第2話 陸馬

 春が過ぎ、夏が来て秋を迎え……。

 里には厳しい、冬になった。

 なにせ、子ども達には上に羽織る着物がない。母達が客からもらったり、川男が遊女達が使う着物の切れ端をもらってきたりして、お伝がそれをつなぎ合わせてどてらを縫うのだが、それでも二十四人もいる子ども達のこと。圧倒的に着せる着物の数が足りない。

「……まだ母から離すのは可哀想だが……」

 お伝は口減らしのため、比較的身体が大きくて頭の回転も良い坊やたちを三人ほど見繕って街の御店に奉公先を見つけてやることにした。それに加え、うたをはじめ、産まれたばかりの子ども達を何人か、里子に出すという。里子に出される赤子の母親達は渋ったが、「里に残った子ども達がそれで冬を越せるのだ」とお伝に諭され、渋々、頷く。


 たまたま、お伝が見つけてきた里親が良かった。

 ある大店の番頭夫婦は、もう老齢にさしかかろうという年齢だが、あいにく子がなかった。それで、夫人が不惑を超えた頃から小さな女の子を何人かもらい受け、年頃まで育ててはそれなりの御店の手代と見合わせて縁づかせるということを趣味にしているというのだが、梢の長女のわかを引き受けられないか、なんなら赤ん坊のうたも一緒でも良いとお伝に伝えてきたのだ。

 江戸でも一、二、とまではいかないが、三、四を争う大店の番頭夫人であったから、家もそれなりに大きく、食べるものにも事欠かない。夫人が養女にしている娘達は他に六人ほどいるらしかったから、着るものにも遊ぶ相手にも不自由せぬだろうと、お伝も梢も二つ返事でそれを引き受けた。


 だが、それに反対したのがわかとうたの兄、陸馬だった。

「わかもうたも、なんでよそにやらなきゃならねえんだ」

 そういうなり、赤ん坊のうたをお伝から奪うようにして抱き抱え、夜の街へ飛び出して行ってしまった。

「こどもが街へ出るもんじゃねえ!」

 お伝が陸馬を止めたが、陸馬はこどもの中で一番足が速い。お伝が立ち上がった頃にはもう、陸馬の姿は見えなくなった。


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 雪がちらつく。

 白い雪が、小さな陸馬とうたの身体の上に降ってきた。陸馬はふっと、雪で白く霞む空を見つめる。

「寒くねえか」

 もう何刻なんこく 一刻=2時間、こうして歩いただろうか。陸馬は腕に抱いたうたに訊ねるが、眠っているのか、うたは返事をしない。陸馬はそんなうたを地面に降ろして、お伝に縫って貰ったばかりのどてらをかぶせると、抱き上げ直して里の方を振り返った。


 雪がちらつく、冬の夜……小さな陸馬の身体は寒さに軋んだが、腕に抱いた妹の体温が心地良い。陸馬はどこかの家の軒先に腰を下ろすと、つぎはぎだらけのどてらに包まれたうたの身体を抱きしめ、ほうっとひとつ、白い息を吐いた。

 目の前を、大きなお腹を揺らした男が、出っ歯の太鼓持ちを侍らせて通り過ぎる。陸馬は、その太鼓持ちには見覚えがあった。恰幅の良い男が、陸馬に目を遣る。

「何故、ここにこどもがいる」

 男の問いかけに、太鼓持ちが「夜鷹の子でございます」と答え、陸馬に向かってしっしっと手を振った。それを聞いた男が、「これをやろう」と、懐からいくつかの小銭を取り出し、陸馬の小さな掌の上に乗せた。「旦那様はお優しい」と、太鼓持ちがすかさず男を褒めに入った。それに気をよくした男が、大きく笑って、歩き出す。陸馬は、銭というものを見たことがなかった。だから、男にわたされた小銭が、なんなのかがわからない。太鼓持ちが「優しい」と言っていたからなにか役に立つものをくれたのかと思ったが、なんだがごつごつしていて、汚い、穴の空いた石に、陸馬はがっかりした。

