第46話 往生



『壁の向こうに動体反応無し。 何かが潜んでいるという訳でもなさそうです』


「本当にそうだといいんだけどな!」



 一対一の果たし合いを制するも、大破同然となったドラグリヲから勢い良く飛び出す雪兎とカルマ。


 二人は羅刹号が展開していた結界の残滓を潜り抜け、扉の脇に備えられていたコンソールへアクセスすると、すぐさま内部への侵入を試みる。



 カルマの報告に加え、保険として半壊したドラグリヲの主砲を扉へと向けてはいるが、内部に何が潜んでいるか分からない以上、これでも十分な対策が打てているという保証は無く、雪兎の背筋を脂汗が伝う。



 最も、カルマは己の解析結果に絶対の自信を持っているのか、扉が開くと共に液状化して内部に滑り込むと、SFにでも登場するかのような仰々しい機械に迷い無く取り付き、データの海へと潜っていった。



『中央制御コンピュータの掌握開始。 ユーザー、貴方は周囲の警戒をお願いします』


「早めに済ませてくれ、このまま首領を死なせる訳にはいかない」



 首領なら間違いなく大丈夫。 何度もそう自分に言い聞かせつつも、神話級害獣の恐ろしさを身をもって知っている以上、絶対そうだと確信が抱けないのか雪兎の表情は至極暗い。 そんな不安を少しでも誤魔化す為か、雪兎は何気なく周囲を見渡すと、壁に沿って無数に設置されていたカプセルの存在に気が付き、それらのうちの一つに近づきながら呟いた。



「しかしホント、レトロSFみたいな光景だな。 泡立つ正体不明の液体の中を、これまた正体不明の物体がコードを無数にぶっ刺されてプカプカ浮いてる様子なんて、生じゃ中々拝めないだろう」



 つい先ほどまで感じていた何者かの敵意が完全に霧散している事があまりに不自然で、雪兎は自ら近づいたカプセルを背にしながら注意深く索敵を継続する。 非常口の類いは一切見つからず、かといって隙を見て正面から馬鹿正直に逃げても主砲の的になるだけだが、砲撃が行われていない以上、そこから導き出される答えはただ一つ。



「まだ居るはずだ、まだこの部屋のどこかに!」



 自分の目は節穴ではないはずだと、雪兎は遮蔽と遮蔽の合間を低い姿勢で縫うように飛び回りながら敵を探すが必死の捜索も虚しく、それらしい人影は一切見つからずに雪兎の心に焦燥感を抱かせる。 そんな中、一通り調査を終えたのか、カルマの姿を象ったホログラムがモニターの中に顔を出すと、怪訝な顔をして主人の奇行を咎める。



『何をまた馬鹿やってるんですユーザー、敵ならすぐ目の前にいるじゃないですか』


「すぐ近くだと? まさかこのミートボール擬きが?」


「そうだ! そこのクソ野郎共がアタシらを地獄に叩き落とした元凶だよ!」



 カルマの指摘を信じられず周囲の肉塊を二度見して立ち尽くす雪兎だが、外から響いてきた怒鳴り声を聞くとすぐさま正気を取り戻して顔を上げる。 刹那、周囲に飾られたものと似通った形状の肉塊が猛烈な勢いで飛来し、雪兎の付近の壁に叩き付けられると、盛大に鮮血を吹き出しながら破裂した。



「首領!!!」



 何とか間に合ったと雪兎は安堵の表情を浮かべ、頼もしい声を張り上げる上司へと視線を向けるも、喉元まで上がってきた無事を喜ぶ言葉を思わず呑み込む。



 雪兎が目撃したのは、立って歩けている事が不思議なほどに傷付けられ半死半生となった首領の姿。 自慢の燃え上がるような赤毛は無残に切り刻まれ、身体の大部分の皮が引き剥がされて筋組織が露出し、右肘より先が食いちぎられたかのように欠損している。



