第35話 幻視

 限界生存圏と危険地帯の境目を、無知蒙昧な3流メディア達が飛ばしたヘリがあてもなく右往左往している。


 道ばたに散らかった犬のフン以下の価値すら感じさせない妄言を垂れ流し、公共の電波を真っ赤に染め上げるが、今はそれに耳を傾ける者はいない。



 彼らを飯の種から追い散らしたのは、列島のみならず現存する数少ない国家から派遣された調査団。 浮遊戦車と重装歩兵、そしてアーマメントビーストによって厳重に守られた彼らの目的は、突然生存圏付近で確認された異変の調査。


 生存圏追放刑にかけられた重罪人の確保や、突発的な難民の流入といった小さな問題に紛れるように伝わってきた、神話級害獣の死骸発見という知らせ。それは世界中の軍人や研究者を震撼させ、殺到させるには十分過ぎる理由だった。



 好奇心や功名心の赴くがままに研究者達は現地に着くやいなや、赤土の大地の上にばらまかれたドリアードの死骸へ蟻のように群がっていく。 彼らはさっそく貴重なサンプルを確保しようと労働者達に命じるも、その段になってようやく一機のアーマメントビーストが死骸の下に隠されていたことに気が付いた。



 手も足も首も根本から千切れ、胴体と尻尾しか残されていなかった鋼の骸。


 その中身を確認した瞬間、複数の調査員達が驚いたようにあっと声を上げる。


 彼らが目撃したのは、全身傷だらけになり痛々しく短い呼吸を繰り返す雪兎の姿。 常人では明らかに死に至るようなおびただしい量の血を流しながらも、意識を失う程度で済む生命力の強さは、資料に飢えていた研究者達を驚嘆させる。



「これがかの戦女神が見出した逸材か」


「なんと素晴らしい! 許されるならばすぐにでも持ち帰って解剖を実施したいものだ」


「やめとけ、あの人外ババァを怒らせたらタダでは済まないぞ」



 研究者然とした男がにこやかな表情を浮かべながら素直な感想を呟くと、護衛として傍らに立っていた重装兵が軽くたしなめ、通報を受けて集まってきた兵士達に引き渡す。


 ただ一人の人間を担ぎ出すにしてはあまりにも過剰すぎる規模の集団。


 しかしそれこそが、国際世論が雪兎に対して抱いている感情の表れであった。


 海の向こうより雪兎に向けられた感情は、まごうことなき恐怖。


 強すぎる力に対する一方的な恐怖が、少しずつ雪兎の運命を狂わせ始めていた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 痛みが無意識下にある雪兎を蝕む。 極度の興奮によって抑えられていた痛みが危機が去ったことから認識され始め、雪兎を文字通り生き地獄へと叩き落とした。


 骨折、断裂、貫通とただでさえ軽視出来ない傷が間断なく雪兎に激痛を伝えるも、左腕から全身に張り巡らされた神経繊維が、お節介にも雪兎の身体を強靱なものへ造り変えていき、発狂することすら許さない。



「うぅ……」



 少しでも苦しみを紛らわそうと雪兎は身を捩らせるが、何故だか身体が全く動かせない。 これが俗にいう明晰夢の前兆たる金縛りという奴なのかと思案するも、夢を見ている暇は無いと気合いを入ると、まだまだ本調子ではない身体に鞭を打って無理矢理に目を見開く。すると、暗黒に包まれていた視界が徐々に晴れていき、雪兎は何故身体が動かせなかったのかを自ずと理解した。



 目を覚ました雪兎の視界に飛び込んできたのは、まるで鉄骨のように太く強靱な構造体によって補強された拘束具付きのベッドの一部と、害獣隔離用の超強化ガラスに特殊合金製隔壁、そして独房全体に設置された監視装置。 それらの仰々しい設備は、雪兎に己の立場の危うさを理解させるには十分だった。



「ワザワザここまでやる必要ありますかね」



 拘束具をわざとやかましく鳴らしつつ、雪兎は真正面の天井に吊り下げられたカメラに向かって愛想笑いを浮かべるが、それに対してのアクションは一切ない。 雪兎が目覚めたことには気付いているであろうにも関わらずにである。



