第37話 哄笑
「お父さん何で? 何でずっと嘘を付いてきたの?」
二匹の異形によって破壊された教会の前で、ノゾミは咽び泣き続けている。
今まで何度も心をくまなく覗き、理解してきたつもりだった存在。
傲慢で身勝手で、家族の事を道ばたに転がる石のように軽んじていたはずの父。
だが、死の目前にした父を通し自分の中に入ってきた真の記憶は、そんなノゾミのイメージを根底から覆し、力に目覚める前の幼い日々を思い出させるに至っていた。
いつも明るく元気で、先に起きた不幸など感じさせないほどにポジティブだった父の面影。 それが、結果的に母を殺した自分に対する気遣いだったことを今更になって悟る。 身を引き裂かれるような悲劇に遭って尚、娘の為に身と心に鞭を打って気丈に振る舞い続けた父。
だがそうとも知らず、アルフレドの精神内で形成された偽の記憶を読み続け、一方的に恨み続けていた己の浅はかさに打ちのめされ、ノゾミはただただ罪悪感に悶え続けていた。
「こんな惨めな思いをする位なら私なんて最初から生まれなければ良かった……。
私さえ生まれようとしなければ、きっとお母さんだって長く生きられたはずだったのに!」
己の背から生えた片羽をへし折らんばかりの力で掴み、一人涙を零し続けるノゾミ。 だが、すぐ耳元で何かの羽音がしたことに気がつくと、黙って涙を拭って顔を上げる。
はらはらと落ちていく黒い羽の導きのもと、ノゾミのそばに降り立ったのは異形のカラス。
一目で尋常なものではないと分かるそれは、ノゾミの周囲の地面を啄みながらさりげなく彼女に近づくと、そのまま寄り添うように座り込んだ。
「何……何なの……」
害獣の類では無いのかと怯えた表情を浮かべて後ろずさり、命を奪われる恐怖に駆られるノゾミだが、対するカラスは彼女の気を引くために手を軽くつつく以上のことはせず、そのまま空に舞い上がってノゾミの意識を空へと向けさせた。
凄まじい殺気を宿した黄金と白銀の帚星が、絶えずぶつかり合う暗黒の空へと。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「殺してやる、殺してやる!」
一刻も早くアルフレドの仇を取るべく、雪兎は胸の底から溢れる激情のままにドラグリヲを疾駆させる。
全身に配された火砲という火砲から砲弾が撃ち出される都度に爆炎を伴った熱風が渦を巻き、振りかざされた刃は猛烈な勢いで周囲から熱を奪いながら細氷を零していく。 当たればそのままトドメへ持っていけることは想像に難くない、文字通り必殺の一撃が豪雨のようにサンドマンの周囲を乱れ舞う。
だが当たらない。 全く持って当てられない。
まるで前もって攻撃される場所を知っているような動きで、サンドマンはドラグリヲの攻撃を最低限の動作で弾き、凌ぎながら容赦無くカウンターを重ねていく。
「無駄だ、今の私には君の動きが手に取るように分かる。
小技を絡めようが勢いを強めようが、君の刃は私に届かない」
「ご忠告どうも。 礼代わりにテメェの喉笛を引き裂いてやる!!!」
サンドマンの嘲りが再三に渡って雪兎の怒りの度合いを高めていき、それに応じてドラグリヲの力は限界知らずに増していく。
しかし、強すぎる力は時としてあらぬ災いをもたらすもの。 その証左として、地上では街を襲う謎の爆音と閃光に追い立てられた人々が着の身着のままで逃げ惑っていた。
「おやおやいいのかい? 君のおかげで縮み上がった小猿共が馬鹿面しながら地に伏せてるぞ?」
「いいわけないだろ! 今すぐこの街から離れやがれ!」
「あぁそれはイヤだね、頭下げられたって出来ない相談ってやつだなぁ。
使えるものは何でも使ってマウントを取るのが人間らしさというものだろう?」
墜落すれば大きな被害が及ぶであろう場所をこれ見よがし飛んで見せながら、サンドマンはドラグリヲに攻撃を加えていく。
雪兎の視覚どころか、カルマのセンサーにすら映らない不可視の何か。
それは、ドラグリヲの対応し難い部位を何度も的確に打ち据え続ける。
ドラグリヲの攻撃に比べれば蚊の刺す程度の威力しかないが、数を重ねればどれだけ小さな傷も、やがては大きな災禍の前兆として芽を出す。
『基幹フレーム損傷拡大。 腕部内蔵火砲損壊により一時使用を禁じます』
「ふん、化け物の分際でやけに堅実じゃないか」
「ワンチャンスで全てひっくり返せる君が相手なら仕方のないことだ。
最も、このまま君とじゃれあうつもりはないがね」
「そうかい、なら望み通り地獄だか煉獄だかに送り還してやる!」
何度も攻撃を受けた結果なんの役割も果たせなくなった装甲をパージし、サンドマンの懐深くに潜り込むべく跳躍するドラグリヲ。
だが、対するサンドマンは高見の見物とばかりにさらに大きく舞い上がると、向かってくる殺意の塊に侮蔑の視線を向けたまま悠長に笑い始めた。
「テメェ! 一体何がおかしいんだよ!?」
敵の出方や考えが読めず、雪兎がドラグリヲの腕を叩き付ける事を躊躇する僅かな間、何故かフォース・メンブレンが前触れもなく微かに波打った。
機体の振動から生まれる波とは違う、明らかに機体外由来の不自然な揺らぎ。
それは、雪兎に最悪の展開を予感させ、程なく確信させる。
「このクズがああ!!!」
