ペジテ戦役【高笑いする男と鳥の人】

 黒い雲の中の小型飛行船内で男は望遠鏡を覗きながら腹を抱えて笑い続けていた。酒の空瓶が増えていく。


 「あーあ、こりゃまた地獄絵図だな」


 愉快だと薄い唇を更に薄くする。


 「なんて楽しい祭宴に参加しそびれたんだろうなぁ。まぁた蟲森が増えるか下手すりゃ今度こそ大陸が沈む」


 「ふふふ」


 「あはははははは!」


 満足するまで笑い続けて男はふと目を細めた。


 「ペジテは今度こそ悪魔の炎を使うかぁ?使えよ?使えよな!」


 手を叩きながらまた長々と笑った。


 「それにしてもあの飛行蟲の群れは不可解だ。何かおかしい」


 蟲の大群がペジテ大工房へ向かっていたのに、今度はノアグレス平野の中央に向かっていく。その繰り返し。その上空に飛行蟲が竜巻のように飛び回っていた。どの蟲も真紅の瞳をしている。まるで火柱。数百年生きている男にとってこの蟲波の様相は初めてだった。望遠鏡で蟲の群れの中心を探る。


 一際大きな大蜂蟲アピスの脚が何か抱えている。


「もっと拡大できるやつはあるかぁ?」


 いそいそと木偶人形パストゥムが別の望遠鏡を持ってきた。


 「人形人間プーパじゃねぇか」


 雪と同化しそうな白い肌。波打つ土色の長い髪。見覚えのある愛くるしい顔立ち。そして蟲と同じ獄炎の瞳。蟲の脚にあやされるように揺られている。相変わらず表情が無くて気味が悪い。


 「どの人形人間プーパだ?」

 

 あらゆる可能性を考慮したが男には判断不可能だった。深く椅子に腰掛けて観察し続ける。


 「なぁーんか顔が違ぇなぁ。それに幼い。あの年齢ってことは俺のじゃねえな。ペジテが禁断に手を出したってことか?どこまで何を隠している都市なのか分からねぇからなぁ」


 キセルから煙を吸ってゆっくり吐き出すと男はもう一杯酒を飲んだ。


「捕まえたいがこの大蜂蟲アピスの数は無理だよなぁ」


 男は空になった酒瓶をまた放り投げた。大蜂蟲アピスの大群、その大渦へ飛び込んで行く鳥が見えた。いや小さな一人乗り用の飛行機。


 「風の友人は根を越えて絆を繋ぐ。その者鳥の人テルムねぇ。今回は本当に鳥ってわけだ。毎回毎回良く出てくるな。ぜーんぶ大蜂蟲アピスの掌、はないから脚の上ってわけねぇ」


 男は立ち上がって高々と腕を振り回した。


「好機は目の前。祭りの終わりには早すぎるぜ。難攻不落のペジテが陥落寸前ってかつてない大祭り。とりあえずあの擬似テルムを撃ち落とすっかなぁ。それから人形プーパを回収すりゃあ天下も見えるってもんだ」


 木偶人形パストゥムが命じなくても男の身支度を整えていった。


***


 セリムの腹部の傷の応急処置が終わった。状況はなんとなく理解しているようで分からない。パズーには途方も無い話で頭がついていかない。セリムはアシタカを連れてもう一度蟲と語り合いに行こうとしているのは分かった。起き上がろうとするセリムの体を抑えて首を振る。


「そんな体じゃもう飛べない」


 言っても聞かないというのは重々承知している。けれどもパズーは口にせずにはいられなかった。


「行きたいんだパズー。僕がそうしたい」


 鍛えあげられた体に力が無い。パズーの非力さでも床に抑えられるくらいセリムは弱々しい。しかし幼い時から変わらない強情な目。こういう目をしている時のセリムは誰にも止められない。


「僕だってセリムを止めたい。勇敢と無謀は違う。これは誰の言葉だ?」


「耳が痛いな……」


 苦笑しながらセリムがパズーを押し返して起き上がった。セリムの顔が苦悶で歪むのでつい力が緩んでしまった。ハクがパズーの肩を掴んで首を横に振った。しかしパズーは止めなかった。


