第12話 必ず別れがやってくる。

 12...




 早朝、何か物音がして目が覚めた。

 腕の中には裸の千愛(ちあ)がいて、気持ちよさそうに寝ている。

 風邪を引かないで済むようにちゃんと布団を掛け直して、着る物を着て布団から出た。


 からららら……。


 扉を開ける音だ。

 聞き間違えなんかじゃない。

 廊下に出ると、正面の玄関の扉が開きっぱなしだった。


 靴をつま先に引っかけて外に出ると、朝焼けを浴びる木々が見える。

 雨はすっかり上がったようだ。まだ地面は濡れているが、それだけだ。


 家から道に至るまで続く斜面には田畑があって、そこにナツおばあさんがいた。

 畑を見て回っている。


 ただ……正直、土から覗く植物が一体なんの野菜なのかはわからない。

 ぼんやり見ていたらナツおばあさんが背中に手を当てながら背伸びをした。

 そして俺に気づく。あわてて頭を下げた。


「お、おはようございます」

「早いね。もう少しのんびり寝ていていいんだよ」

「いや……その。起きちゃったんで」


 そう言ったっきり沈黙。

 意気投合して見える千愛と違って、俺の場合は話題に困る。


「畑見て、なんかあるんですか?」

「いや、次は何を育てようか考えながら見ていただけさ」

「はあ」


 ほらみろ。すぐに困っちゃったよ。


「朝はいつも散歩してるんだ。付き合うかい?」

「……じゃあ、せっかくなんで」


 戻りますとは言いづらいし、何より……聞いてみたいこともあった。

 とはいえいきなりは聞きづらい。


「夕べはお楽しみだったようだね」

「う」


 強烈な先制パンチ付きともなれば余計だよ!


「まあいいけどね。止めて止められるものでなし。親さえ泣かさなきゃ、それで」


 しみじみと言われると言い返す言葉が更に見つかりません。


「……それで、なんだい? 何か聞きたいことでもあんのかい」


 挙げ句発言を促されてます。たはー。情けなし。


「家が綺麗なの、すげえなって思って」

「なんだい急に褒めて」

「本気で、そう思ったっていうか……うちは、母親亡くしてから、荒れ放題なんです」


 返事をしない代わりに黙って歩き続けるナツおばあさんについていく。

 促されないから、返事もないから……逆に、自由に喋っていいと思うことにして。少し言葉を選んでみる。


「誰が母さんの代わりになるでもなく。でも穴はあって、支障が無いように親父や千愛が埋めはするけど全部は埋まらないっつうか。俺は埋まるもんでもない気がして、何もする気もおきなくて」


 小鳥が、虫が鳴く。

 朝が早い人たちが家の外に出てラジオ体操をしていたりして。

 その中には独り身っぽいご老人もちらほらと。


「でも……生きてかなきゃいけないんだ。そう、気づかされたっていうか……うまくいえないけど! ナツおばあさんの家は、すげえなって」


 くそ。こういう時、千愛がいたらうまく補完してくれんのに。

 俺じゃうまく喋れもしない。


「言ってみな。どうすごいって思ったんだい?」

「……綺麗でした。生きていくぞ、って気合いみたいなもんがないと、ああはできないって思うんです。俺よりよっぽど、ナツおばあさんは生きてる感じがする」

「はっ! なるほどねえ。そうかい」


 笑い声をあげるナツおばあさんだが、笑いどころなんてあったか?

 俺、そんなに変なこと言いました?


「うちの人がね……言ったんだよ。ナツは強い女だ、俺はそこに惚れた。思うように生きてくれりゃいいって……いまわの際にね」


 ゆっくりとした歩調と同じくらい、ゆっくりとした話し声だった。

 妙に胸に染みてくるような……穏やかな声だった。


「笑いながら言ったんだ。だったら、悲しくても生きていかなきゃならん。あたしゃうちの人が大好きだからね……」


 そんなことを言える人は、よっぽど幸せで……満たされているように見えて。


「何を考えているか知らないけどね」


 立ち止まってふり返ったナツおばあさんの、


「いいことばかりじゃなかったよ? ひどいケンカも山ほどしたさ」


 疲れも苦しみも過去の証のように刻まれた皺を寄せた笑顔に、


「それでもね。大事に思えばこそ一緒にいられたってもんさ」


 正直何を言えばいいのか、俺にはわからなかった。


「さて。あんまり歩きすぎてもいけない。お嬢ちゃんが起きたときに一人じゃあんまり可哀想だ。戻るよ」


 結局ついていくことしか出来ない。

 ……それでいいのか。

 先に進むために旅に出たんだろ。

 千愛と一緒に……なら。


「寂しくないですか」


 デリカシーがなくても、もっと他に言い方があるとしても。

 俺にはこんな聞き方しかできなかった。

 それでも聞かずにはいられなかった。


「生きていれば別れは必ず来る」


 振り返りもせず、歩きながらのその言葉に怒った気配はなく。


「それでも……思い出はしっかり胸に残る。素敵な思い出だけ抱えるので精一杯だ。この歳になればね。寂しさなんて、感じている暇もありゃしないよ」


 隣に並んで見たナツおばあさんは、遠くを見るような目で笑っていた。

 その視線の先には、景色だけじゃない何かがきっと見えているに違いないのだ。


 ◆


 朝食をいただいて俺たちはお暇することにした。

 ナツおばあさんと抱き合って何かを話し合うと、千愛は涙ぐみながら手を振った。


「お世話になりました」

「必ずまた来ます。今度はお土産を持って」


 二人で頭を下げると笑いながら「おっちぬ前に来ておくれ」と言って手を振ってくれた。


 千愛と一緒に道を歩いてバス停に向かう。

 途中何度も立ち止まってはふり返って手を振る千愛に、ナツおばあさんは笑顔で応えてくれた。

 ほんと、いい人と出会ったし……いい経験が出来た。


「もっと……いたかったかも」

「それはまた今度にしようぜ」

「ぜったい?」


 鼻をすんと鳴らして上目遣いに見られる。

 可愛い。そうじゃない。

 ナツおばあさんに懐きすぎた。


「絶対だ」

「ならいい」


 そう言って歩調を早める千愛の横顔を眺める。

 夏休みは限りがある。

 親父をいつまでも待たせておくわけにもいかないしな。


 さて、今日中に行けるところまで行こう。

 台風も通り過ぎたみたいだし、今更変な問題も起きたりしないだろ。


 そんな油断がきっと、いけなかったのだ。




 つづく。

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