第一章-11 『無縫の少女』
襲撃者との戦いの翌日、ライアは早く起きて魔導院アルマンダルの中を散策していた。
ヒルデガード卿が言うには、事件の多くは王都周辺で起こっているので当分の間はここが拠点となるらしい。
今はそれに慣れるための下調べをしているのである。
なぜそんなことをしているのかと言われれば答えは簡単、ライアはこの世界の文字を完全に読めるようになっていないからであり、流石に文字が読めないというのは恥ずかしかったので、前にリリィに相談して作ったアルファベットとこの世界の文字の変換表を見ながら院内の施設の場所や名前を覚えている最中なのだ。
「早く翻訳魔法でも使えるようになれば楽なんだけどなぁ......」
そんな愚痴を零しながらライアは1人歩き続けていた。
早朝だからか、人の気配はあまり感じない。
しばらく進むと、魔導院の端の区画、行き止まりに差し掛かった。
この辺りはもう陽が出ているのに薄暗く不気味な感じを漂わせている。
今日は結成式もあるのでそろそろ帰ろうとしたその時、建物の奥から微かな声が聞こえた。
「......たす......けて......」
誰かが助けを求めているのだろうか?
ライアはその声が聞こえた建物の影を覗く。
そこには、抵抗する少女を無理矢理押さえつける小柄な男の姿があった。
「へへっ、簡単な仕事じゃねぇか。こんな弱っちぃガキ1人を攫うだけなんてよ。おい、クソガキ! 痛い目に遭いたくなければ大人しくしてろ!!」
「い、嫌っ、離してっ!!」
「あんまり騒ぐんじゃねぇぞ、俺を怒らせたいのか? ったく、騎士でも来ちまったら困るだろうが」
細い首を締め上げ恫喝する男に、怯えた少女はまた黙り込んでしまった。
深く考えるまでもなく、これは事件だろう。
それも、アルヴィンの言っていた最近頻発する誘拐事件が目の前で起ころうとしている。
見過ごすことは、出来なかった。
「あんた、騎士に見られたら困ることでもしてるのか?」
ライアは静かに男に近づく。
「ッッ......!! 誰だ!!」
大柄な男は慌てて振り返るが、ライアの姿を見ると途端に平静を取り戻した。
少女の口を押さえつけながら、男は右手を突き出し詠唱を始める。
「ったくよぉ、驚かせやがって。見たところお前、騎士じゃないな。ただの魔導士如きが俺に絡んじまったのが運の尽きよ!!」
男はそのまま構えた腕から魔法を打ち出そうとする。
「吹き飛べ、『デプスグラインド』ッッ!!」
放たれた地属性の魔法は緩やかなカーブを描いてライアに迫る。
だが、ここ最近でライアは幾つもの魔法を実際に目撃していた。
自身に直接向けられたことも何度もあった。
ーーーそろそろ掴めてきたぜ。魔法ってものについてな!!
少なくとも、魔導士同士の戦いでは先に詠唱を完了した側が圧倒的に有利だ。
だから、詠唱中に相手が突っ込んでくることなど普通は考えない。
走りながら詠唱することも可能だが、その分集中が途切れて詠唱は遅くなるからだ。
そんな理論を曖昧ながらも理解しつつあったライアは、魔法を放つ直前の男に向かって突進した。
「何っ!?」
男は一瞬困惑するものの、焦らず詠唱を完了させようとした。
2人の距離は3メートルほどもあるのだから、このまま魔法を放てば終わりだと、そう考えていたのだ。
その考えが誤算だと気づく頃には、勝敗は既に決していた。
3メートルほど。
その距離は魔法が届くのに1秒あれば十分だ。
ただ、それはこちらも同じだ。
たった3メートルの距離を詰めるのは、ライアのスピードをもってすれば1秒あれば事足りる。
一見互角に見えるが、飛び出したのはライアの方が早かった。
さらに、ライアは飛び出す直前に持っていた魔石の欠片を壁に投げつけていた。
これは昨日の任務で襲撃にあった時に運ぶ魔石が1つ砕けてしまい、受け渡しの際に要らないと言われた魔石の小さな破片だ。
本来は魔導具の材料となる魔石だが、ライアにしてみれば立派な飛び道具の1つだ。
壁にぶつかって跳ね返った魔石の欠片は男の眼前に斜め上から落下した。
当たりはしなかったが、それでいい。
突然の飛来物に男は反射的に身体を引いたことによって、放たれる魔法の照準は狂いが生じる。
逸れた魔法はライアに当たらず、同時にライアの拳が男の顔面を完璧に捉えてそのまま地面を転がって倒れ伏した。
ライアは宙に投げ出された少女を抱きかかえ、男に言い放つ。
「まだ続けるか?」
「クッ、クソッ!!」
男は顔を押さえたまま立ち上がり、そのまま走り去っていく。
ライアはすぐに追いかけようとしたが、少女を抱いたまま追いかけるわけにはいかない。
「なんだよ、あんなに走るの速いなら普通に戦えばいいのにな」
まあ、この世界の普通というのは魔法の打ち合いであるのだが。
そうして、建物の影にはライアと少女が取り残される。
「えっと、大丈夫か?」
ライアの問いに少女はしばらく呆けた顔で固まっていたが、やがて我に返って状況を理解する。
