episode 4-1 協調《シンクロ》(前編)
地下都市の最下層、そのさらに下層のどこかにある応接室。
「
借りていた学生手帳を机の向こうに手渡して、黒い長髪の女性は目線を空に向けた。
「……はい」
向かいに座る空は元のセーラー服姿に戻っていた。顔をこわばらせて伏し目がちにうなずく。
「そんなに怖がらなくていいのよ。取り調べってわけじゃなくて、ただあなたの身元が知りたかっただけ」
彼女の柔らかい声が空を少しだけ安心させた。
「紹介が遅れたわね。私は生存圏防衛局京都指令所、所長の
「
”博士”と呼ばれていたボサボサ頭の男が遮った。麗子にゲンコツをくらった頭を痛そうに抑えている。
「それで、今回の件だけど――」
麗子の声色が硬くなった。
「あれは、私達の中でも最高レベルの機密事項なの」
空の表情に再び緊張が走る。
「そういうものに無断で接触した以上、あなたは何らかの責任を負うべきで、その裁量は私に委ねられているというわけ。……でもね」
麗子の口元がふっと上がった。
「私達の責務は民間人を守ること。だからあなたの自由を侵害することはできないし、あなたに何かを強制することもできない。だからひとつだけ、あなたに『お願い』するわ。――何もなかったことにして。いいわね?」
彼女はウインクをして、唇に一本指を当てた。「内緒」の仕草だ。
「……わかりました」
空はごくりと固唾を飲んで頷いた。
「あなたの方から、何か聞いておきたいことはある?」
「聞いてもいいのかわからないですけど……」
空はひとつだけ、しかし核心に触れることを聞いてみた。
「……あれは、何なんですか?」
沈黙。
空の額に汗が浮かぶ。しまった。まずいことを聞いてしまったかな。
「……なに黙ってるの。早く説明してあげなさいよ」
「所長がええって言わへんからやろ?」
二人のやりとりに空の口元が緩んだ。よかった。勝手に自分が緊張していただけだった。
「……あれは、簡単に言うたらあれやな、遺伝子操作した宇宙人やな」
「……はぁ」
「君らが『地球外敵性体』呼んでるやつらは、言うてしまえば
「なんだか……よくわからないけどすごいですね」
「『彼ら』の科学力は、私達の文明でいえば数世紀先を行くレベルよ。通常の戦力ではいくら数を揃えても足りない。でももしその力をこちらが利用できれば、彼らと対等に渡り合えるかもしれない。あれは、そのために私達が進めた極秘プロジェクトの集大成――開発コードネーム『セレスティア』」
麗子の口から、その名前が語られた。
「セレスティア……」
空は”彼女”がそう名乗ったときのことを思い出した。
恐ろしいほどに強く、眩しく、美しい姿。
「まさに、”天の力”を宿す兵器やな」
それを開発した本人が、さも自慢げに付け加えた。
「私からも、一つだけいいかしら?」
「はい」
今度は麗子が空に聞こうとした。
「……瑠璃光っていう名前――」
そのとき、天井のスピーカーから慌ただしい警報音が鳴り響いた。反射的に麗子が椅子から立ち上がり、壁のコンソールを操作する。
「私よ」
《こちら指令室、レーダーに反応あり。複数の熱源が接近中の模様》
「了解。すぐ戻るわ」
短い通信を切り、彼女は空と顔を向き合わせた。
「あなたはここで待っていて。安全だから」
「あの、私の名前がどうって……」
「珍しいなって、思っただけ。変なこと聞いてごめんなさい」
作られた一瞬の微笑。
艶のある黒い長髪をなびかせ、颯爽と部屋を後にする。
その顔は、すでに引き締まった軍人の表情だった。
「副長、状況を報告して」
指令室に戻った麗子は、指揮官席に向かいながら声を上げた。全体を見渡せる一番上のデスクだ。
「報告します。現在時刻から3分前より、パッシブ・レーダーが複数の熱源を感知。現在の総数は、10、いや、12。現在位置は旧大阪市街上空付近。それぞれ時速1000km程度で北東方向に移動中。このままですと残り2、3分で京都市上空に到達します」
副長と呼ばれた、麗子より一回りは年上の中年男性がきびきびと答えた。
「本格的に威力偵察を仕掛けてきた、というわけね……」
前方の大型スクリーンに地上の投影された地上の地図。10年前まで大阪という都市があった地域は巨大なクレーターとなり、海水で満たされている。その上を光点の集団が右上のマークに向かって動いている。
「また、レーダーの反応ポイントと同期して、地上の加速度センサーが微小な重力異常を検知しています。以上のデータより、対象を敵性体と認定。第一種戦闘配備を発令し、すべての航空戦力を待機させています」
「ありがとう副長。迅速な対応に感謝するわ」
麗子は有能な部下を労ねぎらうと、指令室に澄んだ声を響かせた。
「全航空戦闘部隊、発進シークエンス開始。2分で上げるわよ!」
