第49話 追う者と追われる者(5)

傭兵たるもの、いつ何が起きても対応できるようにしておけ――。


リサがこの稼業の『師匠』としている人物の言葉だ。

彼女はこれを常に胸に刻み、可能な限り変事に備えている。

皮鎧に外套、彼女の得物である杖に、履き慣れた編み上げのブーツ。

背嚢には携帯食料と水筒、組み立て式の小型ランタンなど、数日間野宿できるだけの用意がある。

戦いの準備はもとより、長丁場の監視や尾行にも対応できる構えだ。


(まあ、今は彼らと戦っている場合ではありませんが……)


あの南区のゴロツキどもが、軽い悪さをする程度であったなら、あるいは今回は見逃したかもしれない。

だが、連中はバドを刺し、グウェンの診療所を襲撃した。

実力はともかくとして、殺しを厭わない危険な集団であることは疑う余地もない。


(バド……どうか無事でいてください!)


フードを目深に被って顔を隠し、感情を押し殺してモニカの背を追う。

この一年間で、尾行も何度か経験してきた。

複数名による尾行の場合、このようにしてある程度の時が過ぎたら先頭を交代するのが常套手段だ。

だが今回は、相手がリサの顔を見知っているので、モニカに一任する形になっている。


(あまり長引かなければいいのですけれど……)


モニカは勘も鋭く、こうした経験も数知れず積んでいるので信頼できる。

だが、そうはいってもあまりに追跡が長時間になれば気付かれる可能性も高くなるものだ。いざとなれば逃げることになるが、


(気が付いたらこちらが逆に囲まれていた……なんてこともありましたね……)


まだリサが傭兵として駆け出しだった頃の、苦い思い出だ。

すぐに頭から振り払う。余計なことを考えている場合ではない。

ましてや、過去を振り返るべき時でもなかった。


徐々に道行く人影が少なくなってきた。南区との境に近づいている。

やはり、彼らの拠点は南区かその近辺ということだろうか。

リサには不案内な土地だ。

強い風で一瞬フードが外れそうになり、慌てて手で押さえた。

冷たい、湿り気を帯びた風だった。

太陽はすっかり雲に隠れてしまっている。

見るからに分厚い雨雲だ。一雨来るのは確実だろう。

雨は気配を隠してくれるので尾行には都合が良いが、長い時間打たれるとこちらの体力も奪われてしまう。


東南区と南区の境にある、大きな橋を渡った。

大通りから脇の小路に入り、そこからさらに細かく入り組んだ一帯へ。

浮浪児の少年少女が鋭い視線を、物乞いが茫洋とした目を向けてくる。

明らかに治安の悪い地域だ。

用心を怠らず、かつ住民を刺激しないようにモニカを追う。


(深入りしすぎましたか……いや、もうここまで来たらやれるところまでやるしかないですね)


周囲のピリピリした空気が肌に刺さってくるが、リサはもう覚悟を決めていた。

モニカは「アジトを突き止める」という指示に忠実に従っている。

一度決めたら最後までやり通すというのはモニカとリサの共通の流儀だ。

決して中途半端なことはしない。


モニカが足を止め、物陰に隠れた。だらりと下げた右手で合図を送ってくる。


――止まれ、リサ。


その場に座り込み、靴紐を結び直す。

フードの奥から、じっとモニカの挙動を追った。


――来い。


焦らず、ゆっくりと立ち上がる。誰かの気配は感じられない。

足音を殺し、慎重にモニカに近づいていく。

木造の廃屋が立ち並ぶ中、比較的まともな造りの小屋だった。

といっても、並の神経では住むことはできないだろう。リサだったら、まず家の修理から始めるところだ。

組まれた木々の隙間から、煙のようなものが這い出ている。

数名の男たちの、裏返った高い笑い声が聞こえた。


「ここだ。探るか?」


声を発さず、口の動きだけでモニカが尋ねてきた。

唇の動きだけで、お互いに意思を伝え合う読唇術。モニカと知り合ってすぐに、彼女から教わった技術だ。


「母ちゃんが若い頃に使ってたらしい。旅に出ると言ったら教えてくれたのだ」


「……一体何者なんですか、モニカのお母さまは……」


それ以上深くは追及しなかったが、ともあれ役に立つ技術には違いない。

あくまでも口の動きから類推するだけなので、複雑な内容の会話はできないが、このような状況で身振りも交えればあらかたのことは伝えられる。

リサが頷くと、モニカはかがみこんで隙間から中の様子を窺った。

リサも息を止め、足元に細心の注意を払いながら少し距離を取り、同じように偵察を始める。


小屋の中には、合わせて八人の男たちがいた。

汚れた板張りの床に、土足のままでどっかりと車座になっている。

一人だけ、部屋の隅に丸まって寝転ぶ金髪の大男がいた。

男たちはいずれも皮鎧や粗末な衣服に身を包み、手元には棍棒や剣があった。


(最低限の用心はしている、といったところですか)


