第16話 黄泉

 闇の中に濛々と噴煙が吹き上がる。


 あらゆる有機体の成分を無茶苦茶に組み替え、永久の眠りへと導く致死の霧。


 それは地を這う様に沈澱すると、細菌から獣に至るまであらゆる生命の存在を許さない完全なる無菌空間を作り上げた。



 気配の源は根絶され、遠方で打ち寄せる波の音だけが都市の中に響く。


 数分までの喧騒がまるで嘘の様に静寂に包まれる要塞。


 その中に、地の底より顕現した忌むべき化け物が佇んでいる。


 馬上槍の如き勇壮な毒針が天を突き、成形の過程で余った殻によって生み出された分厚い盾が、ただでさえ頑強な身体を更に堅固に守る。


 そして、マントの様に貝殻の隙間から漏れ出した濃厚な毒霧が死角を完全にカバーし、完全なる護体を完成させていた。



「わざわざ敵地まで乗り込んで来るとは案外豪胆な奴じゃないか。


 馳男、あそこの馬鹿を撃てるか?」


「俺を誰だと思ってやがる、エリート様をなめるんじゃねぇぞ」



 一足先に体勢を整えた雪兎がデータリンクで標的の座標情報をスキュリウスへ転送すると、馳男の快活な罵声が応答代わりに返ってくる。



「距離良し、風良し、障害無しと絶好の機会だ。 一発でブチ抜いてやるぜ」



 馳男が気楽そうに嘯き、レールキャノンから迸った紫電がスキュリウスの異形を闇の中から曝け出した瞬間、大型害獣の頭蓋をも易々と穿つ大質量の砲弾が騎士の側頭部に着弾した。


 発射と着弾を知らせる爆音がほぼ同時に鳴り響き、馳男の仕事が上手く遂行されたことを示す。 その結果に撃った本人が納得したかはまた別の話だが。



「ちっ、すまんしくじった」


「フォローする!次弾準備を急げ!」



 スコープ越しに殺せなかったことを確認し詫びを入れる馳男を他所に、雪兎は追撃を入れるべくドラグリヲを走らせた。 レールキャノンから放たれた紫電の軌跡が消えるよりも早く、地面とすれすれの低い軌道を描き、殺意の塊が躍動する。



「いくら危ないモンを撒き散らそうが、元栓を止めればそれで終わりだ!」



 一撃で仕留められずとも、決して無傷ではいられないはず。


 そう踏んで雪兎はドラグリヲを騎士の眼下に沈み込ませると、傷付いた頭部をもぎ取ろうと腕を突き上げさせた。


 放たれた鉄拳が貝殻の騎士の頭蓋にぶち当たり、軽いヒビを入れるも、対する騎士は頭の丸みと自身の堅牢さを利用してダメージを最小限に留める。


 そしてお返しとばかりに槍を振り回してドラグリヲの胴を思い切り薙ぎ払うと、内部に居る雪兎へ痛烈な衝撃を見舞う。



 余りの衝撃にドラグリヲのコックピットを堅固に守るフレームがきしみ、被弾した部位を覆っていたフォース・メンブレンが揺らめき大気へ還っていった。



「うぐっ!?」



 常人ならば物理的な意味で粉砕されて当然の振動を受け、全身に痛ましい痣を浮かせながらも雪兎は必死に機体の制御を維持し、続けざまに放たれた刺突の雨を捌き切る。


 弾いた矢先に槍に含まれた劇毒がドラグリヲの装甲や爪を溶かすも、雪兎はそんな事など全く気にかけていなかった。


 唯一気にかけていた事柄は、本命の二射目が上手い具合に当たってくれるかのみ。



「馳男! 今だ!」


「あぁっ!くたばりやがれサザエ野郎!」



 雪兎の合図に従い、再び撃ち出された電光が今度は騎士の殻の隙間を穿つ。


 盾と鎧の間の僅かな綻びを縫って内部に入り込んだ砲弾は、騎士の腕部を抉り、そこそこの量の血肉を弾き飛ばして貫通していった。



「通った!」



 してやったりと馳男はその様を見て一人ほくそ笑み、嬉々として次弾の装填作業に移る。


 だが、傷を負った騎士が流した血の色を見た瞬間、馳男は今まで半笑いだった表情を凍らせ、らしくなく毒づいた。



「何だそりゃ……、化け物の分際で赤い血を流してんじゃあねぇ!


 それを流していいのはカンブリア紀から地道に生きて来た生き物だけだ!


