ペジテ戦役【醜姫と化物姫の出会い】

 地獄絵図とはまさにこのこと。死んでいった兵士たちの死屍累々を見下ろしながらシュナはゼロースが手綱を握る白馬で平原を戻っていた。想定外ばかりだがセリムの陽動に始まり、第四軍の奇襲は功をそうした。


 第二軍自体が奴隷や農民の集まり。目論見通り第四軍が説得しながら進むとあっさりと武器を離す者が多かった。反乱はほぼ成功で力がなく戦えないシュナはこれ以上進んでも足手まといなだけだった。


 ティダかカールが乗る紅旗飛行船フリストがジョン皇子の乗る大型飛行船ヴィルクを追っていた。チェックメイトはもう目前。背を向けてしばらく経つが、シュナには虚しいという感情しか湧いてこなかった。


 死に過ぎている。とても本国を攻め落とせそうには無い。元々望み薄な戦いだと覚悟はしていたが、人の死を多く見過ぎてまた新しい戦をする気にはなれない。


「王を討つのは賭けだな。第一軍は誘いに乗ってこなかった。軍事力に差があり過ぎる」


「シュナ様諦めるのですか?」


 ゼロースは不満そうだった。


「兵が望めばあらゆる策を考える。卑怯な手でもな。死なば諸共。選択権は私にはない。しかしその前に蟲が人の世を滅ぼすかもな」


 戦場で蟲の大渦を見た。気がついたら散っていたが今はけたたましい蟲の鳴き声と大地を揺らす振動がしている。


「あのままだと覇王ペジテが飲み込まれますね……」


「それで終わるのかが見当もつかん」


 ティダは理由は知らないがペジテ大工房は巻き込まないと息巻いていた。しかし蟲は生き物。人間の思惑通りにはならないようでペジテ大工房は沈黙を守っていたのに襲われそうになっている。食われても文句を言えないドメキア・ベルセルグ連合軍は攻撃されていないというのに。ベルセルグ皇国の用意した唄子とかいう術者は蟲を操るまでは出来ないとティダは言っていた。違うのだろうか?


「地にはペジテ大工房に向かう蟲の大軍。空には蟲の大渦。母上が良く言っていた。蟲に手を出してはならない。世界が破滅すると。処刑されても作戦自体を潰す努力をすればよ良かった」


「王の暗殺もことごとく失敗。シュナ様からペジテ大工房への密書には反応なし。励まれていましたよ」


 ゼロースの声は心底辛そうだった。


「あの男を覚えているか?崖の国の王子。名は確かセリム」


「ええ。不思議な目をした男でしたね。ラーハルト様の馬が懐いた時は驚きました」


 カールが意地悪く用意した失った主以外を認めない馬。ラーハルトの馬はセリムをあっという間に受け入れた。戦争前だというのに楽しそうに雪原を駆けている姿は子供のようだった。


「蟲を森へ帰すと言っていたが砲撃で撃ち落とされた。あれからだ。蟲が怒り狂っているのは」


「まさか?いや……」


 シュナの直感でしかないがゼロースは信じそうである。母ナーナのお伽話。蟲に心を開く者は絆を結ぶ。代わりに殺されると破滅をもたらす。ペジテの古い伝承らしい。


「狼がえらく気に入っている様子でおまけに私を見て尊敬の眼差しを向けた。あの男にもっと耳を傾けて協力してやれば良かった」


 後悔ばかりだ。ゼロースが無言で馬を進める。


「ペジテ大工房に密書ではなく命を賭して第四軍や民を受け入れてもらおうと嘆願すれば良かった」


「シュナ様は我等を見捨てなかった。第四軍が生き残る道を模索し、信用ならない狼を信じた。皆が知らなくとも私は知っています。貴方様が兵士や家族を庇護していたこと」


 大したことはしていないとシュナは自虐的に笑った。


「当たり前の事をしてきただけだ。私の命を守って死んでいったラーハルト、メルビンが残した第四軍。憎悪に染まる忠臣カールを人間に止める兵士達。死ぬのが恐ろしくて馬鹿な振りで這いつくばっていた蛆虫うじむしには勿体無い財産だ。この先どう守ればよいのか……」


「シュナ姫。手綱をしっかり握ってください!」


 ゼロースが叫ぶと同時に白馬が全力疾走した。戦闘機がこちらに向かってくる。速さでは到底勝てない。おまけに身を隠す場所などない。騎馬隊がシュナの盾になろうと戦闘機の前へ並び弓を放とうと構えた。


