第10話 お奉行様
佐平がお奉行様や、ぬしさまへの罵詈雑言を喚き散らしながらお侍さんに引っ立てられていった後……。
あたりには、静寂が戻った。
「赤鼠に、裁きを申し渡す。入れ墨、むち打ちの上、禁固五年」
お奉行様が、その静寂を破って、ゴウやバクたちを扇で指す。ぬしさまが、「赤鼠は俺一人だ!」と反論したけど、お奉行様はそれを受け容れず、男達は容赦なく引っ立てられていく。
男たちが居なくなった後……お奉行様姿のりさはただ、ぬしさまを見つめていた。
「りさ?」
半信半疑で、ぬしさまはお奉行様にその名前で呼びかける。
「なんでい」
お奉行様が……その小さな身体で、大きな身体のぬしさまよりもさらに低い男の子の声で、そう答えた。
「りさ……お前……男……だったのか?」
「あーあー」
ぬしさまをからかうように、りさは野太い声を出し続ける。そして、ちらりとあたしの方を見ると、顎でぬしさまのほうを指し示した。
「ぬしさま」
りさに許されたような気がして、あたしはぬしさまの首にしがみつく。
「ぬしさま。ご無事でよろしゅうございんした」
両手を後ろ手にしばられたぬしさまは、あたしを抱きしめ返すことも出来ずに、ただ、あたしのなすがまま。
「ごめんな。さち香。今月の満月は、もう、終わっちまったなぁ。でも、もう来月から、満月になってもお前の所に行ってやれねえ。俺は、罪を悔い改めなきゃいけない。お前は……花魁として、幸せになんな」
「恋仲の約束の期日は、まだまだ先でありんす」
「そうだなあ。……ごめんな」
ぬしさまは申し訳なさそうに、うなだれる。
そして、檀上のりさを見上げた。
男の子の恰好をしたりさと、ぬしさまの目が合う。だけど、りさは意地悪げにふいっとそっぽを向いてしまった。
「りさ!」
その慌てた、甘えたような声に……。
あたしは、もう……ぬしさまの「恋の相手」として、りさには敵わないことを知った。
りさが男でも、女でも……多分、ぬしさまにはどっちでもいいんだろう。ぬしさまは、りさという人だけを愛するのだと……あたしじゃ、ダメだったんだと……知った。
ぬしさまはまだ、恋や愛、好いたはれたをしらないお子ちゃまだった。
だから、言い寄られればいろんな女を抱いた。あたしのことも、野菊姐さんに頼まれたから、抱いていた。
だけど……元来真面目なぬしさまは、本当に好きになったおなごが出来れば、もう二度と違う女は抱かないだろうと思っていた。
それが……あたしだったらどんなにいいかと……もしかしたら、本当は私のことを好きになってくれているんじゃないかと思った。
ちがう……ぬしさまはぬしさまなりに、きっとあたしを好きであろうと、頑張ってくれていたに違いない。
だけど……違った。
あたしじゃなかった。
ぬしさまの心に必要だったのは……りさだった。
十四歳からのあたしの恋は、知り合ってたった二ヶ月ちょっとのりさに負けた。
あたしは立ち上がって、檀上の、男装のりさを見上げる。
「男装がようお似合いでありんす」
あたしが声をかけると、「そうか?」と、りさは男の着物の袖を広げて、ウットリしてしまうほどに綺麗な笑顔をあたしに向ける。
「それとも、昨日が女装でありんしたか?」
「さあ、どっちかな?」
りさはおどけた表情であたしに微笑みかけ、そして、ぬしさまをみつめる。だけどぬしさまと目が合うと、また、意地悪にふいっとそっぽを向いてみせた。
「おい、りさ! お前、いい加減にしろ!」
慌てるぬしさまを、あたしは振り返る。
「ぬしさま。ごきげんよう。もう、テツジのダンナは吉原に出禁でありんすと……うちの親父様からの伝言でありんした」
あたしは、ぬしさまにそれだけを告げて……もういちど、男装のりさを振り返り、深々と頭を下げた。
「さ、お嬢さん、吉原までお送りいたしやすよ」
ハチさんが、あたしに退廷を促す。
あたしはその言葉に頷いて、奉行所を出た。
もう二度と、ぬしさまを振り返らない……。
そう決めた。
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