一
捧はいわゆる高校生、男子高校生というもの。いつも通り朝にはちゃんと登校し、のんびりと授業を受け、放課後はそのまま帰るような生活をしている特に変わりのない子。友達と男子高校生らしい猥談もできるような普通の子。
身長は平均よりも高く、体重はその高さに見合ったほどよい肉付きだ。元々筋肉質のひきしまった身体をしている。中世的ではなく、男の子の香りがする正統派な男前の顔立ちもあって、限定されずきゃっきゃ言われていたりもする。そういうところは普通ではないかもしれない。
産まれは首都である江露(えろ)。育ちも首都である江露。
この国の首都であり最大都市である江露はわかりやすく言えば、あなたたちの東京に位置する場所にある。そう、この世界に東京という場所はなく、江露が存在している。本筋に全然関係がないので説明はそれくらいだけにする。
休み時間中に捧がぷらりと一人で廊下を歩いていると、上の階段の踊り場の所で男女が真昼間にも校内にも関わらず、ぴちゃりと唾液の混じる音と控えめな息を響かせながら深いキスをしていた。
「休み時間に元気だな。つばが飲みたくなったのか」
捧はそれを聞こえないようにつぶやき、耽っている男女の側を表情一つ変えずに通り過ぎた。この階段を上ったところに男子トイレがある。
「でも、あんまり男は上手くないみたいだ。女の子の舌を考えずにべろべろしてたし。友達同士か、あの感じは」
あくびをしながら多目的トイレの前を通ろうとすると、中から女の子の喘ぎ声と往復運動からくるがたがた響きが外に漏れていた。ドアは閉まっているのにもかかわらず。
「ちぇっ、先越された。せっかくヤろうと思ったのにな」
「うん、ごめんね……私が我慢できなかったから」
「いんや、問題ない。まったく可愛い雌豚なんだから。キスだけでも楽しいし」
「えへへ、嬉しい……っ」
多目的トイレに入れなかったカップルが愚痴っている。捧はそれにも特に表情変えずに通り過ぎ、男子トイレへと。
「やっぱりここもか……はあ、小だから良いものの」
きれいに掃除されている男子トイレの個室はすべて赤印でロックが掛かっていて、すべてから声が漏れている。一人ではなく、明らかに相手がいてそれが混じっている。
(狭いし時間ないし、この感じはみんなB止まりか。そりゃそうだよな、“第3級”もみんながみんな持っているわけじゃないし。授業へのストレス発散にはその程度で十分だよな)
小便器で用を足し、手を洗い、あらかじめ用意して口で挟んでいたハンカチで拭く。
「んっ、んんっ……あっ」
「へへっ」
「こんな所、みんなに聞こえちゃうよ?」
「それもまた良いだろ?」
「そだねっ。もう、狼なんだから。あっあっあっ――あんっ」
あまりに慣れた状況なので捧のものは何も反応しない。学校のトイレプレイは彼にとって驚きの対象でもなく、それはほとんどのみんながそうだった。
「はあ、金持ち学校が羨ましいな。トイレの隣に“そういう部屋”をちゃんと作ってるし。あんなんじゃ、本当に大だったらどうすんだよっての。まあ選んだのオレだから仕方ないけど」
そろそろ次の授業のチャイムが鳴るので、まだいちゃちゃし続けているカップルたちの心配なんてせずに彼は教室へと戻った。廊下でも隠すことなくキス街道ができていた。
「――はい、では“江露幕府(えろばくふ)”を開いた初代将軍と言えば? なんて小学生でも知っているようなことだけど」
「徳皮濡康(とくかわ ぬれやす)ですよー馬鹿にしないでくださいよー」
歴史の授業。教科書とノートを開いて捧は板書を写している。黒板には江露幕府の始まりというタイトルが大きく上にチョークで書かれていた。女の人らしい丸い字だ。
「はい、そうですね。それから今までずうっと平和に今も続いているのが江露幕府ですね。現在は徳皮濡彦(とくかわ ぬれひこ)様です。誰が言ったか、『愛と肉欲と汁にまみれた大乱痴気時代(だいらんちきじだい)』とぴったりな言葉があります。パックス・エローナとも言います。その通りですね。あらゆる性に関する行為が素晴らしいものであるというのが開かれてから変わらぬ江露幕府の大黒柱です。みなさん、楽しんでますか?」