「兵よ逃げろ!」


 シュナが叫んだ瞬間白い布がはためいた。戦闘機の操縦席に仁王立ちする人物が騎馬隊から放たれた弓矢を棒で次々と払い落とした。短旋棍トンファー


「生きていたかシュナ!婿の生還だ!残念だったな!」


 高笑いしながらティダが白い布を掲げている。戦闘機は速度を落として近寄ってくる。白い布が服らしいというのが分かった。着陸と同時にティダが勢いよく操縦席から飛び出す。


「おいティダ!服を返せ!」


 後部の操縦席から人が降りてきた。服装はセリムと良く似ていた。シュナがティダからもらったペジテ製の顔全面が見える兜を被っている。青い目にそばかすだらけの白めの肌をした男。崖の国の民に違いない。


「ほらよっ」


 ティダは握っていた白い服を地面に投げ捨てた。雪と土が混じった泥から崖の国の男が白い服を急いで拾いあげた。


「この野郎!どれだけ侮辱すれば気がすむんだ!」


「あんな化物のものなんてこれ以上触っていたくもねえ!早く飛行機から降ろせ!吐き気がする!」


「化物?何を見ていたんだ!女神だろ!」


「頭蓋骨粉砕するぞパズー!」


 言葉とは真逆でティダは短旋棍トンファーを背中にしまった。睨むティダと体を震わせて直立したパズー。血気盛んなティダに食ってかったのにパズーはあっという間に蒼白になっていた。


「パズーに酷いことしたら許さないわよ!」


 女の声がして戦闘機を見ると、ティダが乗っていた操縦席から眉を釣り上げた白い肌の娘が顔を出していた。最後に会った時にティダが着ていた上着を羽織っている。頭にもティダが被っていたはずの珍妙な形の兜。夏の新しく芽吹いた植物と同じ色の瞳。落ち葉色の髪が風にたなびく。日焼けはしていないがグルド人か?


「何だと!」


「パズーに酷いことしないで!」


 立ち上がった女の肩で翻がえった上着。そのせいであられもない下着姿が見えた。


「ラステル!見えるというか見えてる!」


 ラステルが慌てて腰を下ろした。操縦席に隠れるようにして、顔を真っ赤にさせている。パズーが泥で汚れた服を持って慌ててラステルへと駆け寄った。


「良い気味だ!話しかけるなイカれ女!化物娘!さっさと降りろ!」


 嫌悪の表情でティダが女を睨み返した。パズーがラステルを背中で隠してぐるりと騎馬隊を睨んだ。しかしパズーは一気に顔を青ざめさせて両手を挙げた。勇猛なのか弱虫なのかよく分からない男だ。パズーが汚れて濡れているだろう白い服を着たラステルを抱きかかえてティダの横までやってきた。ティダの上着に薄いワンピース。赤くなっている生身の足元。どう見ても寒そうだ。体も震え唇は紫に変色ている。ティダは嫌なものを避けるようにラステルから目を背けてシュナに向き合った。


「おいシュナ。これからジョンの首が刎ねられたか見に行く。お前は俺と来い」


「どういう事だ?その二人は?」


 シュナが口を開いた直後にラステルがパズーの腕の中で暴れて降りた。裸足で雪の上に立ち上着をティダに向かって投げつける。それからシュナに微笑みを向けて優雅に会釈した。


「崖の国より参りましたラステルとパズーと申します。貴方様の旦那様に助けていただきました。ありがとうございます」


 呆気にとられていると隣でパズーがぎこちなく頭を下げた。ティダがラステルを乱暴に担ぎ上げる。剥き出しになりそうな下半身を庇うようにラステルがワンピースの裾を抑えた。

 

「貴方達の敵はもう逃げられない!蟲が貴方達に手を貸しました!どうか温情を!お願いします!これ以上この美しい雪原を血で汚さないで下さい!」


「俺がシュナに会いに来たんだ!黙ってろ!」


 ティダがラステルを抱えてない左手でラステルが被る兜を容赦無く叩いた。


「お願いします!」


 身をよじるラステルは可哀想に今度はティダに頬を殴られた。ぶたれた白い頬が赤くなったがラステルはシュナしか見ない。大人しそうな可愛い顔をしているのに、中身は違うらしい。