「一体何が望みなんです? 何の用もないならここから出してくださいよ!」


「出すわけがないさ。 君のような貴重なモルモットを人が手放すはずがない」


「……貴方も僕と同じ立場でしょう、アルフレドさん」



 聞き覚えのある声を耳にして雪兎は誰が近くにいるのかを察し、嫌み混じりに返答するも、内心強い焦りを覚える。アルフレドの声に隠れて僅かに聞こえた羽根同士が擦れ合う音。 それは即ち、アルフレドが異形の証たる黒翼を体外に解放している事実に他ならない。



「何を馬鹿げたことをやってるんです!? その姿を見られたら貴方だってただでは済まない!」


「気遣いは無用だ、ただの人間には今の俺を認識することが出来ないからな。


 今、俺を観測出来るのは君を含めて世界でも片手で数えられる位しかいない。


 そして、俺が基因となって起こった事象も奴等には簡単に把握出来ない。


 俺はそういう都合の良いインチキが出来る化け物なんだよ」



 そう言いつつ、アルフレドは雪兎を縛る拘束具をさりげなく緩めると、雪兎の視界内に自らの姿を収めながら笑って見せた。



「よくやり遂げてくれたな坊や。 あれだけ膨大なリンボの観測データを突きつけられれば、世界中のお偉方も海や島に逃げれば安全などという甘っちょろい幻想を捨ててくれるだろう。 感謝するぞ」


「感謝ねぇ、人を一方的に訳の分からない場所に突っ込ませておいてよく言うよ」



 赤の他人同然の自分どころか、顔見知りすらも躊躇い無く騙くらかした事実に対する不満を露わに、雪兎はアルフレドへ冷たい視線を投げかける。


 しかしふと、先に脱出させた皆のことを思い出すやいきなり血相を変えて声を張り上げた。



「アルフレドさん、あの後皆はどうなったんですか!?」


「安心しろ、うちの教団の敷地内でちゃんと保護している。


 あそこなら軍隊だろうが企業だろうが誰にも手出し出来ないさ。


 最も、気安く旧都に侵攻しようものなら例のつがい龍に抹殺されるだろうが」



 だから落ち着けと、アルフレドは一言付け加えながら雪兎の額に指を突きつけ、強い暗示を飛ばす。 すると雪兎の身体から自然に力が抜け、心を埋めつつあった不安も溶けるように消えていく。



「そうか……良かった……」



 過労の極みにあり、少しでも眠っていたいと心の何処かで思っていた故か、暗示の効きがすこぶる良く、雪兎を強烈な眠気が襲う。 胸に抱いていたたくさんの疑問を睡魔の霞の向こう側へ覆い隠すように。



「駄目だ……目を開けていられない……」



 自分が知らされていない事柄を知る数少ない機会だというのにと、自らの意志に反して全身から力が抜けていくのを感じながら雪兎は内心歯噛みする。


 だが、額に一滴の雫が滴り落ちたのを自覚した瞬間に、雪兎は何故か瞼に塞がれた先の光景が見えたような気がした。



「アルフレドさん?」



 閉じられているはずの視界の中にぼんやりと浮かんだのは、自ら親指に傷を付けて血を流すアルフレドの姿。 一体何をしているのかと、ぼやけた意識を必死に覚ましながら雪兎は無理矢理瞼を押し上げて問いかけようと口を開いた刹那、紡ごうとした言葉を思わず胸の奥に押し込み、困惑のあまり黙り込んだ。



 視覚を通して雪兎の頭脳に流れ込んできたのは、付近に存在するものに関するありとあらゆる情報。


 不測の事態から主を護るべく天井と一体化し監視を続けるカルマの姿から、己を収監した施設に駐屯する兵士達の何気ない個人情報まで、何もかもがはっきりと“視える”



「何だ? 何なんだよこれは一体!?」


「さっさと目を閉じろ、脳が焼き切れるぞ」


「いきなりそんなこと言われたって……」



 知りたくもない事象を脳へ直接刷り込まれる苦痛に耐えられず、雪兎は思わず反射的にアルフレドへ視線を送る。 彼ならばこの苦痛を止める手段を知っているのではないかと縋るように。