「まず生きよ。自らを大切にして愛せ。死は悲しみを産む。誰の言葉だ?」


 涙が抑えられなくて頬にポロポロと涙が落ちていく。パズーは服の袖で目元を拭いセリムを見つめ続けた、


「パズー……」


「状況を見極めよ。自己を過信しすぎるな。一人の力では成せないこともある。誰の言葉だ!」


 セリムが「ごめんな」と小さく呟いて立ち上がった。すまなそうにアシタカが後ろに続いた。パズーは立ち上がってセリムの肩を掴んだ。


「背負い過ぎるな!誰の言葉だ!」


 好奇心が強くて我儘で好き勝手に生きる王子。しかしそれが許されるように民の模範となっていたのも、国の為に勤めてきたのも知っている。蟲森遊びと揶揄やゆされてもセリムが蟲森へ足を運ぶのは好奇を満たすのが目的ではない。病を克服するため。子が無事に産まれるように。より良い暮らしを求めていたからだ。


「パズーもうやめろ。セリム様は偉大な道を行く」


 ハクに羽交い締めにされながらパズーは暴れて叫んだ。


「大嘘つきの馬鹿野郎!」


 セリムは振り返らない。セリムが風詠を選んだのは、飛ぶのが好きだというだけではなく国に一番貢献する仕事だからだ。そのセリムが過去のどの時よりも自分の為に生きようとしている。パズーには分かる。蟲を宥めて争いを諌めるとか、戦いに終止符を打つとかセリムはそんなことを考えていない。


「お前はただラステルを連れ戻したいだけだろう!」


 セリムはただ好きな女の元へ飛びたい。抱きしめたい。連れ戻したい。それだけだ。そうでなければセリムはこんな勝算のない行動はしない。思慮が足りなくて直動的な男だが、ここぞっていう時は冷静だ。今は焦燥で我を忘れている。


「冷静になれ!お前の言葉を忘れるな!」


 困惑したようにセリムの青い瞳が揺れる。ハクがパズーを離した。パズーはセリムに掴みかかった。本来ならばひらりと避けられるのにセリムはわざとパズーに捕まるようになすがままで逃げなかった。


「パズー。リノに言い残してきた。生きている尊さを愛せ。人を愛せ。生き物を愛でろ。心臓に剣を突きつけられても真心を忘れるな。憎しみで殺すよりも許して刺されろ。憎悪では人は従わない。それがレストニア王族の矜持。僕はそれに従う!」


 パズーは首を大きく横に振った。アシタカもハクも、ヌーフや他の誰もがパズーを理解できないというように怪訝そうにしている。


「パズー。危険だから止めたい理由は分かる。しかしこれはもう他の誰にも委ねられない。セリムは僕が守ろう。約束する」


 アシタカがパズーの手首に触れた。その手をセリムがそっと離させた。それからセリムはパズーを抱きしめて悲しそうに囁いた。他の誰にも聞こえないように。


「その通りだパズー。僕は蟲にラステルを渡したくない。僕が今すぐ会いたい。行かせてくれ。いや、行く」


 他に道がないと錯覚させて我を通すのはセリムの十八番おはこ。大抵の場合セリムは判断を誤らない。セリムの決断は正解になる。けれどもこういう我儘が過ぎる時、セリムは痛い目をみてきた。パズーには分かる。今からセリムが進むのはそういう破滅の道。そういう嫌な予感しかしない。


 するりとセリムの体がパズーから離れた。行かせるかと駆け出してパズーは大鷲凧オルゴーとセリムの間に立ちはだかった。

 

「恥を知れアシタカ!ペジテのために行くなら自力で行け!セリムの尻に乗るな!」


 両腕を広げてパズーはアシタカを睨んだ。


「何だと!」


 予想通りアシタカは苛立ちを隠さずにパズーを睨み返してきた。


「僕の為の挑発だ。構うなアシタカ。飛行機なんてあっという間に襲撃さ……」


 セリムの言葉を遮るようにパズーは続けた。


「お前の腕なら蟲なんかに捕まるか!我が国の誇り高き妃がこの国の為に祈っている!なのに彼女の最愛の者を死へ誘うというのならこんな国滅んでしまえ!滅びろ!」


「悪いパズー。押し通る」


 パズーへ鞭を振り上げようとしたセリムの腕をアシタカが抑えた。


「何が言いたいパズー」


 意外に冷静なアシタカに面食らう。もう少し腹を立てると思っていた。それからパズーはふと考えた。「セリムの尻に乗るな」僕はどうだ?