「はーい」
女教師は最近彼氏ができたらしくて、とても肌艶や機嫌が良かった。二十代後半の美人さんなのでいつも恋人がいてもおかしくないが、あまり床上手ではないらしく、それが原因で別れられたとちょっと前に泣いて愚痴って授業どころじゃなくなったこともあった。
「うえええん、私だって一生懸命頑張ったのにぃ……! これじゃいつまでたっても“第2級性乱者”になれないよぉっ、うわああああん!!」
それを聞いた捧は「やっぱりアラサーだと気にするんだな。それにそんなにあれなら風俗とかで練習すれば良いんじゃないのかな」という聞かれたら怒られそうな感想が浮かんだ。
そんな彼女を生徒が、
「まあまあ先生。僕でよければ慰めますよ」
と声を掛けたが、先生は、
「生徒だし、そもそもあなた第4級の童貞野郎じゃないのぉぉぉ……っ」
「ひでぇよ! 僕だって一生懸命勉強してるのにぃっ!」
泣き止むことはなかった。
こういう社会だからと言って、先生と生徒が見境なくすることもないこともないけれど。ちゃんと法律が決まった上で性行為が行われている。
「でもちゃんと“性交法(せいこうほう)”を守らないと、法律違反で罰せられますからね」
あのことを忘れたのか、気にしないようにしているのかは定かではないが、教師は平然と授業を続けている。
「では、春野くん。“性乱者(せいらんしゃ)”について答えてみてください」
名を呼ばれて席から立ち、捧はみんなに聞こえるようなるべく大きな声で自分の知っていることを述べた。教室が彼に注目する。それはちょこっとあこがれも混じって。
「国民には全員、性乱者という格付けが存在します。最上位の第1級から始まり、最下位の第4級まであります。年齢と性知識テストでの結果が考慮され決まります。それはそのまま社会的地位にもなり、そして性行為にも制限が掛かります。第4級はキス、ペッティングまで許可されており、性交は禁止されています。第3級でようやく性交が解禁されますが、避妊を厳守されています。第2級でついに避妊厳守が解禁され、膣内射精が認められ子孫を残すことができるようになります。もちろん、パートナーであるお互いが同じ性乱者レベルでなければなりません。第1級は解禁されるものが特にありませんが、その社会的地位は圧倒的で、いわゆる偉い人たちということになります」
よろしいと教師は頷いて、座ってとジェスチャーをする。一瞥して捧は再び着席し、ほっと一息つく。大勢の前で話すのに緊張していた。
「よろしいですね。さすがの中学で第3級取得なだけあるわ。わかりましたか、みなさん。ルールを守れぬ性行為は畜生のやること! です」
彼は中学生時代に第3級を取得した珍しい少年だった。基本的に第3級は高校二年生終わりのレベルだと言われているので、その早さから周りに一目置かれている。それにそういう子は基本的に「高等性専門学校」、通称「高専」に進学しエリートコースに乗るのが普通であり、こんな一般高校に来ることも不思議がられていた。
「春野、やっぱなんでお前こんな所に来たんだよ。プロチカン目指してんだろ?」
「うん。でも高専遠いし、ここが丁度いい立地だったから」
「かぁーっ、もったいねえって! 親御さん泣いてるんじゃないのか?」
隣の席の友達男子、北(きた)が捧にばれないよう話しかけてきた。放課後に遊んで帰るくらいの仲。ちなみに彼もなかなか成績優秀で、第3級を高校一年生の終わりに取得していた。女子高に通う可愛い彼女(相手ももちろん第3級。お互いが第4級の頃から付き合っている)がいる童貞卒業済みの少年だ。どちらかと言えば中世的な雰囲気だが、ヤることに関してはすごいらしい。
「でも不思議なのはそれだけじゃねえよ。そんな前から第3級なのに、いまだ童貞ってことだよ。なんでなのかまったくわからん。俺はお互い取得した途端、もうそれはそれは所構わず燃え上がったもんだけど」
「だって恋人いないし」
