羊の毛刈り

羊雲の下で羊の毛刈りをするというのはなんだか笑える。刈り取った毛を綺麗にして空に投げたら雲が増えたりしないだろうか。そんなくだらないことを屈託のない笑顔で喋るセリム。それに大きな笑い声をかけながら羊を抱えて毛を沿っていくテト。何とも微笑ましい光景だ。

パズーはいったい自分は何をしに来たのかと後悔した。羊には嫌われて毛刈りの役に立てないし、テトはセリムと楽しげで居場所がない。柵に腰を掛けてただ足をぶらぶらさせて二人の会話に耳を傾ける。


「なあパズー、聞いてるのかよ。」

「ん?」


我ながら間の抜けた声だと思ったが構わなかった。むしろ不機嫌が表に出なくてよかったと胸を撫で下ろした。


「だからさ、髪飾り用の留め具だよ」

「髪飾り?」


いったい何故そんな言葉がセリムの口から出てきたのか皆目見当もつかなかった。柵から落ちそうになり慌てて姿勢を正す。テトと目が合った。明らかに怒っている。丸刈りになった羊を離してテトが近づいてきた。


「全然聞いて無かったでしょ。手伝う気持ちもないし。」

「羊が逃げるからだろ。」

「油臭い手を少し嫌がってるだけよ。」


腰に手を当てて仁王立ち、釣り目には避難の色。パズーも負けじとテトを睨み返した。


「染みついて取れないんだから仕方ないだろう。」

「違うわ。やる気の問題よ。この子達はそんなに必死に逃げてるわけじゃないんだから!」

「めえめえ煩くて耐えられないんだよ。」


久しぶりに会って喧嘩とはますます居場所がなくなる。パズーはいっそ帰ろうかと柵から降りた。険悪な雰囲気の中へセリムが近寄ってきてテトの肩を叩いた。


「その通り。パズーにやる気なんて無いよ。テトが元気か見に来ただけだからさ。」


正直にも程がある台詞にパズーは焦った。かなり焦って後ずさり、後ろの柵に体をぶつけた。テトが怒ったように眉を吊り上げている。だが今度は怒りというより困惑している表情。ただの希望、願望なのだが。


「忙しい中わざわざ来たんだから怒るなよ。」

「え、あ、うん。」


しおらしく頷いてテトは羊を抱きかかえた。目を合わせられない。セリムに両手両足を広げられて間抜けな格好をさせられている羊を見つめた。

その後ろでセリムが愉快そうにニヤニヤしている。いつか絶対やり返す。

滑稽なのはわざわざ会いに来た相手と碌に話そうともせず、おまけに喧嘩腰になった自分の方なのだが、腹は立つ。


「最近会って無かったからさ。」

「忙しいってセリムから聞いてる。」


お互い目も見られない。ぎこちない雰囲気。


「セリム、髪飾りってどういうものが作りたいんだよ。」


空気を変えたくてパズーは不自然に話を振った。セリムがくすくすと笑うのを更に睨みつけた。無論効果は無い。


「フェルトで花みたいな形を造るんだ。髪にはさめてなおかつ痛くないような留め具を付けたい。で、その留め具は何でどう作るべきかなって。」


新しい発想やそれを実現させる実験が好きなセリムだが、今回はそういうのとは少し違うようだった。

いつからだろう、急に心底嬉しそうに口元を綻ばせ、ぼんやりとした瞳で空を見上げるようになった。真摯に研究に没頭するか、猫のような目を子供のように無邪気に輝かせてはしゃぐようだけだったのに、まるで知らない男のような表情を見せる。

つい先ほどの気まずさも忘れ、パズーは思わずテトに囁きかけた。


「なあテト、あいつもしかしてずっとあんな調子だった?」

「ええそうよ。パズー、貴方さっきの会話以外も上の空だったのね。」


呆れきったテトの返事にパズーは別に、とぶっきらぼうに返す。


「ならセリム、いくつか試せそうな材料があるし試作品を作っておいてやろうか。」

「いや、自分で一から作りたいんだ。だから付き合ってくれよ。」


満面の微笑み。嬉しい、楽しいといったものではなく別の感情が含まれる笑顔。こんな表情を見るのは初めてでパズーは呆然とセリムを眺めた。それに気が付かないのかセリムは鼻歌交じりに再び毛刈りに取り組む。

これは女か。ついに。

誰だか予想してみたがさっぱりだ。


「全然思いつかない。」


大きくない国だ。年頃の女はそう多くは無い。見た目も性格も申し分ない王子、おまけに風詠であるセリムに憧れる女は多い。でも誰も踏み込まないのはセリムの蟲森遊びを恐れているからだ。

その畏怖を克服しセリムに手を伸ばすような女がいれば噂にならない訳がない。おまけに研究に夢中なセリムを振り向かせられるようなそんな者がいれば、誰より早くパズーが気がつく。何せセリムの行動範囲を考えるとパズーが知らない女性な訳が無い。

国内にいるセリムと1番長い時間を過ごすのは、王族よりも他でもないパズー自身。

でも駄目だ、全然思いつかない。

蟲森遊びの途中で誰かと知り合ったのかもしれない。


「パズーが分からないなら私にはさっぱりよ。さっきからパズーに目配せしてたのに。」


またもや不満声のテトに今度は何も言い返さずにいた。セリムの素直であからさまな態度を見習うべきかもしれないと思ったからだ。


「フェルト多めに作れよセリム。俺も使う。」


横にいるテトを見下ろした。目が合って頷いたらテトは日に焼けた頬を少し赤くして不機嫌そうな顔になった。

もっと可愛げのある照れ方、例えば笑顔とか、そうすればいいのにと不満に思うのだがそれでも嬉しい。パズーは胸を撫で下ろした。同時に照れくさくてそわそわする。


「そうか、分かった。」


パズーとテトを見て満足げに笑うとセリムの手で羊はすっかり丸坊主。テトが視線を泳がせながら、まだこんもり毛のある羊を取り押さえた。パズーも気恥ずかしくてテトから離れてセリムの傍に移動した。それからセリムの足を軽く蹴った。


「何時の間にだよ。」

「昨日思いついたんだ。」

「いやそうじゃなくて……。」


自分の意図した回答とは全く別の言にパズーは肩を落とした。きょとんとしてセリムがパズーを見つめた。その無自覚さが可笑しくてパズーはこみ上げる笑いを堪えた。そんなパズーにセリムは不思議そうに瞬きをした。

馬鹿正直な男だからそのうちパズーの目の前に意中の女を連れてくるだろう。セリムが作った髪飾りで着飾るまだ見ぬ女の子に早く会ってみたい。

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