第446話 育くむ想い②
同時刻。
……チチチ。
心地よさを感じる小鳥の囀り。
風が吹き、小鳥たちは羽ばたいていった。
「…………ん」
その音に耳朶を打たれ、彼女は目を覚ました。
のそりと上半身を起こし、
白い和装に覆われるのは褐色の肌。彼女は欠伸をしながら背伸びをした。
本名はミュリエル=アルシエド。
聖アルシエド王国のやんごとなき王女さま。
そして今は、エル=ヒラサカと名乗る少女である。
相変わらず朝が弱い彼女は、寝ぼけまなこのまま周囲を見渡した。
見慣れない部屋に、初めて使う厚みのあるシーツのような寝具。
(……ああ。ここは)
徐々に脳が覚醒してくる。
ここは焔魔堂の里だ。
昨晩、この屋敷の者に用意された部屋である。
「……そうか。私は」
はっきりと目が覚める。
無事この世界に帰還したのだと実感する。
ただ少し残念にも感じた。
あの愛しい少年との二人きりの世界が終ってしまったということでもあるからだ。
「……むむ」
やはり一回ぐらい脱出に失敗してくれた方が良かったと考えてしまう。
心だけでなく、名実ともにちゃんと結ばれたかった。
こうして無事脱出すると尚更だ。
「……むむむ」
と、少しの間、眉をしかめていたが、
「まあ、いいか」
自分が彼の女であることに変わらない。
これからの人生もずっと一緒にいることもだ。
「……ん」
エルは立ち上がった。
そして襖へと向かうと、そのまま開けた。
と、そこには一人の女性が控えていた。
エルが特に信頼する部下の一人だ。
服装こそ商人服姿だが、腰の短剣に手を当て彼女は片膝をついていた。
「ホラン」
エルは、彼女の名を呼んだ。
「寝ずの番をしてくれていたのか?」
「……は」
彼女は首肯する。
「……敷地内での移動は許可されていても、ここは敵地ですから」
少し覇気のない声でホランは言う。
エルは腹部に片手を、あごに手をやって「う~ん……」と唸る。
「まずはそこから皆を説得しないといけないな」
そう呟いてから、副隊長に問う。
「ホラン。ガンダルフ司教の容体はどうだ?」
「……謎の老衰はありますが、安定していると聞いています」
淡々と答えるホラン。
やはり声にどうにも覇気を感じられない。寝ずの番をした疲労かと考えるが、そういう時でもホランはエルに対してはいつも明快だった。
(……ホラン?)
ここまで暗い表情のホランは初めて見るような気がする。
エルは少し疑問を覚えるが、
「それは良かった。ホラン。皆はすでに起きているか」
「恐らくは」
ホランは言う。
「昨夜は全く寝つけぬ者も多かったようですから、そもそも眠ることが出来なかった者も多数いると思われます」
「そうか……」
エルは嘆息した。
「それも仕方がないな。ここまで色々とありすぎた」
一拍おいて、
「広い部屋を借りよう。皆をそこに呼んでくれ。私から話がある」
「……は」
言って、ホランは立ち上がった。
そして歩き出すが、エルは「あ……」と声を零した。
「少し待ってくれ。ホラン」
呼び止められてホランは振り返った。
やはり暗い眼差しだ。
流石にエルも眉根を寄せた。
「私のいない間に何かあったのか?」
思わずそう尋ねるが、ホランは「何もございません」と答えた。
エルはますます眉をひそめるが、
「……そうか」
本人自身がそう言うのならこれ以上尋ねることも出来ない。
「……では、私は参ります」
そう告げて、ホランは再び歩き出そうとするが、
「いや。待ってくれ」
エルは再び呼び留める。
「招集は二時間後で頼む」
「……二時間後ですか?」
再度振り返ってホランは小首を傾げた。
「お召し物のお時間でしょうか? そうでしたらベッカス殿がご無事です。彼女に頼めばそれほどのお時間は……」
「うん。サリーヌが無事なのは知っている」
エルは頷く。
「彼女とも、ベルニカ姉さまとも昨日ちゃんと会ったしな。ただ今の私には日課とも呼べる朝のお勤めがあるのだ。身を清めて主の元に行かねばならない」
そう告げる彼女に、
「…………」
ホランは何かを憐れむような眼差しを見せた。
とても小さな声で「……貴女まで」と呟くが、それはエルには聞こえなかった。
「……承知いたしました」
ただそう答えた。
そして今度こそホランは歩き出した。
やはり、声も仕草にも覇気がまるでない。
どちらかと言えば勝気である彼女らしくない雰囲気だった。
「……何かあったのか?」
エルは少し心配するが、
「まあ、後で聞くか。それより今は――」
時間は限られている。
早く湯浴びをして清潔にならなければ。
何より朝は、むしろ彼女の方が、コウタ成分が不足して大変なのだ。
「よし。急ぐか」
パンッと頬を強く叩き。
エルはまず浴場を探すことにした。
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