episode 2 セレスティア

 ぼっち飯。


 そう呼ばれる昼食を終えて、空はふうっと溜め息をついた。


 自分は窓際の後ろの方の席。周りの皆は机を向かい合わせに並べたり、同じ机を囲ったりしてはしゃいでいる。「マジで!?」とか「わかるー」とか、相槌を打つ言葉が飛び交う。耳に飛び込んでくるそんな雑談が、恨めしくもあり、羨ましくもある。だからつい、本当は驚きも共感もしてないんでしょ、と斜に構えてしまう。

 そんな自分の思考回路すら嫌になって、窓の外を眺めた。ぼうっとした視界の中に、層間連絡橋の白い直線が天へと昇る階段のように浮かぶ。


 光。


 昨日、確かに私はあの橋の上から転落した。でも助かった。何が起きたのかよくわからなかったけど、気がつくと光の粒に包まれていた。氷を思わせるような青白く冷たい色の光。だけど、まるで誰かが抱いてくれているように温かい……そんな気がした。


 ……あなたは、誰?




 ……あの子、またぼーっとしてる。

 

 茶髪ポニーテールの少女――飛鳥井 蛍は、窓際の暗い存在がどうも気にくわなかった。

 「ねえねえ、どこ見てんのっ」

 「もしかしてほたるんも好きな人できたん?だれだれ?」

 さっきまで一緒に弁当を食べていた仲間たちが必死に視線を追う。

 「ちゃうって……愛香こそ、もういいかげん告ったら?」

 「え、いや、あたしはまだ、心の準備が……」

 「かっこええやんな、中沢君。サッカー部のレギュラーやし、頭もええし。将来は技術者になって、核融合炉とか作りたいんやって!」

 「かくゆうごう?ってあれやんな?この街の電気作ってるやつやんな?すごー!」

 「はよ告らな、ほたるんに取られてまうかもしらんでー?」

 「だからちゃうって言うとるやろー!」


 ほんまに、ちゃうねん。というか、誰って聞かれても、絶対答えられへん。


 「さあ、みんな自分の席に着けー。チャイム鳴っても座ってないやつは前で問題解かせるぞー」


 教壇に立ったあの人の優しい笑顔に、心がふっと軽くなった。




 ……はぁ。


 放課後、一人教室に残された空は掃除用具入れの扉を閉め、疲れた顔で一息ついた。


 教室掃除の番になると、部活があるから後はよろしく、と他の人は途中で出ていってしまう。結局最後に残るのは私。いつものことだ。いつものことだけど……。

 とにかく、今日はこれで終わり。いつも通り図書館の自習室で復習して、家に帰ろう。


 結局、自習を始めた空は疲労に負けて、開いたノートの上に突っ伏して眠ってしまった。




 空が目を覚ましたのは、下校時刻をとっくに過ぎてからであった。

 「……きろ。起きろ、瑠璃光。時間がないんだ。早く」

 誰かの手が肩を揺さぶる。

 「ん……んん…………ふぇっ!?先、生……!?」

 寝ぼけた声を出して薄目を開けると、そこにいたのは田中先生だった。寝ぼけた声を聞かれたのが少し恥ずかしかった。しかし先生の顔にはそれどころでないといった焦りが浮かんでいる。

 「探したんだよ。君だけ連絡がつかなくて心配だったんだ」

 「……何か、あったんですか?」

 「とりあえず落ち着いて聞いてほしい。市内全域に避難警報が出ている」


 ……避難、警報?


 地球外敵性体の脅威が迫った場合、市は二段階で警告を出すことになっている。敵性体が上空に接近し、地下都市が発見される恐れが高まった場合の「避難準備情報」。これは月に一回程度で珍しいものではない。そして、この街が敵性体に発見され、襲撃が迫った際の「避難警報」。つまり、この街は今、敵性体の襲撃を受けていることになる。


 「一刻も早くシェルターへ向かおう。ここに残っているのは僕達だけだ」




 最寄りの地下通路の入口を目指し、大通りをひた走る。照明が落とされ静まり返った街に、遠くからサイレンの音だけが響いている。

 そのとき、頭上で響いた爆発音に二人は顔を上げた。


 街の「天井」に、鋭い刃物で切り取られたような穴が開いていた。


 鋼鉄の破片が、風切音とともに上から降り注ぐ。

 その一つが、先生の真上に――。

 「危ないっ!!」

 叫ぶ声と同時に、空は先生を押し飛ばした。


 固く閉じた目を開くと、視界のは土煙が立ち込め、ビルの窓ガラスも無残に砕け散っている。

 土煙の向こうで、先生が倒れていた。

 「……先、生……?田中先生!!しっかりしてください!」

 起き上がって先生のもとに駆け寄ると、意識がなかった。側頭部から多量ではないが血が流れている。

 しかしその心配をする間もなく、空は背後に迫る危機を察知して振り向いた。

 そしてそれは街の上空、彼女の目の前に浮かんでいた。


 銀の鎧を纏った竜。それが一番近い表現だろうか。


 地球上の何にも例えられぬ異形の姿。流体的で複雑な、無機質かつ有機的な造形。所々に散りばめられた青い発光部から光の粒子を放ち空中に浮かぶ様は、恐怖を超えて畏怖の念すら抱かせる。


 今までその姿を見たことはなかったが、空は「それ」が人類を滅亡の淵に追いやっている「宇宙人」なのだと瞬時に理解した。もっともそれが「人」のような生命なのかすら分かっていない。だから公式には「地球外敵性体」という曖昧な呼称で呼ばれているのだ。