「ティダ!セリムに言いつけるからな!」


 パズーがティダの肩に手を伸ばそうとした瞬間、ティダがパズーに拳を勢いよく突きつけた。脅しなのかティダの鉄拳はパズーの鼻先で止まった。


「お前がかかってこい!臆病者の弱虫が!今のうちに二人揃って嬲りなぶ殺すぞ!」


「ひいいいい!何でラステルを担いであげたんだよ!お前は僕等に手を出さないね!今もそうだったしな!」


 情けない悲鳴をあげたあとパズーは胸を張った。ゴーグルの向こうでティダの目が面食らったように丸まった。


「煩い!ヴィトニルに食わせるぞ!」


「ヴィトニル?」


「大狼だ。お前の上半身くらい一口。餌にしてやる」


 得意げに語るティダにパズーが目を輝かせた。


「セリムが撫でてた白い犬っぽい獣?僕も触れる?」


 セリムは馬だけでなくあのティダにしか懐いていなかった猛獣を手懐けたのか。惜しい男を亡くした。


「そんなんじゃ食われるな」


 面倒臭いという風にティダが手をひらひらさせた。


「セリムは大丈夫だったんだろう⁈」


 ティダが呑気に世間話するとは驚きだった。チラリと見上げるとゼロースが大口を開けていた。


「ヴィトニルは自分で決める。食われかけたのに笑いながら自己紹介。お前に真似が出来るか?」


 騎馬隊から感嘆の声が上がった。大狼に迂闊に近づいて足を食い千切られた兵がいたし、セリムがラーハルトの馬を手懐けたのもここにいる兵は知っている。ゼロースが何ていう男だと呟いた。


「うへえええ。無理だそれ。何してるんだよセリム」


 それにしてもセリム、セリムと煩い男だ。パズーの雰囲気はセリムとは全く違う。王家では無いのは明らかだ。なのに崖の国の王子を友人みたいに親しげに呼ぶ。死んだと知らなそうだ。知っていたらこんな呑気に話をしていないだろう。話しに付き合うティダの初めて見る穏やかな笑みに面食らった。


「ティダ!パズー!いい加減にして!私はこのお姫様と大事な話があるのよ!」


 またティダがラステルの被る兜を叩いた。兜を抑えたラステルのすらりと滑らかな手にキラリと宝石が煌めく。左手の薬指に凝った細工の施された指輪が嵌めていた。ティダが舌打ちしてラステルをパズーに向かって放り投げてパズーが受け止める。しかしラステルは自分を受け止めたパズーから離れてまた雪の上に立った。ティダが目を丸める。


「何なんだよ馬鹿娘。足が腐るぞ……」


 大きなため息を吐いてティダが小さく呟いた。雑な扱いだが庇ってやっていたのかと今度はシュナが目を丸めた。


「お願い事をするのに失礼だもの。民思いのドメキア王国シュナ姫と存じ上げます。貴方の作戦と大義を止める理由を私は持ちません。しかしなるべく穏便にしていただきたいのです。どうか憎しみを捨てて下さい」


 ラステルは膝をついて両手を握りしめてこうべを垂れた。パズーが慌ててラステルの横に同じように並び頭を下げる。ラステルの体はガタガタと震えていた。


「顔を上げよ崖の国のよ」


 ラステルが大きな瞳をさらに開いてシュナを見上げた。


「分かるさ。似たような台詞を崖の国の王子から聞いた。凍傷で足を切り落とす事になるぞ。一先ず話を聞く。飛行機の翼にでも乗れ」


「ありがとうございます」


 弾けるような笑顔をしてからラステルは素直に飛行機へと歩き始めた。


「ヴィトニル!」


 大声で叫んだティダの視線の先に純白の獣が揺らめいていた。あっという間に近寄ってきて大きく口を開き三度吠えた。空気が震える。ティダが大きく手を広げて駆け出した。


「飛べ!」


 大狼が牙を剥き出しにして飛び上がり、飛行機とシュナの中間くらいに立っていたラステルの前に着地した。大きな唸り声でラステルを威嚇する大狼。振り返ったティダは愉快そうだった。脅かそうとけしかけたのだろう。ラステルは恐怖で固まっているように指一本も動かさない。隣でパズーも固まっている。


