第13話 策動

 古今東西、あらゆる所で人の心を等しく躍らせるものがある。


 酒、音楽、唄、そして料理。 文明が創始する遥か以前から有り、脆弱だった人類の始祖を励まし導き続けたもの。 それらはこの滅びた世界でも変わらず、絶滅の淵に追い詰められた人類を支え続けていた。



 世界崩壊以前から現在に至るまで、日本の海防を担ってきた港に併設された巨大要塞都市“呉”


 その中で細々と経営を続ける一軒の小料理屋がある。


 周囲の小奇麗な建物とは全く趣きが違う、年季が入った古臭いとも言える店構え。しかしその中は他の店舗にも負けない程に、多くの人々の活力で熱く満ち溢れていた。白熱した油が火を吹いて鉄鍋の表皮の上を踊る度に店舗の中が明るく染まり、動物性たんぱく質が焼ける香ばしい薫りが食堂に屯する人々の鼻と胃袋を丹念に擽る。 そして店の主人が赤く熱された鉄鍋を華麗に振る都度に、カウンター席にしがみ付いていた子供達の中からワッと大きな歓声が上がった。




「いいなぁ……凄く良い……」




 その様子を横に、雪兎は食堂の隅のテーブルの前で目を輝かせていた。


 出かける前にカルマに厳命された様になるだけ目立たないように振舞おうと、目深く帽子を被って大人しくしていたものの、眼前の食卓上に並べられた大量の料理から立ち昇ってくる旨そうな匂いに思わず心が躍り、湧き上がる喜びをどうやっても抑えられなかった。



 ちょうど良い赤みが残る程度に焼き上げられ、旨み成分をたっぷりと含んだ蒸気を濛々と吹き上げる牛肉の塊や、さくさくとした小気味良い歯ごたえを残す揚げたての天ぷらの盛り合わせが、我慢出来なくなった雪兎の胃袋の中へ飛び込むと共に瞬く間に消化されエネルギーへ変換される。



「おいひぃ……おいひぃ……、これで奢りだったら最高だったんだがなぁ」


「贅沢言うんじゃねぇ、割り勘なだけありがたく思えよ」



 ぼそり呟いた雪兎に馳男はフンッと一度鼻息を吹きながら文句をぶつけると、野菜と肉が大量に入ったスープを口にする。



「こうやって生きて飯にありつけるだけ豪勢なもんだってな」


「そりゃ僕だって分かってるさ。 それで、こんな古臭い説教をするために飯に誘った訳じゃないだろう? 僕が監禁されている間に何があったんだ?」




 食欲に突き動かされ猛烈な勢いで動かしていた箸を止め、頬張っていたものを一気に胃袋へ収めきった雪兎が表情を改めて問う。 すると馳男は手に取っていた食器を一旦テーブルの上に置くと、静かに顔を俯かせた。



「南シナ海に点在していた海上要塞都市群がまとめて陥落した。 そこに住んでいた連中の大部分は害獣共のディナーになっちまったよ」


「……ッ!」


「SOSを受信して向かった後には既に手遅れだった。 唯一出来た事と言えば避難民が満載された船を沖縄まで送り届けること位だったんだが、たった一隻守り抜くためだけに大勢が海の藻屑になっちまった。 本当に無様な逃走劇だったぜ」



 語るに従って当時の惨状を思い出したのか、馳男の表情は徐々に固く険しくなっていった。 眼鏡の奥に光る鳶色の瞳は何処か暗く、紡がれる言葉にはいつもの覇気が無い。



「呑めよ。 嫌な事は呑んで忘れるに限るさ」


「お前に言われずとも最初からそのつもりだ」



 何気ない雪兎の気遣いに上手く対応する余裕さえ無いのか、馳男は酒が並々と注がれたジョッキを掴むと、息も付かず一気に呷った。 空になったジョッキが粉々になってもおかしくないほどの勢いで叩き付けられ、重いテーブルを乱暴に揺るがす。



