名前はきっとおまじない。
猫見倣
第1話 まだ見ぬ花は程遠く
「……ここは……?」
目の前の濃霧が晴れ、辺りは草原と化していた。ずっと先の見えない道を歩いていたため、いきなりの眩しい太陽の光にエクスは目をしばたく。今までいろんな想区を旅してきた。平和な想区もいくつかあったが、ここはその中でもトップクラスを争う平和さだ。
風がそよぎ、湖のほとりにある背の高い葦が揺れている。エクスはどことなく懐かしさを感じた。
「んーっ! 気持ちいいわねー。私ここに住む!」
エクスの隣にいたレイナが伸びをする。無理もないだろう、彼女は霧の中にいる間、ずっと「太陽がぁ…太陽がぁ…」とずっと太陽光を欲していたからである。エクスも霧の中が好きなわけではないが、そこまで太陽光が恋しかったわけでもない。
しかし、ここが心地よいのは事実。彼もふわぁっと欠伸が出る。その様子を見て、いつものポニーテールを揺らしながらシェインが言った。
「ちょっとー、だらけすぎじゃないですか、姉御も新人さんもー。ていうか何移住計画立ててるんですかーふわぁ」
「だってー、こんなに気持ちいいとこ珍しいじゃない。最近は砂漠やら雪山やらチェス盤やら…」
レイナの言うことにも一理ある、とエクスは不覚ながらも納得してしまう。少し誇張表現になるが、今まで旅していきた想区は大体、何らかの不思議要素があって、何らかのアクシデントが絶えない場所であった。しかし、だらけすぎと言ったシェインには反論をしなくてはいけない。
「そう言うシェインだってのびのびしてるじゃない」
「うっ…。新人さんにツッコまれるとは…。シェインもまだまだですね」
「まぁいいじゃねえか! ほんとにこの想区は気持ちいいんだしな! 俺も久しぶりに羽を伸ばせるってもんよ!」
「タオ兄はいつも自由奔放じゃないですか」
「なっ! なんか最近俺がそんな男みたいに評価されてきているな…」
少ししょぼくれる銀髪の男、タオである。シェインはタオを兄として慕っており、タオはシェインを妹分として可愛がっていて、互いの信頼関係はちょっとやそっとのことではびくともしないだろう。
ちょっとした漫才を横目に、エクスは遠くの方を眺めた。この想区に来たときは草原以外何にもないと思っていたが、割と離れた山の麓に一つだけ町…村のようなものがあるのを見つけた。そこまで視力が良いわけでもないので人がいるかどうかは確認できない。しかし、行ってみて損はないだろう。エクスは、のんびりと座り込んでしまった三人に問いかけた。
「ねぇ、あっちの方に村があるよ。行ってみない?」
「えー、私ここに住むのー! 動きたくなーい」
「ほら、村で食べ物とか補給しとかないとそろそろ食料も尽きちゃうし」
「そうね! この想区の名物は何かしら? 海はなさそうだから野菜とかよね? キャベツ! じゃがいも! 松茸ご飯!! さぁ行くわよ! なにダラダラしてるの!!」
なぜその三品目が出てきたかは到底謎である。だが、結果としてレイナがやる気を出してくれてので別に気にする必要はない。エクスはレイナが一番の砦であることをもう十分承知していた。彼女さえ動かすことが出来れば、後はどうとでもなるのだ。というより、彼女が一番の自由人で、嫌だとなれば随分と説得しない限り考えを改めることはない。
エクスの予想通り、シェインとタオも彼女に続く形で腰を上げた。
「ほんと姉御って食べ物に弱いですよね…。でも新人さんの言う通りです、カオステラーの情報があるかもしれません」
「こんな平和なのになぁ。ほんとにいんのか、カオステラー?」
「しっつれいね! いるわよ! 『調律の巫女』としてそれだけは譲れないわ!!」
頬を膨らませながら、レイナは反論した。こんな様子からは想像もつかないが、レイナは「調律の巫女」と呼ばれており、カオステラーによって歪められた想区を元に戻す力を持っている。
…カオステラー…。自然発生かと考えられていた存在だが、実はロキとカーリーという二人組によって引き起こされていたのだ。エクスはぎゅっと唇をかみしめた。この想区にもカオステラーによって苦しむ人々がいると思うと胸が痛む。
「ほら、言い出しっぺの新人さんが動かなくてどうするんですか?」
「あ、うん、ごめん。行こうか」
もうすでに数歩先に進んでいるシェインに言われて、ハッとした。絶対、助けるんだと彼は自分に言い聞かせ、歩みを進める。
少し歩いて、レイナがばて始めたころ、彼女が横の方を見ながらエクス達に問いかけた。
「はぁ…はぁ…。あれって…人よね?」
三人ともレイナが視ている方向に視線をやる。草原に岩がいくつか並んでいるところがあり、そこに少女がたたずんでいるのが見えた。少女はうつむき、岩をじっと見降ろしている。表情は読み取れないが、悲しみが、遠目にも分かった。