「ヴィ、ヴィトニルさん。ラ、ラステルです。ラステル・レストニア。貴方が触らせてくれたセリムの妻です。お礼を言います。ありがとう」


 大狼がラステルの足元に腰を下ろした。


「ちっ。匂いか。ったくヴィトニルはどれだけセリムを気に入ったんだよ」


 つまらなそうにティダが戻ってくる。騎馬隊から拍手が巻き起こった。ティダが睨みつけて止めさせた。


「僕はパズー。ヴィトニル……」


 手を出そうとしたパズーに大狼が顔で雪を舞い上げてぶつけた。それから大きく唸った。


「まあ乱暴はやめてちょうだい。パズーはセリムのお友達よ。貴方が素敵すぎるから少し触りたかったのよ」


 大狼が唸るのをやめて不服そうに前脚をパズーに差し出した。ティダが愕然としている。パズーがうきうきとしながら大狼の前脚に手を伸ばした。大狼は前脚でパズーの手を下から払いティダに三度吠える。それから立ち上がってラステルの身体に身を寄せた。


「良かったなパズー。触らせてもらえて」


 腹を抱えてティダが大笑いして大狼に近寄った。それからラステルの体を抱き上げた。今度は丁寧に横抱き。シュナもゼロースも騎馬隊も言葉を失っていた。


「ヴィトニルに免じて一旦認めてやろう。ラステル」


 ティダは飛行機までラステルを運んでいき左翼に下ろそうとすると大狼がティダを鼻で小突いた。ティダは飛行機の陰に座った大狼の背にラステルを乗せた。


「崖の国とはどんな国なんですかね?」


 ゼロースの声は驚きと畏敬に満ちていた。飛行機の前にゼロースが馬を歩かせたのでシュナは外套を外そうとした。その前に騎馬隊数名が先に外套を差し出すように持って飛行機に駆け寄っていく。寝そべった大狼がチラリと近寄る馬を見たが興味なさそうだった。目を瞑って大人しくしている。ラステルを労わるように集まった兵とパズーが彼女の体に外套を巻いた。ティダが不愉快そうな顔をして戻ってくる。


「くそっ。ヴィトニルにここまでされたら無下にするのは恥だ。セリムめ!畜生!」


 ティダが怒りを発散するように雪を蹴り上げた。


「私はあの娘が気に入ったぞ。この顔を見て動じない。大狼に好かれる。兵も虜になったようだし嫌いなのはお前だけみたいだな」


 ラステルがシュナと目を合わせた時、セリムと同じように親愛を感じた。


「あくまでセリムの女だからだ。間違いない」


 ティダが大狼と会話できるのは知っている。しかしシュナにはそうは見えない。多分この場にいるティダ以外の者の目にもラステルが大狼に受け入れられたとしか映っていない。


「あの女は蟲が好きで堪らないらしい。お前の顔なんて蟲に比べりゃ可愛いもんだ」


 またティダが雪を蹴り上げた。余程腹が立っているらしい。


「蟲を好き?」


 到底信じられない。


「俺にもさっぱり理解出来ない。蟲森の民らしいがあんな女蟲森にはいない。あの女、蟲を操る化物だ。ジョンの飛行船を蟲に襲わせて雪と変な液体で固めやがった」


 嫌悪で頬をピクピクさせてティダがラステルを睨んだが彼女は気づかない。騎馬隊に微笑みかけて大狼の頭を撫でている。大狼がまた三度吠えた。ティダが舌打ちして大きくため息を吐いた。


「とんでもない女だ。ヴィトニルをたぶらかしやがったのか。俺は破壊神と手を組む気はねえのに」


 諦めたようにティダがまた深く息を吐いた。

 

「私は自分の目しか信じない。あと生き様こそ全て。あのような娘を無下にするのは恥だ」


 ティダの台詞をそのまま返してやった。案の定ティダは釣り目をさらに釣り上げてシュナを睨む。それから勢いよく飛び上がってゼロースの外套を掴んで投げ捨てた。シュナが驚いているうちにティダが颯爽と白馬に跨った。ゼロースが雪の上で呻く。


「こんな屈辱初めてだ!ヴィトニルが懐こうと俺はあんなイカれた化物は嫌いだ。クソ野郎ども」


 そう言いながらティダはゆっくりとラステルの方へと馬を進めた。ティダがここまで頑なにラステルを疎む理由がシュナには見当もつかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る