ラステルという名の少女

どこからどう見ても人間の女の子。

レストニアの良く働く、快活で健康そうな褐色に日焼けした女たちとは違う。

真珠のように白い肌。

彼女は白いワンピース以外に何も身に纏っていなかった。キヒラタの笠から足を下ろしてぶらぶらと揺らす素足。滑らかな足首に毒胞子が触れては跳ねる。

その楽しげな表情にセリムは目を疑い、それから見とれた。

緑色の大きな瞳。紅の差す柔らかそうな頬と唇。

初めてオルゴーを見たときのあの胸の高鳴りと同じくらい心臓が激しく鼓動している。

彼女は風変わりな髪形をしていた。いくつもの団子に縛った長い茶色い髪が風に揺れるたび、装飾の青い石が煌めいた。女の子自身が輝いて見えるのはそのせいだろう。

声をかけたいが、緊張で体が固まっていた。あまりにも予想外の事態に戸惑いが強いのだろうと思った。

人が蟲森で無防備な姿で生存している。それは夢でしかありえないような状況だった。セリムは深呼吸して落ち着こうとした。ちっとも鳴り止まない心臓の爆音。

普通の人間とは違うところといえば、彼女の耳が少し尖っている。そのくらいだ。

1番の衝撃は、玉蟲を抱え、子犬のように撫でていること。


{人じゃないのか……?}


困惑と落胆を感じた。その時彼女の腕の中から玉蟲が「ギー」と鳴き声を上げて逃げて行った。

その瞬間、セリムの視線に女の子の緑色の瞳がぶつかった。彼女はびくりと肩を震わせ、困ったように眉を顰める素早く立ち上がった。そしてくるりと背を向ける。


「待って!」


セリムは思わず声を上げて足を進めた。彼女のいたキヒラタを迂回し彼女が消えた方へと向かう。背丈の低いキヒラタへと降りていく彼女を見つけるとセリムはもう一度叫んだ。


「待って!」


彼女は振り返らない。当然だろう。得体のしれない人間が追いかけてくるのだ、怖いに決まっている。それにセリムは帽子やマスク、それに兜とゴーグルで顔が覆われているのだ。得体のしれない存在に、こんにちはと挨拶する人間などいる訳がない。

岩や滑る苔の上を走るセリムとは違い、平らなヒラギを走る彼女の方が早い。だがセリムがヒラギに登れば、その間に姿を見失ってしまうかもしれない。転びそうになりながら追いかける。


「なあ待ってくれ!」


枝の低いカザフにぶつかりそうになり、頭を下げた。それがいけなかった。頭を上げた時には彼女を完全に見失ってしまった。落胆がセリムを襲った。力が抜けてその場に座りこむ。切れた息を整え、大きく溜め息を吐いた。


「隠れて!」


突然だった。

腕を引っ張られたかと思うとすぐ横に先ほどの女の子がいた。頭一つ低い彼女の体があまりにも近くて何が起こったのか思考できなかった。手を回せば抱きしめているようになる距離。

煩い心臓の音を聞きながらセリムは冷静になれと自分に言い聞かせた。興奮で彼女を質問攻めにしてしまいそうだった。


「あの。」


口を開くと彼女の指がマスクの前に置かれた。長くすらりとしたその指はレストニアの女性のささくれだった無骨な指とは違う。

マスク越しでも分かる。

彼女は周囲を確かめるように顔を振った。それから目を瞑り何かを聞いている。しばらくすると彼女はほっとしたような表情で目を開いた。それからはっとしたようにセリムを見上げて体を離した。何かを迷っているような表情で瞳をきょろきょろさせている。


「あの。」

「あの。」


口を開いたのは同時だった。お互い言葉に詰まり再び沈黙となる。セリムがもう一度口を開くより先に彼女が声を出した。


「誰にも言わないで、私の事。それから出来れば忘れて」


言うが早いが彼女は背を向けた。セリムは思わずその手を掴んだ。ここで別れたらもう二度度会えないだろう。


「君の名前は?どこに住んでいるの?どうして防護服なしで蟲森にいられる?隠れてってなにから?」


一気に疑問を並べてから、しまったと思った。彼女は困ったようにかぶりを振った。だが無理やりセリムの手を振りほどこうとはしなかった。


「僕はセリム。セリム・レストニア。君は?」

「セリム…。」

彼女は独り言のようにつぶやくと、罰が悪そうに俯いた。

それから何かを吹っ切ったように微笑んだ。太陽のように眩しいその笑みに何故か胸がギュッと締め付けられた。


「私はラステル。本当はずっと貴方と話がしてみたかったの」

「え?」

「いつも捻じれカザフのあたりにいるでしょう?だからあなたの事知っていたわ。でもずっと話しかけられなくて……。まさかこの姿で会ってしまうなんて思わなかったけど」

セリムは思わずラステルの手を離した。


「私の事、絶対に誰にも言わないって約束してくれる?」

「約束する!絶対に誰にも言わない」


 思わず大声になっていた。そのせいで驚いたのかラステルは目を丸くした。それからまたふんわりと微笑んだ。


「うん。」

唯の口約束だが、その信頼のこもった返事にセリムは固く決意をした。

親愛なるアスベル先生がレストニアに帰ってきたとしても、彼女の事は話さないと自らに誓う。

ラステルが不意に顔を後ろに向けた。先ほどと同じその様子に、セリムには分からない何かを察知しているのだろうと感じられた。


「行かないと。」

「また会える?また来るから!明日だって明後日だって毎日だって来るから」


言ってから物凄く恥ずかしい台詞を吐いたと気が付いて顔が熱くなった。ラステルは変に思わなかったようで嬉しそうにセリムの手をとった。


「本当?それなら私、貴方に会わせたい子がいるの。明日また来てくれたら連れて行くわ」

「来る!絶対に」

「それならいつも貴方が森に来る時間くらいに捻じれカザフのところで待っているわ」


手を振って去っていくラステルにセリムは命一杯手を振りかえした。

森の奥へ消えていくラステルの姿を、名残惜しくて最後まで見つめ続けた。

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