ。まあ今のラステルはちょっと、いや大分可愛いからな。照れてるんだろ」


「違うよ!セリム兄ちゃん……師匠が怒るから逃げただけ!確かに綺麗だけど元々可愛い人だったから別に照れてなんかないよ!」


 リノがセリムを指差してすぐやめた。それから指を全部揃えてセリムを示した。ラステルをチラッと見たリノがもう一度真っ赤になって俯いた。恥ずかしがられていたのかとようやく合点がいった。かなりホッとしたしセリムの弟子に嫌われていないようで嬉しかった。


「良かったわ。セリムを連れて行ってしまったから嫌われたのかと思ったのよ」


 リノがブンブンと首を横に振った。それからパズーに何か耳打ちした。何だろう?


「立ち話もなんだ。さあ行こう」


 クワトロがラステルに手を差し出した。


「アンリ長官はヴァルボッサ、ダンはクワトロ兄が案内する。パズー、リノを連れて行ってやれ」


 セリムにアンリ長官が敬礼した。


「この自然豊かな国を歩きたいのですがどうでしょうか?我が部下の為にお許し下さい!」


 ダンがパァッと明るい表情になった。クワトロがすかさずアンリ長官の手を握って軽く口をつけた。アンリ長官が固まった。セリムがパチパチと瞬きした。何故かパズーも固まっている。ヴァルボッサも目を丸めていた。


「麗しい乙女の頼みとあれば叶えましょう。さあこちらへどうぞ」


「えー!女⁈」


 パズーが素っ頓狂な声をあげた。何を言っているのだろう。少年みたいな容姿だが彼女は可愛らしい女の子だ。凛々しい眉と目元のホクロがとても印象的でああいう凜とした雰囲気は憧れる。


「セリムも男の子だと思っていたの?見れば分かるじゃない」


 ラステルの発言にアンリ長官が驚いたようだった。


「そんな事滅多に言われないから驚きましたよ。訂正しておきますが乙女でも子でもありませんよ。これでもダンよりも年は上でアシタカ様と同い年ですから」


 やんわりとクワトロの手を離すとアンリ長官がダンの背中を叩いた。


「み、道案内よろしくお願いします!お世話になります!」


 ダンがクワトロとアンリ長官の間に立った。


「兄上、僕達は後ろから追いかけます」


 アスベルとセリムを見比べてクワトロは素知らぬ顔をして「さあ行きましょう」と全員を促した。


「先生、少し話をしましょう」


「ああ、聞かせてくれセリム。それからセリムの奥様」


 複雑な感情がこもってそうに茶色い瞳が揺れていた。棘はあるし恐れも浮かんでいる。けれども畏敬も感じられる。アピがセリムの背中から離れてラステルとアスベルの間に移動してきた。赤い瞳でジッとアスベルを観察している。アスベルも嫌悪と怒りの視線を向けていた。


 しかし両者とも手を出さずにただただ見つめ合っていた。

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