「全く、何で俺みたいな人生イージーモードのボンボンが何の恥ずかしげも無く生き延びちまったんだろうなぁ。 帳尻ってヤツがついてないよなぁ。 馬鹿げてるよなぁ……」



 ペース配分も考えず酔うためだけに酒を呷り続ける馳男の話を、雪兎は黙って聞いてやる。 ゴミのように散らされて死んでいく人々の絶望も、それを守りきれなかった馳男の無念も、その場にいなかった雪兎に分かるはずも無く、ただ頷くことしかしてやれなかった。 しかしそんな雪兎の気遣いの甲斐もあり落ち着いたのか、馳男はようやく伏せていた顔を上げて疲れた笑顔を見せる。



「すまんな、こんなくだらない愚痴を聞かせるつもりはなかったんだが」


「別にいいさ。 知人が健在だったことを知れただけでも良かったよ」


「素直に友人とは言ってくれねぇのかお前は」



 雪兎のそっけない言い方に馳男はやれやれと肩を竦めて立ち上がると、貨幣弾薬の詰まったマガジンをテーブルに置いて立ち上がる。



「まぁ何にせよ、直にお前にも召集の連絡が来る。 その前にやるべきことはきちんと済ませてろ」


「何を今さら。 腹なんざ当の昔に括ってる」


「ばぁか、何やっても死なないお前の覚悟なんざどうだって良い。 俺が言っているのは木乃花の気持ちも考えてやれって事だ」


「なっ……、哀華さんのことは別に関係ないだろ馬鹿が!」



 プライベートに土足で入り込まれたことに激怒し雪兎が声を荒げると、馳男は軽薄な笑い声を上げながら軽やかに逃げ、後ろ手に手を振りながら店外へ出て行った。


 馬鹿にしているような気がしないでもないふざけた態度が癪に障り、雪兎は追い縋ろうと考えるも、人混みに紛れた馳男の姿は瞬く間に見えなくなる。



「あの野郎、勝手にスッキリしたと思ったらさっさと消えやがって。オマケに奢りじゃないと言っておきながらしっかり全額払ってやんの」



 一々押し付けがましいんだよ馬鹿野郎と文句を言いつつも、雪兎は残された料理を馬鹿正直に綺麗に平らげると、馳男の背中を追うようにそそくさと席を立った。


 旨い料理をたらふく振舞ってくれた店主とそこそこに挨拶を交わし、店を出る。



 空腹を満たし幸せな気分で店を出た雪兎を出迎えたのは、繁栄の証明たる喧騒に満ちた雑踏。 やかましくも人々の生きる活気に満ちた音の波は、害獣の汚らしい呻き声に慣れた雪兎に日常のありがたさを痛感させる。ここなら無駄に気を張り詰める必要も無いと、そう雪兎は肩の力を抜いて暫しの間無防備に佇む。



 戦いとは無縁の世界の空気。 それは雪兎の疲弊した精神をゆっくりと癒していた。



 しかし数秒後、雪兎は何を思ったのか、わざわざ安らぎから遠ざかるように自ら路地裏へと足を踏み入れると、そのままあさっての方角へ一直線に走り始めた。



 ビルの壁面を伝って跳び、驚いて身を強張らせたホームレスの男性の脇を詫びを言いながらすり抜け、行き着いた先はスカベンジャー共に物資を毟り取られて放棄された都市外れの廃墟。 そこで雪兎はようやく立ち止まると、左手を思い切り握り込み、戦意を剥き出しにしながら唸るように呟く。



「仕事の話なら事務所を通して下さい、ルールを守ってくれないと困ります」



 折角の癒しの時間を無碍にされ軽い苛立ちを露にしながら、雪兎は背後に潜む何者かへと警告する。 すると背後の空間が突如として歪み、そこからゆっくりと一つの影が這い出てきた。 常人とは明らかに異なった雰囲気を纏い、顔までを覆った高機能ステルススーツ越しにも窺えるほど艶やかな肢体を持った女性。 雪兎にとって始めての接触となる人物だったが、民間では到底調達出来ない様な装備から、彼女が列島とは別の勢力に属する者だと一目で理解する。




 害獣との激しい生存闘争の末に大陸から追い出され、太平洋を彷徨うようになった国々の末裔からなる超大規模船団国家 “N.U.S.A.”