「やっとこさ穴ぐらから出撃だ!シミュレーターはもうコリゴリだ。腕が鳴るぜ」
コックピットの中、両手を握り合わせてボキボキと音を鳴らしたのは、半時間前まで指令室で麗子の隣にいた男、
《敵は12機。上がってすぐ接敵することになるわ。頼むわよ、大尉》
「りょーかい。任せとけ、あんたらに手間は掛けさせねーよ」
上官の麗子にもタメ口なのは、二人とも同期なのと、彼の人柄ゆえだ。
《1番機、プラットフォーム上昇開始》
八坂の機体を載せた床が、背面の壁の溝に沿って格納庫を上ってゆく。天井の四角い穴に吸い込まれると、数百メートル上まで縦のトンネルを進む。
《プラットフォーム、発進位置へ。
床面が上昇を止め、機体を上向かせるように傾斜する。前方には斜め上へ向かって滑走路のトンネルが伸びている。
《カタパルト接続。防御隔壁、すべて解放》
滑走路を塞いでいた何重もの鋼鉄の扉が、手前から次々に開いていく。
その先に現れたのは、地上への出口。
《地上射出口、偽装解除》
人々が消え去り、暗闇に覆われた地上の中心街。その交差点の路面だけが切り取られたように沈み込み、スライドして地面の下に格納される。
空へと飛び立つ道が、開けた。
《最終チェック完了。進路クリアー。発進どうぞ!》
「第一中隊1番機、出るぜ!!」
ジェットエンジンの噴射口が
機体が加速し、トンネルの中を突き進む。壁に並ぶランプが時速300キロで後方へと流れ去る。
上空へと放り出された金属の鷲。
その視界を、不気味な「星空」が覆った。
天に散らばる青白い光の点々。それは遥か昔から人類を見守ってきた夜の星々とは様子が違った。生物の体内に張り巡らされた葉脈や血管のように、点の集まりが複雑な網目模様を作り出している。
人類が地球外敵性体と呼ぶ「彼ら」――その本体は、地球という惑星を丸ごと包み込む巨大な球殻だ。地表を「偵察」している飛翔体はそのほんの一部にすぎなかった。
こんな奴ら相手に戦うのか。
その景色に圧倒された八坂の口から、独り言が飛び出した。
「……面白ぇじゃねーか」
「第一、第二、第三中隊、全機発進完了。
エレベーター式のプラットフォームで戦闘機を次々と発進位置にセットし、なおかつ複数の射出口を使うことで、超短時間での部隊展開を実現する――これも”博士”が考案したシステムだった。
オペレーターの報告を聞いて、麗子は手元の空中画面に目をやった。
「2分23秒……」
少し不満げな声色。
「間に合ったからよかったけれど」
V字型の編隊を組んだ銀色の双翼たちが、闇を切り裂き、目前に迫る青い光の群れをめざして飛翔する。計36機、数でいえば敵の3倍だ。
「いいかお前ら、慌てずシミュレーション通りにやればいい。必ず3機一組で当たれ。間違っても地面にキスするなよ!!」
《《イエッサー!!》》
八坂の配下に限らず、パイロットたちの士気は高かった。市民を守る義務感と、久々に空を駆け抜ける高揚感とが、血液中にアドレナリンをみなぎらせていた。
唐突に、12個の光の群れが輝きを増した。
「
八坂が叫ぶと同時に操縦桿を倒し、機体を急旋回させた。
直前まで彼が飛んでいた進路を青白い閃光が貫いた。
赤と青の光の軌跡が、縦横無尽に空中で絡み合う。
遠距離からミサイルを撃ったとしても、すべて光線で
「
《今やる!!
2番機を追い詰めた敵を射程に捉え、3番機が翼下に吊り下げた特殊弾を発射した。
白い煙を噴いて敵に迫ったそれはすぐさま光線を受けて溶け散った。しかし煙の中から飛び出してきたもう一発が、目標を捉えた。
爆発。
といっても、物理的な衝撃はなかった。
局所性EMP弾――近接信管が作動すると弾頭内部の
効果はてきめんだった。敵性体の体に稲妻が走り、やがて動きが止まった。
《今です!隊長!!》
「っしゃおらあああ!!」
八坂が操縦桿の赤いボタンを押し込んだ。今度は炸薬の詰まったミサイルが一直線に飛び出した。
それはなんの障壁もなく目標に到達し、爆発の威力で攻撃対象を粉みじんに吹き飛ばした。
「いよっしゃあああ!!」
八坂の歓喜の雄たけびが通信回路に響き渡った。
《お見事です!!》
「いいぞいいぞ、この調子!残りはいくつだ!?」
「なんとか、順調にいきそうね……」
指揮官席の麗子が、スクリーンに映る戦況を見て安堵した矢先。
アラームとともにデスクの上に通信画面が浮き上がった。
「研究所から……?通信が回復したのね」
応答アイコンをタッチすると、画面に現れたのは空の顔だった。
「あ、あなた……!?そこは危険よ!早く部屋に……」
麗子の忠告を遮るように、空が凛とした声を響かせた。
「所長さん、その戦い方では勝てません!!」
「なんですって!?」
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