紺色の肩まで伸ばした髪は乱れているものの、大きな怪我はしていないようで一安心だ。
すると、少女が恐る恐る言葉を発した。
「え、えっと、貴方様はどなたでしょうか?」
「ああ、俺はこの魔導院の関係者だよ。今日からだけどな。別に君を攫うつもりは無い」
「じゃあ、貴方様は敵ではないのですね?」
「そうだな、君の味方だと思ってくれて良いよ」
「か、かっこいいですっ......!!」
「え?」
「あ、あのっ、助けて頂いてありがとうございますっ!! 貴方様はそう、正義のヒーローですよね!?」
途端に目をキラキラと輝かせて羨望の眼差しを向ける少女にライアは困惑を隠せない。
ーーー何か勘違いされてるような気がするな......。
そもそもこの世界に正義のヒーローなんて概念があるのかは不明だが、拡大翻訳魔法でそう訳された以上そういった概念は存在するのだろう。
別にライアはこの少女を助ける為などと考えていた訳ではなく、誘拐事件の話を聞いていたから助けに入っただけなのだ。
「悪いけど俺は君が思ってるような人じゃないぞ。別に騎士でも何でもないし、今日からここに用があるだけの新入りだよ」
「いえいえ、騎士で無くても貴方様は私のヒーローなんですよっ!! ぜひお名前を教えて下さいっ!!」
「俺はライア、ライア・グレーサーだ。君もここにいるって事は魔導士なのか?」
「えっと、はい、そうですよ。私も今日からこの魔導院に用事があって来たんですっ。でも、こんなに広いところに来るのは初めてで、ダメって言われてたのについ抜け出して来ちゃったんですっ」
「そうか、抜け出して来たならそろそろ戻らないとな。また変な奴が出てくるかもしれないし送って行くよ」
「へっ? いいんですか? ありがとうございますっ!! ええっと、こっちの方なので付いてきてくれますか?」
そう言って少女はライアの手を握って道案内を始めた。
見知らぬ男に襲われて心に傷を負っていないかと心配していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
ーーーそれより、この子はもうちょっと人を疑った方が良さそうだな。
「そう言えば、君の名前を聞いてなかったな。教えてくれるか?」
「あ、はいっ。私はシルフェリア......じゃなくてシルフィと申しますっ」
「そっか、良い名前だ」
「そ、そうですか? えへへっ」
そんな取り留めの無い会話をしながら歩いて行くと、端の区画を抜けて少し大きい通りに出た。
瞬間、強烈な殺気を感じてライアは立ち止まる。
ーーーまだ誰かに狙われてるのか?
シルフィの手を握ったまま周囲を警戒し目を光らせる。
「あのっ、どうかしましたか?」
「いや、何でも無いよ。誰かに見られている気がしてな」
刹那、後ろから殺気を放つ主が迫る気配を感じたライアはシルフィを抱き寄せて臨戦態勢を取る。
ーーー誰か、来るッ!!
振り向いた先には水色の髪をポニーテールにした騎士服の少女が立っていた。
「大人しくすることです、卑劣な犯罪者!! 此度の狼藉、その命をもって償って貰います!!」
少女の顔には焦りが色濃く見える。
どうやら、ライアを誘拐犯だと思っているらしい。
「何言ってるんだよ、俺は......」
「黙りなさいっ!! 罪人の戯れ言など聞く気はありません!! その罪は私がここで裁いてみせますっ!!」
少女は震える手で魔法の詠唱を始めた。
その矛先がライアに向いていることに気づいたシルフィは慌ててライアの前に立ち塞がる。
「違うの!! この人は私の......」
そう言いかけた時、少女はニヤリと笑った。
「貰ったっ!! 『セイクリッドアロー』っっ!!」
光の槍が弧を描いてライアに襲いかかった。
ーーー速いッッ!!
高速で飛んできた光の槍はライアの肩を掠め、服ごと裂けて血が滲み出した。
少女は勝ちを確信した笑みでシルフィを抱きかかえる。
「勝負ありですね、犯罪者。大人しく投降するなら、命までは取りませんよ?」
さらに、後ろからは2人の少女が現れライアを取り囲んだ。
服装からして、彼女らも騎士なのだろう。
ここで抵抗してもいいが、騎士相手ならその必要は無いように思えた。
幸い、すぐに殺されるわけではなさそうだし、シルフィが証言してくれるだろう。
「ったく、面倒なことに巻き込まれたな」
そうして、ライアは騎士の少女に連行されたのだった。
******
《魔法図鑑-8》
『デプスグラインド』
地属性/RANK3
射程/円弧・短距離
分類/攻撃・アロー
コスト指数/150
威力指数/165
ディレイ/中
『セイクリッドアロー』
光属性/RANK4
射程/円弧・中距離
分類/攻撃・アロー
コスト指数/160
威力指数/175
ディレイ/短
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