 現在、列島と最大の同盟相手として存在するが、それと同時に自然由来の領土を持たないことをコンプレックスとして抱いている潜在的敵性国家でもある。


 表立っては敵対してはいないものの、国民感情次第でいつ転がるかも分からない微妙な関係にある国からの来訪者に、雪兎は好ましくない感情を抱く。


 そんな雪兎に対し、彼女は武器を持っていないことを示して敵意が無いことを表すと、感情を露にしない義務的な口調で一方的に要件を述べ始めた。



「既に貴方の上司とのコンタクトは済ませてある。 貴方がやるべきことは契約に則って私の指示通りに動くことだけ」


「……本当に首領が一枚噛んでるなら別に文句を言う権利は無いですよ」



 彼女がまだ首領によって処理されてない事実が、彼女の言葉が真実であることを裏付けてはいるものの、やたらと高圧的な物言いが気に食わない。


 そう雪兎が思った瞬間、廃墟の中に威勢の良いハスキーな声が響き、雪兎の抱いた気持ちを代弁した。



「救援一つ寄越さなかった癖に今さら協力しろとは随分虫のいい話じゃないか。


 世界の警察の名が泣いてると考えないのか? なぁ可憐なレディよ」



 そう言いつつ来訪者の背中に拳銃を突きつけていたのは、心底意地の悪い笑みを浮かべつつも、瞳に確固たる敵意を宿した馳男。


 肝心な時に手を貸してくれなかったことを余程恨んでいるのか、殺意こそ抱いていないものの紡がれる言葉には強い嫌味と怒りが滲んでいる。


 しかし友邦からの来訪者は、途中から馳男が追ってきていた事を把握していたのか一切慌てる様子を見せず、ただ淡々と己の言い分を口にするのみ。



「何百年前の古臭い考えなんて私の知ったことではないわ。 それに救援を寄越さなかったわけじゃない。 寄越したくとも寄越せなかったのが正解よ」


「あぁそうかい、いつまで経っても一枚岩になれない国ってのは大変だな。それで俺らは具体的に何をすれば良いんだ? 急ぎの仕事なんだろう?」



 言い訳はしても具体的なことを言わない彼女にこれ以上感情的になっても無駄だと判断したのか、馳男は愛想の良い仕事モードになって気持ちを切り替えると、仕事の仔細を催促する。 だが意外にも彼女はその言葉に対して首を横に振った。



「確かに早ければ早いほどいいわ。 でも私だって今すぐ協力しなんて無茶は言わない。 何しろ貴方達が何をしていたかもこちらはしっかり把握してるから」



 雪兎に、そして馳男にと順々に視線を配りつつ彼女は恩着せがましく伝えると、再び光学ステルスを起動して二人の視界から消える。



「万全を期す為にも今日は早く休みなさい。 そして明日のこの時間、指定した座標で待機しておいて。 その時には貴方達の“龍”と“蛸”も一緒にお願いするわ」


「ちょっと待って下さいよ、こんな所でアーマメントビーストまで引っ張り出さなきゃいけないって、どんな仕事なんですか!?」



 確かに市街戦こそアーマメントビーストの本領が発揮される戦場だが、ドラグリヲも馳男の愛機も下手に市街地へ引っ張り出しては逆に被害が拡大するだけの火力を有している。 それだけの物が必要な相手とは一体何者なのかと雪兎が問うと、その瞬間崩れかけていた廃墟の屋根が吹き飛び、そこから列島に存在しない機械の獣が月光を背に受けて姿を現す。



 黄色く輝く大きな目玉が印象的な梟型アーマメントビースト。 その足元で、招かれざる来訪者は静かに天を仰いだ。



「いつの世になっても、コキュートスに送られることを望む間抜けがいるの。


 行くも引くも、その道の先には絶望しか無いことを知りながらもね」



 先ほどまでの高圧的な調子とは打って変わり、何処か悲しげに紡がれた言の葉。



 それは雪兎の胸に疑念を、馳男の心に怒りをそれぞれ掻き立てていった。

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