それを全く感じないのか、はたまた元気づけようとしたのか…エクスは後者であることを願う…タオが陽気な声で少女に語りかけた。
「おーい! 村の子かー? ちょっと村まで案内してくれよー!」
タオの声に気づいたのか、少女はこちらを振り返った。しかし、彼女は急いでぺこっとお辞儀をすると村の方へ駆けていってしまった。長い黒髪が儚げに揺れる。
「お、おいっ! ちょっと待てよ!」
「待ってくださいタオ兄、姉御が」
タオは少女を追いかけようとするが、シェインに止められる。シェインはくいっと顎をレイナの方へ向けながら言った。レイナを見ると、最初の勢いはどこへやら、だいぶばてているようだ。ずっと平地だったはずだが…それでもレイナにはこたえたらしい。
エクスが水筒を彼女に渡すと、嬉しそうに受け取ってごくごくと飲んだ。
「ぷはぁ…、よし! 私はもう大丈夫よ! さっきの子を追いましょう」
「あの子も村に行ったみたいだし、村であの子の情報を聞いた方がいいと思う。この想区の主役かもしれないし」
「そうっすね、その方が効率的です。またタオ兄見て逃げられちゃうかもしれませんからね」
「おいおい…。俺の見た目ってそこまで怖いか…?」
主役。数多に存在する想区には一人ずつ「主役」と呼ばれる中心人物がいる。エクスがもともと暮らしていた「シンデレラの想区」ではシンデレラ。「雪の女王の想区」ではカイとゲルダ。「不思議の国の想区」「鏡の国の想区」ではアリス。これまで様々な主役と関わってきた。そして、主役さえ分かれば、その敵となる悪役がカオステラーである可能性が高い。…これはどういう理屈なのだろうか?
とにかく、あの少女はこの想区に何らかの影響をもたらしている。そうエクスは感じていた。恐らくレイナもシェインもタオだって同じことを考えているはずだ。四人は顔を見合わせ、歩き出した。
十数分後、彼らはようやく村にたどり着いた。町と呼ぶには少し活気が足りず、村と呼ぶのは少し違和感がある、そんな村だった。牛を飼っているのか、奥の草原は白い柵で囲われている。ここにはさっき見た湖とは比べ物にならない大きさの湖があり、ほんのり甘い香りがする。ピチャッと音を立てて魚が跳ねるのが見えた。
エクスは視線を近くに戻した。案の定、レイナが座り込んでいる。ここまでもずっと平地だったはずなのだが…。彼女の体力はいずれ何とかしないといけないだろう。
「もう疲れたー! ご飯まだー?」
レイナがわがままを言うように言った…いや、わがままを言った。しかし、エクス自身空腹を感じていたので、一概に彼女を責めることは出来ない。まずは食事にありつくのが得策だろう。レイナもうるさいし。
シェインはやれやれといった表情で、タオも呆れた表情で彼女を見ている。すると、この村の人だろうか、中年の男が話しかけてきた。
「旅の人かい? よく来たね、ここまで来るのは遠かっただろう。…おや、腹が減ったか。私の家においで、この村には店なんて大層なものはないからね」
「いいの!? やったー!」
「あの…いいんですか、ほんとに?」
エクスが遠慮がちに聞く。もしこの人がレイナを迷惑がって、とりあえず飯でも与えとくかという考えならそれはすごく申し訳ないからだ。というか正直恥ずかしいというのがエクスの見解だった。
「あぁもちろんさ! まぁ食事といっても村人同士で分け合ったものだから、私はそこまで大きな顔は出来ないけどね…自慢じゃないが、この村の野菜はうまいぞ」
くすくすと笑いながら男の人は言った。それを見て、エクスは申し訳ないと思いながらも、甘えさせてもらおうという気になった。シェインとタオも同意見のようだ。全会一致でこの人の家にお邪魔させてもらうことになった。
彼の家は意外と大きかった。というより、この村の家は大体割と大きい。だから村と呼ぶのに違和感を感じるのか、とエクスは納得した。
驚いていることに気づいたのか、男はまたくすくすと笑いながら言った。
「意外という顔だね。まぁここは土地が際限なく広がっているからこの村の人は多少広く家を作ったのさ。使われないとこも多いよ。そうだ、この村にいる間はここで泊まるといい。誰もいないからね、使ってくれなきゃ、家が廃れちまう」
「断れないような誘い方してきますね、おじさん」
「はっはっは。この村の人はうまいよ。みんなおしゃべり上手さ。待っててくれ、今食事を出してあげよう」
シェインの返しにそう答えると、男は厨房であろう場所に姿を消した。部屋には長椅子とテーブルが置いてあるだけの質素な内装だ。明らかに一人暮らしには大きすぎるテーブル。これもさっき言っていた、「多少大きく作った」というやつだろう。
騒がしかったレイナが少し落ち着いた頃、男はお盆をもって戻ってきた。
「待たせたね、パンは焼きたてとはいかないが、その他は全部採れたてだよ」