 てめぇみてぇなポッと出の汚らしい生ゴミが気安く流していい代物じゃないんだよ!」



 世界崩壊以前より、薄汚い化け物と普通の生き物の違いを明瞭にしてきた血液の色。常識とされてきた事柄さえも侵そうとする化け物の横柄さに激怒し、馳男は今度こそトドメを刺さんと再びトリガーを握る。



 だが対する騎士も見えない所でウロチョロする相手にいい加減辟易したのか、しつこく組み付いていたドラグリヲを全力で振り払うと、構えていた槍を突然天に掲げた。


 その瞬間、振り翳された槍を中心に大規模な劇毒の奔流な生まれ、キロ単位もの全長を持った実体を持たない腐食性の槍が形成される。



 紅蓮や蜂の皇帝にも引けを取らない異能の力。


 それは軽く振られただけで範囲内に存在していた建築物を片っ端から腐らせ、両断していった。


 砲弾が飛来した方角、即ち馳男が潜伏する場所を執拗になぞり、街をズタズタに引き裂く。



「馳男!?」


「安心しろまだ死んじゃあいねぇ! だが脚と大砲を持ってかれた。


 流石の俺も今回ばかりはちょっと不味いかもしれねぇな!」


「……後は僕一人で十分だ。 頼むから今は退いてくれ」


「了解、今は言葉に甘えさせて貰うぜ」



 会話もそこそこに退却を開始した馳男のフォローに回るべく、ドラグリヲを突撃させながら雪兎は小さく舌打ちする。



「くっ、他の連中は何をやってるんだよ。 今は少しでも人手が欲しいってのに」


『例の諜報員は外交官及び邦人保護のために離脱。


 防衛部隊は民間人の保護と、外で群れている害獣の駆除に躍起になっています。


 残念ながらサポートは期待出来ないでしょう』


「あぁそうかい、真っ当な理由があるなら別に文句はないさ!」



 悪質な零細企業染みた理不尽なことは決して言わないと、雪兎は苦笑しながらドラグリヲの尾をしならせ、強かに騎士を打つ。


 すると尻尾に纏わりついていたフォース・メンブレンが爆発を起こし、貝殻の騎士の姿勢を大きく崩した。 身体の半分を堅く守っていた大盾のカバーがずれ、急所の首が見えるほどに。


 微かに見えた勝機を手にするべく、雪兎はここぞとばかりに機動ウィングから補助スラスターに至るまでありったけの推力を全開にした。


 ドラグリヲの異常な挙動の余波を受け、ただでさえ軟化していた地盤が大きく揺らぎ、林立するビルがドミノ倒しよろしく身を横たえていく。



「終わりだ」



 決着を予感し、雪兎が真っ直ぐ敵を見据えて固く拳を握ると、ドラグリヲが咆哮と共に爪を振り翳す。


 あらゆる障害を貫き、打ち砕く赤熱した鉄拳。


 それは最大速まで加速したレールキャノンを超える勢いで撃ち出されると、何故か騎士のすぐ脇を掠め背後に立っていたビルを深々と貫いた。



「っ!?」



 確実に捕捉していたはずだと雪兎に愕然とする暇も与えられず、ドラグリヲは勢いそのままにビルへ突っ込み、無様に地を舐める。



『ユーザー!一体何をふざけているのです!