 だが、雪兎の望みに反して勢いを強めた情報の波は、ただでさえ混乱のさなかにあった雪兎をさらなる混沌の渦の底へ引き込んでいった。


 雪兎の頭の中へ新たに流れ込んできたのは、何時か何処かで生きていたと思われる誰かの人生の記録。



 ノブリスオブリージュを体現すべく、害獣の体組織を体に受け入れる政治家。


 数多の襲撃を退けながらも、沈みかけた舟にしがみつき故郷の地を目指す兵士。


 優しい眼差しの父と笑顔が眩しい母と手を繋ぎ、満面の笑みを見せる幼子。


 そして、分娩台に乗せられた女性の腹部を臓器ごと吹き飛ばし、産まれ出た異形の赤子を呆然とした表情で見る男。



 三者三様、場所も立場も何もかもが違う誰かの記憶が、雪兎の感覚全てを塗りつぶしながら入り込んでくる。



「うわあああああ!?」



 何故こんな訳の分からないものが見えるのか、自分の気が狂ったのではないかと雪兎は己の正気と存在を疑い始め、遂には自分が本当は何者であるのかという永遠に答えが出ることのない思考のデッドロックに陥った。



「僕は……一体……」



 混乱のあまりに過呼吸を起こし、怯えたように表情をこわばらせる雪兎。


 その様を哀れにでも思ったのか、アルフレドは雪兎の瞳を覗き込むと一際強い思念をぶつけて束の間の安息へ強制的に誘う。



「もういい、今見たもの全てをサパッと忘れて黙って寝てろ。 やはり君のようなお人好しに全て継承させるには、この力はあまりに重すぎたようだ」



 泡を吹きつつ身を傷つけるほどの狂乱から、夢さえ見ないほど深い眠りへ。


 機嫌の良い赤ん坊を寝かせるように易々と雪兎を無意識へと導くも、アルフレドの表情は暗く、虚ろなままで変わらない。



「隣の芝は青いとは良く言ったものだ。 君は自分を取り巻くもの全てを理解する知識を欲したようだが、俺は君のように全ての理不尽をねじ伏せる力が欲しかったよ」



 瞼を押し上げ、人ならざる者の証たる瞳を外気に晒しながら、アルフレドは名ばかりの傍観者を恨み憎むかのように眉間に険しく皺を寄せる。



「全てが見通せる力なんて不相応なもの、俺にはいらなかった。 俺はただ、家族と平凡に過ごせればそれで十分だったのに。


 ……だが、神とかいうサディスト気取りのつまらない野郎がそう決めちまったのなら仕方がない」



 小さく寝息を立て始めた雪兎の傍らから静々と離れ、アルフレドはマジックミラー状に加工された超強化ガラスに映った自分の目を覗き込む。


 超現実的な力により全てを暴き出す極まりきった千里眼の力。 それは力の主たるアルフレド自身にも残酷な結末を突きつける。



 アルフレドが対面させられたのは、自らに残された命の刻限。


 示されていた時間は、僅か13時間後の丑三時。



「全く、神って奴は本当に惨い奴だよ。 人が本当に欲するものは一切くれない癖に、欲しくもないものを一方的に押し付けて平然と対価を要求しやがる」



 以前から把握してはいたものの改めて宣告されると流石に気が滅入るのか、自信と余裕に満ちていたアルフレドの表情がどことなく強ばる。


 最も、それで潰れてしまうほどヤワでは無いのか、すぐさま気持ちを切り替えて不敵な笑みを浮かべると、天井に溶け込んだカルマが気を利かせて開けてくれた穴に飛び込み、そのまま空高く舞い上がった。 白昼堂々、常識ではあり得ない光景が展開されるが、それに気がつく者は誰一人としていない。



「さて鰐淵、お前への義理と課せられた役割は確かに果たした。 これからは俺の好きにさせて貰う。 遺される者達のより良き未来の為にも」



 眼下の町並みを眺めつつ一人呟くアルフレドの脳裏に浮かぶは、身勝手な理由で母を捨てたと偽の記憶を見せつけられ、怒りを露わにするノゾミの顔。


 生まれながらに異形を宿した子供の為に、その身を捧げた妻の最後の形見。



「未来、最後くらい俺を見ていてくれ。 君と同じ場所に逝けず、地獄に落とされる俺の哀れな様をな」



 今は亡き最愛の妻の名を呼びながらも、禍々しい眼差しの先にあったのは今宵必ず現れるであろう敵の影。


 奇しくもその姿は、黒翼を広げたアルフレドの姿ととても酷似していた。



 まるで、雄々しく羽根を広げた天使のように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る