第72話 傭兵淑女の無益な半日(3)~勘の冴えない時もある

次にリサが向かったのは港だった。

バドの仕事の件で、港湾荷役士を束ねるキリールに話を通しておくためだ。

キリールは純潔の大鬼族だが、


「俺たち大鬼族、それに妖精族の聖地といえばアルベルダ山地だけどな、親父はおふくろと駆け落ちしてきちまったのよ。だから俺は帝都生まれの帝都育ち、それもずっと東南区の潮風を浴びて育ったからな。聖地なんて足を踏み入れたこともねえよ」


という生粋の帝都民だった。

体躯はまさに容貌魁偉、腕力の強さなら東南区一とも噂されている。

鷹揚な性格で面倒見も良く、若い頃から人望を集めていたという。

リサも仕事の関係で彼とは何度か顔を合わせている。

宴席を共にしたこともあるが、豪快なだけではなく人情の機微に通じた親分肌の人物と評価していた。

バドを任せるには最適の人物だった。

荷役士は文字通りの過酷な力仕事だが、弟子の心身を鍛えるにはちょうど良いだろう。


(独身者向けの寮もありますし、お金も得られます。良いこと尽くしですね)


そう考えていた矢先に、グイードとの決闘騒ぎが起きてしまったわけだ。

当人はまだ動ける状態ではないが、一度キリールに話を通しておこう――そう考えていたのだが――。


「おっ、リサ。こんな所に来るなんて珍しいな。ははーん、『水龍亭』の飯でも食いに来たってところかい?」


港の中心部にある荷役士の事務所を訪れたリサを出迎えたのは、キリールの片腕と呼ばれる小鬼族のアニバルだった。

人間の子どもより少し高いぐらいの背丈で、薄い緑色の肌と額から生える小さな角が彼らの特徴だ。

アニバルは経理その他雑務を一手に引き受けていた。

算術を得意としていて、


「俺たち荷役士は力自慢揃いだけど、とにかく計算とか苦手でさ。おかげで昔は商会の連中にピンハネされたりしたもんだよ。アニバルのおかげで助かってるぜ、本当に」


と、キリールから全幅の信頼を得ているほどだ。

荷役士たちの『大将』がキリールなら、彼はさしずめ『参謀』といったところだろう。

ちなみに『水龍亭』とは、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類を安価で食べられることで有名な港内の食堂で、リサも時々足を運んでいる。


「いえ、今日は私の弟子のことでキリールさんにお話があったのですよ」


「ああ、聞いたぜ! お前さん、ついに人斬りグイードとやり合ったって!」


噂が広がる中で、どこかのうっかり者が勘違いをしたらしい。

迷惑な話だ。


「違いますよ。立ち合ったのは弟子のバドで、まるっきり歯が立ちませんでしたから」


「ん? それで真っ二つにされちまった弟子の敵討ちで戦ったんじゃないのかい?」


いかにも芝居などであり得そうな展開だけに、みんな疑問も持たずに広めてしまったのだろうか。

もしくは、父の敵討ちの件とごっちゃになっているのだろう。


「バドは確かに斬られましたが、まだ生きています。それで、その……こちらで弟子に仕事を与えていただけないかと思って伺ったのですよ」


港が最も忙しいのは早朝から昼前にかけてだ。

この時間帯ならば、荷揚げも済んで落ち着いているだろうと踏んで訪れたのだ。

だが――。


「ああ、そいつはどうも間が悪かったなあ、リサ」


「えっ?」


「うちの大将さあ、カミさんがそろそろ出産なのよ。それでもう一昨日辺りからそわそわしちまっててね……見てるこっちが落ち着かねえから、俺が『仕事は大丈夫だから付き添ってあげたらどうです?』って言ったのさ。だからまあ、あと二日三日は来ねえんじゃねえかなあ」


グウェンにモーリーン、そして今度はキリール。

会いたいと思った人たちに誰一人会えなかった。

わざわざ相手方の都合が良かろうという時間帯を選んだにも関わらず。

確率的には、相当に稀なことではないだろうか。

それも、その内二つは出産が絡んでいる。

偶然にしては少々出来すぎだ。

おまけに、一生会いたくもない『獄犬』とはなぜか遭遇してしまう。


(間が悪いにしても、あまりに不運が重なりすぎではないですかね……)