 今の貴方の視力が猛禽類並みであることは承知しています。


 あんな馬鹿でかい的が見えていないはずが無いでしょう!』



 普通ならあり得ないミスに憤りを隠せず、カルマはモニターに顔を出すと痛烈に雪兎を責める。


 ――が、常時監視しているバイタルデータから雪兎の急な体調の悪化に気が付くと、その原因に思い至ったのか態度を一変させ俯いた。



『前言撤回です。 ユーザー申し訳ありません、奴の力を侮っていました。


 完全に外界と隔離していたはずが、まさか感染を許すなんて……』


「気に病むなよ、過程はどうあれ勝てば済むだけの話だ」



 何の前触れも無く身体を襲った違和感に悶えつつも雪兎は必死に喝を入れ、何とかドラグリヲの体勢を立て直そうと試みる。


 だが、いざドラグリヲが身を翻した瞬間、開きっぱなしだった大顎の中に巨大な盾の先端が突き込まれ、無理矢理押さえ込まれてしまった。


 パワーは兎も角、質量自体は遥かに騎士の方が重いのか、ドラグリヲが引き剥がそうともがいても騎士の身体はピクリとも動かない。



『そんな……』


「諦めるなよ! まだ一発ぶち込める!」


『まさか本気ですか!?』


「このまま死ぬよりマシだ! 気合を入れろ!」



 焦燥、絶望、呆れと目まぐるしく表情を変えるカルマを他所に、雪兎はモニターに浮かぶ警告を無視して口腔内主砲と連動するトリガーを引く。


 刹那、ドラグリヲの下顎が吹き飛ぶと共に、盾を備えた騎士の腕が根元から千切れ、固い護りに覆われていた腹部を曝け出した。


 見るも無惨に荒れた切断面から鮮血が高く吹き上がり、ドラグリヲの鋼色の装甲に真紅の彩りを添える。



「げほっ、見たかシジミ野郎!」


『何を勝ち誇っているんですか!先ほどの砲撃で基幹フレームに致命的な損傷が発生したんですよ!?もうここから一歩も動けないんです! 一体どうやって戦うつもりなんですか!?』


「安心しろよ、こっちから動けないのならあっちから来て貰うだけだ」



 カルマの慌てぶりが可笑しくてしょうがなかったのか、雪兎がにやっと歯を剥き出して笑う。


 すると、コックピットに向かって槍の穂先を突き立てようとしていた騎士の背中が前触れも無く爆ぜ、槍の半分から上が吹っ飛んだ。


 槍の内部で蠢いていた劇毒の霧が大気をさらに汚し、雪兎の病状をさらに悪化させるが、当の本人の表情はとても晴れやかだった。



 トドメを邪魔され、憎悪に身を焦がした騎士と相反するように。



『馬鹿な、スキュリウスが!?』


「そうさ嬢ちゃん、エリート様が生ぬるい場所から戻ってきてやったぜ」



 今まで無音だったスピーカーから響いたのは、真剣ながらもどこかおどけた調子の馳男の声。


 大量の火器を纏わり付かせた脚部をくねらせて、異形の機械獣が毒霧が停滞した地表から僅か上空を飛び伝うと、その度に榴弾の雨が降り注ぎ、毒霧の中で上空を見上げた騎士の神経を逆撫でする。



 興が冷めるようなことをするなと言わんばかりに騎士は不気味で粘質な唸りを洩らすと、固形化した劇毒を上空にばら撒いて反撃に打って出た。


 冷たくぬめった光を放つ致死の欠片はスキュリウスに武装や脚部を溶解させ、瞬く間に半壊へと陥らせる。


 だが、それでも馳男が背を見せることはなかった。


 今さら逃げられないと覚悟していたのか、馳男は悪あがき用の武装である高振動トライデントを展開すると、胸の底から怒号を吐き出しつつ突っ込む。



「魚介類如きが人間様を舐めるなっ!」



 己の身を一切顧みぬ狂気染みた気迫が篭った特攻。


 それは騎士に無意識のうちにたたらを踏ませ、迂闊にも一歩ドラグリヲの方へ歩み寄らせていた。


 その僅かな一歩が、死を招く一歩になるとは露とも知らずに。



「ありがとよ馳男、お陰でようやく届いた」



 口では穏やかに礼を呟きつつも、雪兎の焦点のぶれっぱなしの瞳に再び宿ったのは禍々しいまでの殺意。 それに呼応するようにドラグリヲは尻尾を地面に叩きつけ、僅かながらも機体を跳ね上げると、激しい唸り声を上げながら騎士の身体に喰らい付いた。


 主の望みを何が何でも体現すべく、崩壊しかけの拳を騎士の顔面に幾度と無く叩き付ける。



「見苦しい真似をしてくれるなよ、ここまで来たらやることなんざ一つだろ!」



 絶え間ない激痛、例えようのない不安感、そして急速な五感の鈍化に身を蝕まれながらも雪兎の意思は決して衰えない。


 咄嗟に組み合いから逃れようとする騎士の首をドラグリヲにしっかりとホールドさせ、逃げられないよう完全に束縛し、トドメとばかりに赤熱した右手を騎士の腹の中へ突き込む。


 すると騎士も遂に観念したのか、損壊した毒槍をドラグリヲのどてっぱらに衝き込んだ。



 互いに固く組み付き、先に命を奪わんと有らん限りの攻勢を掛け合う二匹の獣。


 劇毒と爆炎の激流が毒霧の底で渦を巻き、落下途中だったスキュリウスを大きく吹き飛ばすほどの大気の膨張が都市を崩落させる。



「うおお! 死ねえええ!!!」



 これが最後だと、雪兎の外聞を一切省みない必死な絶叫。


 それが響いた瞬間、目を潰す程の閃光が血肉と金属の欠片と共に迸り、地表に停滞していた毒霧を都市外へ余さず吹き飛ばしていった。



 貝殻の鎧の底で拍動していた、鼓動の源だったものと共に。

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