一人一人に食器が配られていく。みずみずしいレタスやキャベツのサラダ。香ばしい匂いがするポトフ。そしてパン。エクス達はいただきますと一言添えると、夢中でそれらをほおばった。
見た目通りキャベツは新鮮そのもの、シャキシャキしており、みずみずしさが溢れ出る。ポトフのじゃがいもはとろけるようだった。少し硬いパンとの相性は最高だ。四人とも信じられない速さで食事を終えてしまった。
そして彼らは本題へと話を移した。
「ごちそうさまでした。おいしかったです。それで…あの…ちょっとお聞きしたいんですが…」
「この村に、長い黒髪の少女っているか?」
タオがエクスの言葉を遮り、男に問いかける。さっきのことで責任を感じているのだろう。自分が大声を出したせいで彼女が逃げてしまったと思っているのだ。
男はさっきまでの陽気な様子とは打って変わり、少しため息をつきながら答えた。
「黒髪の少女…か。多分、アリーのことだね」
「アリーさん…っすか?」
「本名はアリウム。…俺を含め、あまり村の人と関わろうとしない子だよ、良い子なんだけどね…」
「関わろうとしない…? どういうこと?」
レイナが身を乗り出した。
「悪いね、俺の口から話すにはちょっと重すぎる。力になれなくてすまない」
「あっ…いえ、その…話したくないなら別にいいのよ。おいしい食事をありがとう」
彼女は慌てながらそう言うと、席を立った。そして、テクテクと扉まで歩いていく。
「何してるの、早く行くわよ」
「おじさん、ありがとうございました」
シェインに続き、タオ、エクスがお礼を言う。三人はレイナを追うように扉へと向かっていった。それを見て、男は言った。
「夜になったら戻ってきなさい。あと…そうだな…、彼女に出会えたらよろしく言っておいてくれ。『誰も君を恐れてなどいない』…と」
扉を閉める寸前に言われたとき、エクスは男の表情がとてつもなく寂しそうに、そして何より自責の念を感じているように見えた。
誰も君を恐れてなどいない…。やはり彼女はこの想区の主役…いや、カオステラーなのかもしれない。それは会うことさえ出来れば、すぐに確認できる事実だった。
家を出たレイナ達一行は、とりあえず彼女がどこにいるかを村人に聞くことにした。手始めに、ちょうど家の前を通っていた女性にエクスが聞く。
「あの…すいません。アリウムさんって今どこにいるか分かりますか?」
女性は不審そうにエクス達を眺める。当たり前だろう、明らかにこの村の者ではない彼らに彼女のことを聞かれたのだ。誰だって不審に思う。
一応不信感を解くため、エクスは言葉を続けた。
「僕達ここの家の方にお世話になっていて、彼女に伝言を頼まれたんです」
「…そう。アリーはまだ村に戻ってないみたいだから、多分あそこね。見える? あの…岩が並んだとこ。あそこだと思うわ」
女性が指をさしながら言った。そこはさっき少女がたたずんでいたところだ。岩がうっすら見える程度なので少女は見当たらない。しかし、この村の人が言うのなら可能性は高いだろう。
意外とあっさり教えてくれたことに驚きつつも、エクスは女性に感謝の意を示した。
「そうですか。ありがとうございます」
そしてエクス達は、さっきまでいた岩が並ぶ場所へと駆け足で引き返した。よくレイナがついてこれたものだなとエクスは感心する。しかし、感心している場合ではない。少女を見つけなくてはならない。
「これ…お墓…ですかね?」
シェインがじっと岩を見つめる。エクスも傍にあった岩を見ると、なるほど、確かに花が添えられている。…赤いカーネーション。花言葉は「母への愛」。昔、エクスが唯一恋情を抱いた相手がそう教えてくれたことを思い出した。彼女は他にも色々語ってくれた。恥ずかしながら、エクスは花の名前をあんまり覚えていないのだが…。
しかし、懐かしい想いにふける時間はそう長くは続かなかった。タオの一言でエクスは我に返る。
「ヴィランだ!」
「やっぱり来ましたね…」
「息が切れててもお構いなしってことね…上等だわ! 見せてあげる!」
エクスも戦闘態勢に入る。ヴィランは墓地と思われる場所の外にいた。ジリジリとこちらとの距離を詰めてくる。
その時、誰かの叫び声が聞こえた。
「止めてーーーーーー!! その人たちを傷つけないでーーー!!」
エクス達から見て左手の方から、少女が全速力で駆けてくるのが見えた。これをヴィラン達が見逃すはずがない。くるりと回れ右をすると、彼らは少女の方へ向かい始めた。
「おいっ! まずいぞありゃ!!」
「タオ兄に言われなくても分かってます! 姉御!」
「ええ! あの子がここに来る前に片付けましょう!! 行くわよ!」
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