部屋の中央は、板が数枚引き剥がされていた。

そこに石が積まれ、上に大鍋が置かれてある。湯を張った鍋の中には、肉と野菜が溢れんばかりに無造作にぶち込まれていて、食欲をそそる匂いが漂っていた。

男たちが酒瓶を順に回し、自分のコップになみなみと注いでいく。

モニカの方をちらりと見ると、不満そうに口を尖らせていた。もちろん、だからといって自分も呑み始めるようなことはしない。


リーダー格の音頭で乾杯をすると、男たちは一斉に奇声をあげて酒をぐいと飲み干した。

一番年若に見える痩せた男が、煮えた肉と野菜を器に盛って、それぞれに渡していく。肉はどうやら鶏肉のようだ。

脂が浮いた黄金色の汁をすすり、男たちが舌鼓を打つ。


再びモニカに目を移すと、


「どうする?」


そちらに全て任せる、といった無関心な顔で問われ、


「もう少し様子を見ましょう」


リサは即答した。

アジトを突き止める、という当初の目的は達成できた。

ここで満足して東南区に戻り、バドの捜索を続けた方がいいかもしれない。

だが同時に、


(もし、彼らと一戦交えるつもりなら……)


これ以上ない好機でもあった。

腹を満たした後は当然眠くなる。

まだ就寝には早すぎる時間帯だが、彼らのようなゴロツキには関係ないのだろう。

様子を見ている限り、この調子なら酒もどんどん進むはずだ。

その寝入りばなを叩く。

人数は圧倒的に不利だ。

だが、最初の奇襲でモニカのクロスボウの腕なら確実に二人は仕留めるだろう。

射撃に十分な大きさの穴ならいくつもある。


入口は一つしかない。

これも、奇襲する側からすれば好都合なことだ。

小屋のいかにも脆弱な造りをみるに、下手に蹴り破ればそのまま倒壊しかねない。

よほどのことがない限り、入口から慌てて出ようとするはずだ。


(そこを私が襲えば……二人は倒せそうですね)


それで二対四になる。

まだ数で負けているが、飛び道具の利は大きい。

先日の戦いの時と同様、男たちの得物はどれも近接戦闘用の物ばかりだ。

二人の呼吸を合わせれば、十分に勝機はある。


(問題はあの大男ですね……)


ただ一人、周りの野太い喧騒にもまるで反応しない金髪の男が気になった。  ゆったりとした上衣を身に着けているのではっきりとは判らないが、立ち上がれば相当な長身だろう。

肩と背中の盛り上がり具合から察するに、かなり体格はいい。

鍛錬を積まずとも、生まれ持った膂力だけで脅威となるタイプと思われた。


(あの蛮刀と……盾ね。厄介かも)


抜き身のまま床に置かれた、反りの大きい蛮刀。

手入れはしていないようだが、リサの杖でまともに受け止めるのは厳しいだろう。

円形の盾もかなり大きく、中心に大きな棘状の鋲が打たれてあった。

あれで叩かれたら、致命傷になりかねない。


(やはりここは一旦引いて、バドを探すことに専念すべきでしょうか……)


モニカを見ると、すでにいつでも撃てるという構えをしていた。

気が早いとも思ったが、彼女の戦闘時の集中力は桁違いだ。

この状態を保ちながらいつまでも待機することができる。

あとはリサの決断次第だ。


「ところで兄貴ぃ、バドの野郎、どうしますんで?」


踏ん切りがつかずに監視を続けていると、男の一人がリーダー格に尋ねた。

おだをあげていた男たちが静まり、鋭い視線を集中させる。


「ああん? ぶっ殺すに決まってんだろうがよお?」


「あの黒髪の女は?」


「おう、あいつももちろんやるぜぇ」


「きひひ……ねえ兄貴、『やる』って、そりゃあ一体どっちの意味ですかい?」


「馬鹿、お前、そりゃあ当然こっちの意味に決まってんだろお!?」


リーダー格の男が自らの股間を手で撫で回すと、男たちが下品な顔で笑い転げた。

黒髪の女とは確かめるまでもなくリサのことだ。

どうやら慰み者にして楽しもうという腹づもりらしい。

不快かつ迷惑極まりない話だ。


(やれやれ……っと、モニカ、殺気は出さないでね)