「首領……その姿は……」


「驚くようなことじゃないさ、あれだけの数の神話級を相手にすればアタシだって手抜き出来ないし無傷でもいられない」



 思わず駆け寄って肩を貸そうとする雪兎をやんわりと退かせながら、首領はカプセルの中に浮かぶ大量の肉塊を一瞥すると、心の底からの軽蔑を示すが如く意地の悪い笑みを浮かべる。



「人という生物を侮蔑するあまり、人と同じ姿ですらいられなくなったか……。 最低限の生命維持活動すら自前で行えない今の貴様らのどこが、高貴で気高い神聖な上位生命体なんだろうな?」



 破裂した肉塊の断片を見せしめのように踏みにじり、周囲の肉塊に宿った意識の恐怖を遠慮無く煽っていく首領。 やがて彼女は、返事一つすら満足に出来ない肉塊達が収容された装置にゆっくりと近づいていくと、モニターの中から顔を出していたカルマへ気さくに尋ねた。



「カルマ、アタシの大事な大事な仕事道具をラジコンにして遊んでいたクズはどいつだい?」


『上座から14番目、死んだふりをしてやり過ごそうとしている馬鹿がそうです』


「ああそうかい、そんじゃ早速そいつから順に報いを受けさせてやろうかね!」



 カルマの応答を聞くが早いが、首領の傷だらけの身体がまるで山岳地帯を駆けるカモシカの如く躍動すると、カルマに示された肉塊が首領の拳によって一瞬でミンチ肉と化し、破壊されたカプセルの中から漏れ出した培養液と交わって制御室の一角を汚い赤色に染める。 無論、首領の凶行はそれだけに留まらない。



「死ね、死ねよ蛆共! 人様が血と汗と涙を流して紡いできた歴史を遊び半分で全部ぶっ壊しやがった蛆野郎共がああああ!!!!!」



 身体の底から溢れ出る憎悪のまま、首領は片っ端から肉塊共が収められたカプセルを砕いては潰し、投げ飛ばしては叩き割る。 飢餓と獣欲に狂った羆の如く、怒号を吐きながら殺戮を楽しむその姿はまさに悪鬼そのもの。



 首領の過去に何があったのかは、勿論雪兎は一切知らない。 故に苦言を呈するつもりも無い。 しかしここまで普段の様子とかけ離れた姿を見せられては、雪兎も動揺を隠せずにはいられなかった。



「……首領、差し出がましい質問かもしれませんが一つだけ質問させて下さい。 貴女は一体コイツらに何をされたのです?」


「アタシ自身は何もされちゃいない。 コイツらが誰かさんに嘯いた偽りの希望のせいで何もかもが台無しにされたってだけさ。 ……それ以上無作法に踏み込むようならアンタでも頚を刎ねられると思え」


「……っ」



 命の危険を感じるほどに鋭く冷たい殺意。 神話級との戦闘中でさえ感じることの無かった圧迫感に完全に気圧され、雪兎は息をすることすら出来ないほどの恐怖に呑まれる。 もっとも、それを放った当人もやり過ぎだったことを察すると、首領はバツが悪そうに小さく笑いながらプレッシャーを収めた。



「まっ、アタシの個人的事情なんざどうだっていい。 わざわざコイツらを嬲り殺す為だけに苦労してここまで来た訳じゃあないからな。 カルマ、首尾はどうなってる?」


『上々です。 ここの連中には豚の真珠たる貴重な研究データも抽出し終えましたし、後はこの舟の連中に散々利用された同胞を取り返して帰るだけです』


「そいつは結構、ただくれぐれも注意だけは怠らないでくれよ。 奴等の考えることだ、どうせくだらない嫌がらせの一つや二つ仕込んでいるだろうさ」



 実際あったらあったで報復すればいいだけの話だと、首領は周りの肉塊達に冷たい視線を投げ掛け、いつでも斬り捨てられるよう鯉口を切っておく。



 ――カチリと小さな金属音が二つ、先ほどまで小汚い悪意を宿していた肉片がばらまかれた空間に広がる。 すると、カルマが取り付いていた大型機械が仰々しく蒸気を吹き上げながら分解され、内部に収められていたコアが二人の前に解放される。