 空は一歩も動けぬまま、目を見開いてその姿に釘付けになっていた。それが恐怖によるものなのか、はたまた好奇心によるものなのか、自分でも区別がつかなかった。


 やがて「それ」は液体のようにどろりと変形し、雪の結晶のような複雑な多面体に姿を変えた。中央のひときわ大きい発光部が青白い光を蓄えてゆく。次の瞬間、細く収束した光線がそこから放たれ、巨大な赤熱した円を地面に描いた。鋼鉄の人工地盤やコンクリートのビル群がすっぱりと溶断され、轟音を立てて地下の空間へと崩落してゆく。凄まじいエネルギーで焦げた熱風が空を襲った。

 顔をかばった腕を下ろすと、道路の先にあった街は消滅し、地獄に通ずる奈落が口を開けていた。


 逃げなくちゃ。でも、脚がすくんで動けない。それに、先生が……。


 恐怖におののく空の目の前で、「それ」はただ空中に静止していた。まるで穴の底にある「何か」を虎視眈々と狙っているかのように。


 このままだと自分たちも、この街の人も皆、滅ぼされる。お願い、助けて……。


 ……自分は今、誰に願ったのだろう。


 空中の「それ」が再びエネルギーを収束し、今まさに放たんとしたそのとき。




 奈落の底から迅雷のごとく青白い光の塊が飛び出し、空に浮かぶ敵性体を打ちのめした。




 一瞬不定形となった敵性体もすぐさま神獣を思わせる姿に戻り、上空へと飛び去ったそれを追って疾風のごとく飛翔していった。

 

 二つの光は抜きつ抜かれつ、稲妻のような軌跡を交錯させて空中を駆け抜けた。ときに8の字を描いて正面からぶつかり合い、あるいは光線を撃ち合い尋常ではない機動でそれを回避している。それはさながら、古代の神話で描かれた天界の戦いであった。


 ……宇宙人どうしが、戦っている……?


 空にはこの状況を理解するすべはなかった。しかし心の中で、確信に近いものが揺らめいていた。敵性体と相対しているもう一つの光――。


 目まぐるしく移動する戦闘空域が、再びこちらに近づいてくる。

 そのとき、敵性体の放った光線が、彼女めがけて一直線に空気を切り裂いた。


 空の瞳に迫り来る光芒。


 しかしその破滅的なエネルギーは、彼女の体を避けるかのように散逸した。


 空の周囲を包み込む、粉雪のような青い光の粒子。


 上から降り注ぐその光は、空を守るようにして浮かぶ「もう一人の宇宙人」から放たれていた。


 それはすぐさま、人間の目では追えないほどの加速度で敵に接近し、至近距離から光線を撃ち込んだ。回避する一瞬の時間も与えない、ほぼ瞬間移動に近い速度だった。敵性体は、銀色の体を散り散りに蒸発させて空気中に溶けていった。


 空は逃げることも忘れて、自分を救った「救世主」の後ろ姿にただ見惚れていた。

 そして無意識のうちに「それ」に話しかけていた。


 「あなただったのね……あのとき助けてくれたのは」


 「それ」は空の声に反応し、悠然と低空を飛んで近づいてきた。


 ”そうだ。私だ”


 一瞬、その「声」がどこから発せられたのか空には判別できなかった。しかしそれを理解したあとで、大きな驚きが胸を躍らせた。

 「あなた、私たちの言葉が話せるの?」


 ”君達の意思疎通システムについての基本情報を解析した結果に基づいて音声信号を発している”


 回答はあまりにも難解でシステマティックだった。

 それに加え、神秘的ながらもおどろおどろしいその外見が間近に迫ってきたこともあって、空の心中は次第に好奇心よりも恐怖が勝ってきた。

 「……えっと……あなたたちって、自由に姿を変えられるのよね?もう少し、その、優しい感じの姿になってほしいな……」

 ”君の言う『優しい』という語が意味するものは君達の種族に特有の主観的な観念であって私には理解できない。具体的な形状あるいは例を提示することを要求する”

 「たとえば……」

 空は「優しい」という言葉の持つイメージを膨らませ、一つの例を思いついた。

 「……人間の女の人、とか……?」

 ”それは、君たちの種族が次世代の個体を生み出すことを目的とした活動において――”

 「い、言わなくてもわかってるから!早く変身して!」

 危うく平常心では聞いていられないようなことを説明されそうになり、空は「それ」の言葉を遮った。


 ”了解した”


 銀色の前衛彫刻のような奇抜な姿が青白い霧に包まれ、ダイナミックに形を変えていく。霧の出す光があまりにもまぶしくて、空は固く目を閉じた。再び目を開けたとき、大きく見開かれたその瞳に白い輝きが映り込んだ。


 淡い光を宿す蒼の瞳。雪原のような銀白色の肌。

 端麗な体の曲面に沿って敷き詰められた、鎧や鱗を思わせる意匠。それは腰の周囲で広がり、銀と青のモザイク模様のドレスと呼べるものになっている。


 この世で何が最も美しいか、その答えは人それぞれだろう。しかし、「彼女」の姿を百人が見たならば百人ともが、地球で生き残った一億人が見たならば一億人全員が、その美しさに圧倒されるに違いない。そう思えるほどの神秘がそこに体現されていた。


 「……あなたは……あなたは一体、何者なの?」


 「彼女」の織りなす光と造形に目も心も奪われたまま、空は呟いた。


 ”自分が何者であるかという定義は与えられていない。しかし私を指す呼称ならある”


 「彼女」は空を視線の先に据えたまま、微動だにせず空中に浮いていた。


 ”セレスティア。それが私に与えられた名だ”

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