念のために確認してみたが、さすが場数を踏んでいるだけに彼女も冷静だった。

ただ、虫けらを――否、何の変哲もない石ころでも眺めるような醒めきった目をじっと小屋の中に向けている。

それは少なくとも『命あるもの』を見る顔ではなかった。


モニカの怒りが『一線を越えた』ことをリサは悟った。

先日、酒場でリサをなじっていた時の感情を剥き出しにした怒りとは全く違う。

彼女は本気で怒ると、表情を一切見せなくなる。

普段はどちらかといえば感情を顔に出すことが少ない。

だが、本気で怒っている時の『無表情』はそれとは違う。

モニカはもう、この連中は殺すと定めてしまったのだ。

そうと決めたらもう一切迷わない。

死の鉄槌を下すことに一分の躊躇いもない。

もはや彼女の目には、連中は死体同然の『動く標的』なのだ。


「でも、バドもあの女もヤバいじゃねえですか。どうやって倒すんスか?」


興味のある話題を別の男が引き出してくれた。

六人がかりで蹴散らされた相手に何の策もなく挑む愚か者はそうそういない。

普通は何か手立てを考えるはずだ。


「へっ、『あいつ』に任せりゃ楽勝よぉ! 俺たちゃ高みの見物だぜ」


リーダー格が顔を歪め、顎で金髪の大男を示す。

男たちの何人かが失笑を漏らした。

やはり、この一味の中では最も高い戦闘力を有しているようだ。

だが、恐らく仲間としては認められていないか、一番低い扱いを受けているように見受けられる。


(もしくは、使い捨ての駒扱いといったところですかね)


バドの顔が脳裏に浮かび、思わず下唇を噛み締めた。

元締たちの抗争の捨て駒になど、絶対にさせたくない。

一刻も早く、この二つの厄介な事態を解決しなければ。


「だけど兄貴、この野郎は……」


「分かってる、安心しろって。『こいつ』がありゃあ自由自在ってやつよ」


心配そうな子分に対し、リーダー格は懐をトントンと軽く叩いて得意げに答えた。

子分たちが一様に曖昧な笑みを浮かべて沈黙する。

何かしらの『隠し玉』を用意しているようだ。

自由自在という言い回しが気になった。

また、子分たちもその『隠し玉』を恐れている節が見受けられる。


「それよりよ、あの闇医者。金は大して持ってねえようだが、商売柄、薬は色々と置いてあるみたいだぜ? へへ、そいつを売って一稼ぎってわけさ」


「おお、さすがっスね!」


「当ったり前よ。まずは小娘の助手と闇医者をさらっちまうんだよ。で、それから黒髪の女とバドな。人質を使って呼び出して……バドの野郎はぶち殺す、女三人は輪姦しちまうって寸法よ。これでどうだぁ?」


卑劣かつ下衆な作戦に、男どもが喝采を浴びせた。

思うさま暴力を振るい、個人的な恨みを晴らし、他人の財産を奪い、薄汚い性欲を満たす。

それがこの連中に限らず、世のゴロツキどもが常に頭に思い描いている至上の喜びなのだろう。

法は言うに及ばず、倫理や人情などは思案の外、いや、脳裏をかすめることすらないはずだ。


(悪党ども……許しません!)


リサは決断した。

この場で全員、一人も残さずに仕留める。

グウェンとココを、この悪党どもの毒牙に触れさせるわけにはいかない。

早い時間から宴を始めた理由もようやく分かった。

夜半までひと眠りし、深夜になってから診療所を襲う予定なのだろう。

ここで引き下がり、グウェンたちに知らせてどこかに逃げてもらう――そんな選択肢もないわけではない。

だが、リサの戦士の血はすでに怒りで沸き立っていた。

この外道どもを野放しにするなど、リサの流儀ではない。


モニカに視線を移すと、


「いつ、やる?」


こちらの意図を瞬時に汲み取って、簡潔に尋ねてきた。


「待って。確実に料理しましょう」


モニカの冷たい瞳に宿る熱い闘志を感じ、リサは一呼吸おいてから応えた。

煮えたぎる憤怒に任せて戦いを挑みはしない。

リサはあくまでも傭兵だった。


「いいかい、どうやったら勝てるか、どうやったらこっちの犠牲を最小限で抑えられるか、戦う前はそれだけを考えるんだぜ? 憎しみや怒りなんか要らねえ。仕事だからな、当たり前の事のように殺せ。それが傭兵ってもんさ」


師匠の言葉を胸に、リサは戦支度に取り掛かった。


(続く)

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