雪兎が血相を変えて叫んだ瞬間、ドラグリヲがサンドマンとは真逆の方へ疾駆する。 背中を晒す危険を顧みず向かった先は、避難民でごった返したシェルターの前。 収容が予定通りに運ばず、身を寄せあって恐怖に耐える民衆をかばうように、ドラグリヲは両腕を目一杯に広げて強く地面に爪を食い込ませた。
刹那、見えない何かがドラグリヲの背面装甲に突き刺さり、機体内に循環していたグロウチウムが血飛沫よろしく吹き上がる。
「ぐうううう!!!」
「人聞きが悪いことを言ってくれるな真継君。 無駄な犠牲が出るのは私としても本意では無い。 私はただ君を信頼していただけなのだよ。 君ならば間違いなく彼らの命を救ってくれるとね」
マインドリンクを通して伝達された痛みに雪兎が怯み、ドラグリヲの動きが鈍ったのを見逃さず、サンドマンがドラグリヲの背中に刺さった不可視の凶器を思い切り蹴り上げると、ドラグリヲは破砕された装甲を盛大にまき散らしながら弾かれたように飛んでいく。
勿論被害はそれだけに留まらず、背部装甲を貫通してコックピットに入り込んだ凶器の先端がそのまま雪兎を貫き、メインモニターを深紅に染めた。
「あ……が……あ……」
『ユーザー!?』
「自らの危険を顧みず同胞を護り抜くという意志は敵ながら尊敬に値するよ。
君のような希有な存在が、ヒトなどと言う害獣の木遇であっていいはずがない」
見えない何に身体を引き裂かれたことに現実感が無いのか、雪兎が宙に浮いた己の血痕をまじまじと見つめるなか、代わりにカルマが眼の色を警戒色である黄色に変えながら叫ぶ。
『しっかりしてユーザー! 今治療を……』
「玩具の分際で男同士の話に口出しするか。 身の程を弁えろブリキ細工が!」
ホログラム化して現れたカルマが応急処置に緊急治療用ナノマシンを投与しようとするも、激高したサンドマンが不可視の凶器を強く握ると、宙に浮いた雪兎の血痕から銀色のなまめかしい輝きを放つ触手が幾つも生え、正面に鎮座していたコンソール内部に侵入する。
直後、カルマは世界の終わりを目撃したかのような壮絶な表情を浮かべ、膝から力無く崩れ落ちた。
『何故……害獣がグロウチウムを……』
普通の人間のように苦しみに悶え、愛らしい顔を痛々しく歪ませるカルマだが異変はそれだけに留まらず、やがてホログラム化した本体どころか、紡がれる言葉からモニターに映る文字に至るまで、カルマの自己表現に関する全てのものがバグまみれとなり、一切の意志疎通が不可能にされる。
「くっ……カル……マ……」
「これで邪魔者はいなくなった。 今こそ再会を喜び、大いに語らおうじゃないか」
「ふざけるな! テメェのことなんざ知らないと何度言えば分かりやがる!」
「本当にそうかな? 少なくとも私は二度君の顔を見ているぞ。
一度は君が街ごと猿共を焼き尽くす前日、そしてもう一度は……」
イヤらしく嘯いた後、サンドマンは思い出して見ろと言わんばかりに言葉を切ると、ドラグリヲから不可視の凶器を引き抜き、今度は百舌鳥の早贄の如く朽ちたビルの外壁に串刺しにする。
そうして仕上げとばかりに気取ったポーズを決めると、今まで不可視だった凶器がゆっくりと具現化を開始した。
月の光を浴びて浮かび上がったのは、下品なまでに装飾が施された黄金の剣。
雪兎の身体から迸った鮮血を帯び、僅かにしっとりと濡れた大質量の鉱物の塊。
「うぅ……!?」
その剣に、雪兎は何故か見覚えがあった。
否、厳密には忘れようとしていたと表現した方が正しい。
当時幼かった雪兎にとって余りにも酷だった故、無意識に封印していた記憶。
それは小さな呼び水を契機に深淵から喚び起こされると、雪兎の頭の中をただそれだけで埋め尽くした。
見知った地域の人々、近所に住んでいた年の近しい友達、そして燃えるような赤い瞳を宿した逞しい男と、抜けるような青空を思わせる瞳を持った線の細い女が文字通り引き裂かれる記憶。
「親父……母さん……? まさか……まさかお前あの時の……!」
心根すら焼き尽くすような爆発的な怒りよりも、僅か一瞬先に顔を出す驚愕の感情。 攻撃も防御も、身じろぎすらも忘れたその完全なる隙をサンドマンは見逃さなかった。
サンドマンは直ちにドラグリヲの正面装甲を無理矢理引き剥がすと、アルフレドから奪った猛禽の瞳で雪兎の顔を覗き込み、恍惚とした笑みを浮かべながら囁く。
「ようやく捕まえたぞ、無防備になった君の心を。
今こそ裸の君を見せてくれ。 建前も媚びも無いまっさらで綺麗な君を。
そうして君も、私の幸せな下僕の一人となるがいい」
「っ……!?」
為す術など無かった。
精神を陵辱される不快感に目を逸らすことすら許されず、雪兎はサンドマンに深層心理への侵入を許してしまう。
「先にさよならを言っておこう真継雪兎君。
強がりだった君にはもう二度と逢えないのだからな」
数秒前の必死だった表情とは打って変わり、だらしなく鼻水と涎を垂らし硬直した雪兎をまるでゴミを見るような目で眺めながら、サンドマンは勝利を確信しで笑い始めた。
まるで悪意に満ち満ちた人間が人々の不幸を喜ぶように、下種で汚い引き笑いを旧都の端から端まで伝わるような大音量で響かせ続けた。
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