賭けならば、堅く張った勝負で連敗続き、といったところだろうか。

今日はもうおとなしく宿で寝ていろという神の啓示ではないのか、と真面目に考えてしまった。


「ま、そのバドだっけ、お前さんの弟子のこたぁ俺から大将に伝えとくよ。あのグイードと立ち合うってんだから大したタマじゃねえの。きっと大将も気に入るさ!」


ともあれ、まるっきり無駄だというわけではなかった。

丁寧に礼の言葉を伝え、リサは港を後にした。


(さて……どうしますかね)


午前中の予定はことごとく空振りに近いまま終わってしまった。

それもこれも、大半はリサの運の悪さが原因だ。

運不運について、あまり真剣に考えたことはない。

考えたところで仕方がないからだ。

だが、しいて言えば一年間傭兵稼業を続けてこられるだけの運はあるということだろう。

もちろん、それに安易に頼るつもりはない。


もういっそ、稽古場に戻って修行に励むのも良いかもしれない。

あるいは、今日は陽が悪いのだと諦めて宿に戻るという手もある。

だがいずれにせよ、


(まずはお昼御飯からですね)


先程からしきりに鳴り続ける空き腹を収めるのが第一だった。

選択肢はいくつもある。

ここは大陸一の人口を誇る帝都なのだ。

港に戻り、『水龍亭』で荷役士たちと共に魚料理に舌鼓を打つ。

もしくは近いところで広場の屋台を二、三軒巡るという選択肢もある。

少し歩くが『赤速亭』でアルバおばさんの西方料理を食べるのもいい。

つい先日食べたばかりだが、毎日食べてもそうそう飽きない味だ。

飽きないと言えば『偉大な鯨亭』を真っ先に思い出す。

若き日に大陸全土を旅して修行したという料理長が、各地の料理を提供する店だ。

そこで本日のおすすめ料理を頼むのも一興だろう。

だが、今日は何しろ間が悪い日だ。


(どこに行っても失敗しそうな気がしますね……)


我ながら気にし過ぎだとは思うが、こういうのは重なるものだ。

占いはあまり信じないが、きっと今日は「新しい事をしようとするのは凶。普段通り過ごすべし」などと言われる日なのだろう。

リサはとりあえず、いつものように『カモメの歌声亭』に向かうことにした。

傭兵仲間の誰かと会えば、きっとその相手の『運』で流れが変わるのではないか――そんな迷信じみたものにすがって。

いや、せめて誰かに愚痴の一つも聞いてもらいたかったのだ。


(……間が悪いのではなく、今日は私の勘が冴えないのですね……)


リサはそう結論付けることにした。

『カモメの歌声亭』の店先には、うんざりした顔で傭兵たちが座り込んでいて、


「今日は大掃除だってよ。夕方までかかるってさ」


「白雪ちゃんならいないぜ? どっかで稽古でもしてんじゃねえかなあ」


「ゴートもまだ北区から戻ってねえな。タキは……表の仕事だろ、たぶん」


「ディノも朝から顔を見ねえな。何だ、リサなら居場所を知ってるかと思ってたのに」


思わずその場にへたり込みそうになる。

頼みの綱の『いつもの店』でこの仕打ちだ。

きっと何をやってもダメな日なのだろう。


(師匠は長いですね……次の仕事は相当大きなヤマなのでしょうか?)

傭兵の師匠であるゴートとは、誘拐師の一件以前からずっと顔を合わせていない。

少し気になるが、今はこのどうしようもない状況を打破するのが先決だ。


(……と、なるともう……)


諦めて、おとなしく宿に戻るのが正解かもしれない。

ここで仲間と開店までダラダラ過ごすのは、あまりにもみじめすぎる。

明日になればきっと、風向きも変わるだろう。


(ですがその前に、アンに会っておきましょう。うん、きっとそれが最善です)


親友の尼僧、『東南区の守護天使』に一目会えば、このモヤモヤした気分も一新できるに違いない。

一縷の望みをかけて、リサは教会に向かった。


(続く)

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