『お久しぶりですグレイス、私のことを覚えていますか?』



 全ての作業が滞りなく完了したのか、カルマは元の姿に戻ると共に急いで解放したものに駆け寄る。 カルマが動いたことで薄まった蒸気の幕の中に現れたのは、カルマとは全ての要素が相対する存在。



 健康的に焼けた浅黒い肌と腰の強い銀の髪に蜜柑色の瞳、そして凜々しい顔つきをした腕白な印象の少年だった。



「男の子? ……いや違う! コイツはまさか!?」


「そうだ、羅刹号を拝んだ時から薄々勘付いていたかもしれんが、かつての人類は世界樹の細胞をも手中に収めていた。 この子もそういったロストテクノロジーから創り出されたうちの一種。 親殺しの為に造られた哀れな命の一つだよ」



 身の底から本能的に溢れ出す恐怖と警戒心を剥き出しにして構える雪兎の背中を軽く叩き、心配いらないと促しながら首領もカルマに続いて恩寵の名を冠する少年に歩み寄り、抱き上げようとする。 しかし当の少年は正気を取り戻した瞬間に顔色を変えて猛然と首領の手を拒否し始めた。



『駄目だリン! これは罠だ! 俺をここから連れ出しちゃいけない!』


「残念な話だが、多少の被害は目を瞑らなきゃアタシらはもうやっていけないんだよ」


『多少の被害じゃ済まないんだよ野蛮人!』



 まさに元気小僧といった見た目に相応しく乱暴な口調で拒絶しつつ、グレイスと呼ばれた子供は首領の手を遠ざけようとするも、首領の腕力に敵うはずもなくアッサリ捕らえられてしまう。 すると、それを契機に雪兎の背筋へまたしても反吐が出るほどの悪意の視線が突き刺さり始める。 運良く死なずに済んでいた肉塊達がまるでこの展開を喜ぶかのように。



「何だこいつら、もう残らず駒を取られて王手って状態なのに何でこんなに余裕なんだ!?」



 何かがおかしい。 そう雪兎も思い始めた矢先、今まで沈黙を保ってきた機械音声が再び天井から響いてくる。



『下等人種の相互破壊保証侵害を確認。 報復として本艦はこれより家畜放牧次元へ転移後、自爆を敢行し太陽系に残る全ての生命を滅殺します。 天に昇る我らを仰ぎ見ながら、地獄に堕ちろ畜生共』



 自らの滅びが確定しているにも関わらず、勝ち誇ったかのように尊大な口調で述べられる口上。 それが盛大に鳴り響く中、グレイスは一人呟く。



『……馬鹿なことをした。 聞いただろう? これでもう全部おしまいだよ。 君たちの努力も全て水の泡だ』


「問題ない。アルフレドに宣告を喰らって以来、こうすることはハナっから決めていたことだ」


『何だって? どういうことか説明しろ! リン!』



 戸惑うように顔を上げたグレイスを地面に下ろしつつ、首領は今度はカルマと視線を合わせると、その小さな肩に手を乗せながら微笑む。



「カルマ、これからは雪兎がお前さんの一番の主人だ。 社の連中が何とほざこうが気にすることはない。 今までと変わらず坊やを支えてやってくれ」


『ご安心を首領。 たとえroot権限からユーザーを変えるよう指示を受けようと、私は私自身の意思で彼を支えるでしょう』


「……そうか、お前さんも随分優しくなったな」



 昔のことを思い出したのか、首領は感慨深く頷きながらカルマの言葉を噛み締めるように聞いてやる。 そうして最後に、背後まで駆け寄ってきた雪兎の頭に手をやると、小さな頃からそうしてやったようにワシワシと撫でてやった。