「こんなものくれないで、団子のひとつもくれればよかったのに」

 言うなり、陸馬はその小銭をぽいっと街道に投げた。


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「……おい、陸馬!」

 ちょうど、川男かわおとこ先生の声が聞こえ、陸馬は川男の方を振り返る。雑踏の中でも頭一つ突き出た大きな川男が、小さな陸馬の肩をつかんだ。

「お伝が心配してるぞ、帰ろう」

「いやだ。帰ったらうたもわかも、いなくなる!」

 陸馬はうたを抱きかかえると、川男がいる方とは反対の方へ走り出した。

 だが今度は、お伝とは違う。川男は物の怪である。いとも簡単に陸馬の前に回り込み、陸馬からうたを取り上げた。

「お伝の言うことを聞け! 里へ帰れ!」

 陸馬をどなりつけた川男だが、腕に抱いたうたを覗き込むと、何度も、何度も、どてらの上からうたの身体を叩く。

「おい、うた? うた?」

 いつもは冷静な川男が、酷く慌てた様子でうたの名を呼び、何度も、何度もうたの身体を叩く。

「おや、テツジのダンナ」

 目の細い、四十がらみの男が、川男を呼び止めた。

「越後屋」

 ヒトの名前で呼びかけられた川男が、いかにも「テツジ」であるかのように振り返る。どうやら、川男は江戸の街では物の怪であることを隠して、ヒトとして生活しているようだと、陸馬は悟った。

「どうなすったんです。こんなところで」

 往来を行き交う大人達より、頭一つ分以上突き抜けた、覆面姿の怪しい男が赤子とこどもを抱いて途方に暮れていればさも目立とうと、川男を呼びかけた男があきれ顔でそう言って、川男が抱いたうたを覗き込んだ。

「こんな寒い夜空に赤子を出すとは、可哀想でしょう。お熱もあるようだ、ほれ、この薬を飲ませなさい」

 越後屋と呼ばれた男が、川男に一包みの薬を手渡す。

「かたじけない」

 川男はそう言って、懐の財布から先ほど、陸馬が通りすがりの男にもらったものと同じ石を取り出し、越後屋に差し出す。だが、越後屋がそれを辞した。

「ダンナにはいつもお世話になっておりますから」

 越後屋は「娘さん、お大事に」と川男に言い残すと、知り合いの男達と共に雑踏の中に消えていった。

「陸馬、帰るぞ」

 越後屋の姿が見えなくなった後、川男はそう言うなり陸馬をひょいと抱き上げると、そのまま、里まで連れて帰った。


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 うたは幸い、高熱が出てぐったりしていただけで、母の梢に抱かれると、ちゃんと泣いて、乳を恋しがった。

 うたを奪って逃げた上、小さな赤ん坊に風邪を引かせた陸馬は、梢とお伝からガッツリと叱られた。だが、肝心の陸馬は上の空。

 陸馬の心の中は、川男が越後屋に手渡そうとした、あの汚い石のこと。

 いつか川男がおとぎ草紙で話してくれた、どんなものとでも交換が出来る「銭」というものかもしれない。そう考えると、陸馬の小さな頭は自分が道端に投げ捨ててしまった、「銭」のことでいっぱいになった。

 あれさえあれば、うたとわかを里子に出さなくても良くなるかもしれない……。

 明け方になって、母達もお伝もまだ起きる気配のないうちに里を抜けだし、陸馬は昨夜、自分が走った方に向かって駆け出した。

 だが、いくら走っても、道がわからない。

 夜の道を当てもなく、うたを抱え、抱え、抱え直してはフラフラと歩いていたので、里からそう遠くないところだったという覚えはあるのだが、明け方のその道と、夜の道では風景すら異なっていて、道にまったく見覚えがない。

 木戸番の番太郎が陸馬に「何処へいく?」と声をかけたが、陸馬は首をかしげて木戸を通り過ぎようとした。

「おいコラ、チビ。木戸は夜が明け切らぬと開けらんねえんだよ!」

 細面の番太郎が、小さな陸馬の身体を止める。

「この辺に、銭が落ちていなかったか?」

「銭?」

 陸馬が昨夜、汚い石と間違えてこのあたりに銭を投げてしまったのだと説明すると、番太郎は「知らねえな」と言いつつも、「いくらだ?」と、問いかけた。

「しらない。だが、三枚もらった」

 陸馬が言うと、番太郎は頷いて、陸馬の小さな手に三枚の銭を握らせてくれる。

「ほら、これをやるから、おっかちゃんのところに帰りな。夜の間、ここの木戸は開けちゃいけねえ決まりなんだよ」

 木戸番の番太郎は、うるさそうにしっしっと手を振って、陸馬に「帰れ」と促す。陸馬は「ありがとう!」と呟いて、踵を返すと里へ向かって駆け出した。

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