第14話―「まったくずる賢い男だな」


「ただいま……」


 寝不足に訓練というハードな一日を終わらせて、ようやく自宅に帰宅する。こういう時はやはり実家は楽である。それが嫌で兵舎に暮らしていたのだが、今この時だけは本当にありがたかった。


「まずは風呂に入って、食事をしたらすぐにベッドで……」


「お、お嬢様、おかえりなさい」


 メイドの一人が出迎えてくれる。彼女の様子は酷く落ち着かない態度だったのだが、疲労困憊のキシリッシュは気がつけなかった。


「すぐに風呂に入りたいのだが、準備は出来ているか?」


「それは、はい。すぐにでも……それよりも……」


「なんだ?」


 そこでようやくメイドの態度がおかしい事に気がつく。


「あの、今日もまたお手紙が……」


「あ」


 キシリッシュは頭を抱える。すっかり忘れていたが、掲示板は二日間掲載していたのだ。


「わかった。……先に確認だけしておこう」


 さすがに昨日あれだけメールが来たのだ、今日はその一割も来ていないだろう。朦朧とする頭で部屋に戻ると別のメイドが二人いた。


「あっ! すみません! まだ整理が終わっていないもので」


「かまわん。自分の仕事をすると良い」


「ありがとうございます……あっ」


 キシリッシュは自室の巨大な机の上に置かれた数通の返信メールを手に取った。五通なら返信を書くのも時間はかからないと、安堵のため息を吐いたとき。


「すみません! まだ残っていたのですね?!」


「ん?」


 床に座っているメイドの一人が慌てて立ち上がって一礼した。


「どういうことだ?」


「ほんとうに申し訳ありませんでした! 先ほど部屋に手紙をお運びする際、転倒してしまいまして!」


「ああ、ならば一緒に拾おう」


「……いえ、あの、床の分はすでにそこに全部……」


 メイドは申し訳なさそうに、横に置いてあった大きな木箱を指さした。大きさ自体は机の天板に乗る程度ではあるが、その箱一杯に、見覚えのある封筒がみっちり・・・・と詰まっていたのだ。


「なん……だと?」


 そこに詰められたメールの量は昨日の倍……いや軽く三倍はあるだろう。


「こ……これは?」


「いえ、民間の手紙業者だと思うのですが、郵便・・というお方が引き荷車で持ってこられまして……もしかして、何かのトラブルか嫌がらせでしたでしょうか? 先日も同じ方から届きましたし、お嬢様の既知の方からの物かと思いまして……」


「あ……ああ、大丈夫だ。お前たちに罪は無い。……こんなにメールが来たのか?」


「え、ええ……」


 キシリッシュは木箱に詰まった封筒の山を見つめる。紙というのは案外重いものだ。メイド二人で運べばひっくり返すこともあるだろう。血相を変えて部屋中の床を這いつくばって手紙を探していたメイドを責めるつもりは一切無い。


「わかった。あとは私がやるから、お前たちは職場に戻れ」


「本当に申し訳ありませんでした」


 彼女たちは深く一礼すると部屋から出て行った。


「……これ、どうしよう……」


 彼女は騎士試験ですら吐いたことの無い弱音を吐いた。


 ■


「あっ! お久しぶりです! キシリッシュ様!」


 あの日からしばらく仕事や返信に忙しかったキシリッシュだったが、久々の休みにアホウドリ亭に足を運んでみた。


「ん? たしかコニータ・マドカンスキーだったな。息災か?」


「え?! ええ! もちろんです!」


 まさか一度名乗っただけのフルネームを覚えていてもらっていたとは思ってもいなかったので、コニータは内心飛び上がりそうになった。


「えっと、今日は掲示板を利用なさいますか? もしご利用いただくのであれば、飲み物が一杯無料になりますよ!」


「なんだと? また凄いサービスを始めたものだな……」


「女性のみのサービスですけどねぇ」


「……あいわからず女性にやたら優しい商会だな。今日は使わないからサービスは遠慮しよう。それよりもまともなワインを頼む」


「ふぁぁぁい」


 キシリッシュは注文してから、彼が酒場の店員で無いことを思いだし、わびを入れようと思ったのだが、どういうわけかコニータはあちらこちらから酒の注文を受けていた。


「ああ、良いんだよ。今コニーはどっちの仕事もやってるからな」


「うおっ! ……お前は! 心臓に悪い! どうして背後から忍び寄るのだ!」


「うおおおおお! お前こそ反射神経だけで剣を抜くんじゃねぇえええ! いや、ちょい癖でな」


「悪い癖だ、直せ」


「理由があるんだよ」


「理由? どんな?」


 キシリッシュは剣を納めながら胡散臭そうに黒髪の青年、サイゾーを見た。


「あー、まぁ色々ある」


「言え。でなければやめろ」


「うーん……」


 サイゾーは頭の後ろを掻きながら悩む。


「わかった。犯罪とかじゃないから、誰にも言うなよ」


「……場合にもよるが、了解した」


 サイゾーはキシリッシュのに腰を下ろすと、彼女の耳元に口を近づける。キシリッシュは一瞬近づく男性のアップにドキリとしたが平静を装った。


「これはな、キャバクラなんかの勧誘テクの一つなんだが、通行人に声を掛けるとき、真っ正面からではなく、横切るのを待ってから、後ろから追うように声を掛けるんだよ」


「……なぜだ? 堂々と正面から声を掛ければ良いだろう?」


「真っ正面から行くと警戒されるし、俺のいた国では通行の邪魔をすると国家権力に捕まる可能性があったからな。斜め後ろか、後ろから、相手の意識の外から声を掛けて、そのまま並んで歩く。それがコツなんだよ」


「ふむ……」


「すると相手が先になるから、進行方向を変えても普通に付いていけば良いだけだからな。警戒されず、話を聞いてもらうためのテクニックだ。……しつこく追いかけられたもんだぜ……」


「酒場でする必要はないだろう」


「まあ、そうなんだが……新規に入ろうとする客なんかだと、迷ってる奴もいるからな。後押しだよ」


「……まったくずる賢い男だな」


「商売上手と言ってくれよ。それより今日はどうする? また掲示板に出してみるか?」


「……いや、今日はいい」


 キシリッシュはゲッソリとした表情を見せた。


「律儀に全員に返信を書くから……。いやこっちとしては有り難いんだけどな。じゃあ掲示板を読んでくか? 人が増えたから、掲示板の量も凄いぜ?」


「それなんだが……」


「ああ、相談事なら乗るぜ?」


 サイゾーは相変わらずキシリッシュの心を見透かすように親指を自分に向けた。

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