「ちょっ……首領……?」


「悪いな雪兎、アタシはここで脱落だ。 アタシはこの舟をリンボに隔離して一人で死ぬ。 そうすれば少なくともアタシらが元いた場所は滅ばずに済む」


「な……、いきなり何を馬鹿なことを言い出すんです!? どんな綺麗事を吐き散らそうが死んだらそれで終わりだって散々言ってきたのは貴女じゃないですか!」



 そんな勝手なことはいくら上司であろうと認められないと、雪兎は半ば激昂しながら首領に掴み掛かろうとするが、首領自身が展開した結界によって無理矢理中央制御室からカルマとグレイスごと弾き出された。



「グッ!」



 思い切り頭から地面に叩き付けられ、痛ましい悲鳴を上げながら地を舐める雪兎。 その様子に首領は申し訳なさげに頭を下げると、役目を終えた機械に背を預けて座り込んだ。



「アタシだって死にたくないさ、だがこの舟を安全に処分するにはこれしか手が無い。 これはアタシにしか出来ない仕事なのさ。 アンタが自分の気持ちを殺して呉を焼き尽くしたのと同じようにな」



 静かに、そして確固たる意思を持って言葉を紡ぐ首領。 彼女は雪兎が絶望に満ちた表情をして立ち上がったのを確認すると、傍らに転がっていた愛刀を結界越しに躊躇いなく投げ渡す。



「これは……」


「餞別だ持ってけ。 アンタの腕じゃアタシほどの大暴れは出来ないだろうが、絶対に折れない剣ってだけでも十分価値があるはずだ」



 環境に応じて分子配列や質量を変えるグロウチウム。 その性質は刀として打ち直されても健在であるようで、雪兎が刀を掴んだ瞬間、刀身を覆う鞘ごと太く重い大きな鉈のような形状へと姿を変える。



「そいつもお前を主人に鞍替えする覚悟が出来たんだ。 当のアンタがいつまでも縮こまってるんじゃ無いよ!」


「うぅ……!」



 首領の一喝を受け、雪兎は表情を伺わせないよう深く俯くと、カルマとグレイスを脇に抱えてそのまま走り出した。 投げ渡された刀を決して放さぬよう、手から血が滲むほどの力で掴みながら。



「まったく、最後の最後まで情けない野郎だった。……だが、あの甘さがあったからこそあいつはカルマに見放されなかったのだろう」


 


 牙を固く噛み締め、零れてくる涙を必死に堪えながら走り去っていく雪兎の背中。


 それが影に至るまで完全に消えるまで見送ると、首領は今まで我慢していた煙草をゆっくりと吹かし始めた。



「本当に何年ぶりかね、こうやって何もかも忘れて自分の時間を過ごせるのは」



 バニラの薫りを含んだ紫煙を燻らせ、少しでも長く味わおうと深く呼吸を繰り返しながら、首領はただぼんやりと何もない宙を見上げ、独白する。 長かった、ただただ無意味に長すぎた人生だったと。



「もし生まれ変わりというモンが本当に叶うのであれば……、そうだな“次郎”今度こそアンタと……」



 時の流れに翻弄され、老い耄れてしまった元旦那の名。


 異形を身に宿してしまったが故に、共に老い耄れることも出来なかった聡明だった男の名。


 誰もが知らぬ鰐淵翁の下の名前を呼び、首領は目を瞑る。



「結ばれたいものだ、そして子を成したいものだ。 本当のアンタとアタシの子を。 ふふふ、おかしなものだ……、ただの生体兵器が……子を宿す夢など……」



 轟々と唸りを上げて消滅のカウントダウンを開始する“ユートピア”


 それがちょうど1を数え、転移の瞬間を見計らったところで首領は結界を全力で展開し、肉塊共の目論見を阻止する。



 狂気染みた愉悦から絶望に叩き落される罪深き者共。


 それらの絶望を一身に浴び、何とか一矢報いたことを微かに喜びながら、首領は光に呑み込まれて虚無へ還った。



 雪兎の体内に、己の力の欠片という希望を遺して。

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