「ラステルは蟲に守られてる。セリムも蟲に守られる。お前が成すべき大義にもうセリムを巻き込むな」


 セリムの腕が下りた。アシタカが目を大きく見開く。ならアシタカ一人で行かせるのか?それは臆病で卑劣な行為だ。


 違う、お前はそんな男ではないとパズーの胸の奥から叫び声が響いてきた。テトの怒り狂った顔が脳裏をよぎる。あなたはそんな男じゃないと怒りに燃え盛る幻聴。パズーは思わず笑い出しそうになった。


「そこのカールとかいう蟲殺しもアシタカも僕が背負う。セリム、僕が行く」


 自然と口から出てきた台詞にパズー自身が驚いた。しかしとてもしっくりときた。パズーは護身用にと渡されていた短剣をさっと抜いてアシタカとセリムに投げた。絶対に避けると判断して思いっきり投げつけた。二人が怯んだ隙に大鷲凧オルゴーを精一杯押す。蟲があけた穴から突き落とすはずが、まるで後押しするように強い横風が吹いてきて大鷲凧オルゴーが舞い上がっていった。


 風の神の導き。


 感嘆が込み上げてきて全身の毛が逆立つようにゾワリとした。みるみるうちに大鷲凧オルゴーは小さくなっていく。


「パズー!何するんだ!」


「セリム!お前の我儘な身勝手が過ぎるといつも厄災ばっかりだ!頭を冷やして良く考えてから飛べ!その前に僕がラステルを連れ戻すから待ってろ!」

 

 自分にそんな力は無い。蟲の声なんて分からない。ペジテの歴史、蟲の出自や今の蟲の怒り。そして蟲と去ったラステル。何もかもが分からない。でも友が死へ向かうのを見送るのは崖の国の民ではない。そんな男は偉大すぎる羊飼いの娘を迎えに行けない。パズーは総司令室に停められている戦闘機に飛び乗った。


--怖くないの?多分、化物よ私


 真っ青な顔をして震えていたラステルは可哀想なくらい怯えていた。ラステルの発言やその得体の知れない身の上が怖くてたまらなかった。パズーが告げた「テトが信じた人を疑うか」という言葉は建前でしかない。しかしラステルと知り合って間もなくても、この先理解し合えると信じたかった。それにセリムの選んだ人だからというのもあった。


--その誇りを忘れない。テトに恥じない女でいるわ


 パズーが本心ではないと悟っても、大粒の涙を流して可憐に笑ったラステル。パズーを見つめる若草の目に宿っていた感謝に賞賛。そして安堵と強い喜び。セリムが愛し、テトが受け入れたなんて情報は関係なく、パズー自身がラステルを好ましいと感じた。


 ざっと見渡して操縦系統を確認してすぐにエンジンを入れた。セリムとアシタカが近寄る前に機体を動かし始めた。


 蟲が総司令室に現れた時、パズーの前で鎌みたいな脚を振りかざした。あれこそ本気で死ぬと思った。腰が抜けて動けなくて目を閉じたけれど何も起こらなかった。そっと開いたまぶたの向こうにいたのは無表情のラステル。そして聞こえた小さく不思議な声。


--私変な女なの。蟲に蟲だと思われている。それで私は蟲に頼んだの。テトの事を守って欲しいって。蟲は承諾した


 あの時ラステルはきっと蟲にパズーの事を頼んだ。絶対そうだ。そういう女の子だからたった一人で蟲を宥めようとしている。セリムが万全ではないからパズーが行く。崖の国の民として国の誇り高き妃ラステル朗報セリムの無事を届けなければならない。


 風の神もそう言っている。


 男は度胸!決断力!


 パズーは叫んで飛び立った。


***


 紅の炎が燃え上がり


 大地が震える


 風の友人は根を越えて絆を繋ぐ


 その者鳥の人

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る