「別に相手が恋人でなくても出来るだろ。普通だって。スーパースペックなんだぞお前は」
「機会があればな」
適当に逃げてみたが、ちゃんと貞操を守っているのには彼なりに理由があった。確かに相手さえ選ばなければすぐにでも卒業できるのが捧だが、そうはしない。
何度もワックスがけした教室の床は黒ずみが目立って、天井も埃が基地を作っていたりした。誰も気づいていないのか、気づいているけど掃除が面倒くさいのか。ぼうっと捧はその埃基地の数を数えながら、授業を聞く。
(うん、やっぱり咲花先生のおっぱいはなかなかだ。服の上からサイズを推測してみるか……)
授業にも基地数えにも飽きてしまった捧はそういう一人遊びを始める。新恋人出来たうきうきアラサー女教師、咲花の胸を凝視し、意識を集中させていく。
(幸いなのは今日が春にしてはちょっと暑いことだ。ブラウスだけなのが良い、ブラトップならさらに良かったけど。まあ、これでも十分だ。やってやる)
黒板に字を書くときに腕を上げる。すると捧の席からはその胸の横の形がわかりやすくなる。なかなかの立体感があって、これまでの彼氏もそこに惹かれたに違いない。しかしそれだけでは上手くいかないのが大乱痴気時代だ。お互い切磋琢磨せねば。
腕を上げたまま字を書けば、あの双丘はわずかに揺れる。誰も気づかないくらいにわずかだ。それを捧は逃さす、そして書き終えても一挙一動の揺れを頭に叩き込んでいく。
(トップは大体89くらいかな。やっぱりおっきいな。ブラウスのしわに影の感じ、そして物理の力を感じる揺れ具合。後はアンダー。しかしここで目測を誤ればカップサイズは大きく変わってしまう。ほんの少しであってもだ。本人にとって一つの差はかなり大きいものだ。男で言えばちんこのサイズはたかが1センチでも人生を左右するほどに)
下着姿であれば一発でアンダーの想定ができる捧だが、女教師はブラウスだ。ブラウスであるということは、胸に引っ張られて膨らみの下が想像しづらくなっている。だからもっと集中し、長年の経験と記憶を駆使し、型抜きの要領で胸を頭の中で描き上げていく。そのまま出力すれば3Dプリンターで成形出来るレベルにまで。
(自分のおっぱいに自信があると見た。無駄に寄せて上げていないからいける、いけるぞっ。よおし、このまま線を割り出していってそこから導き出されるアンダーは)
一つのラインが繋がるとそこにはまさしく女教師のおっぱいがあった。
(アンダー推定66くらいっ。てことはだな、トップとアンダー差は23センチ。Fだ、オレは咲花先生のおっぱいをお椀型の綺麗なFカップと結論付ける。よし、あとで訊いてみよう)
一仕事が終わると終業の鐘が鳴った。捧はちゃんと彼女のサイズをメモに取り、礼をしてから大きく息を吐いた。あまりに脳が疲れて熱を持ったので、下敷きであおいでいる。尋ねるどころではなかった。
「まさか、春野、やったのか?」
「暇だから力試しにやってみた。見るか?」
「おっ、おおう。俺はパンツ特にクロッチが好きだけど、咲花先生のおっぱいには興味があったんだ。どれどれ」
メモの内容を確認し、彼の脳内で彼女の胸を再現しているようだ。その上でこのサイズの説得力を求めようとしている。結果はしばらくすれば出た。
「ああ、さすがだよ。なんだかすごくそんな気のする予測だ。答えはどうするんだ?」
「放課後に訊きに行ってくる」
「おいおい、先生に直接にかよ。なんてやつだ」
「大丈夫だ。間違いないから、問題ない。小さいサイズでも大きいサイズでもないんだから、そうだろ?」
「そういうこと言ってるんじゃなくてだな……」
呆れている友達の意味がわからず、捧は自分の導き出した答えに夢中だった。早く放課後にならないかなとわくわくし、窓から吹く風を浴びながら持ってきていた麦茶を一口。絵になる姿だが、まさかそれがカップサイズを割り出した後のものとはほとんどが気づいていない。
「早く来ないかな、放課後……」
冷たい麦茶が身体に沁みていた。
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