第六章 フラッグ・ゲーム
第351話 フラッグ・ゲーム①
明くる朝。
自室にて、アンジェリカは少し困惑していた。
隣に立つフランも同じ表情だ。
まだ朝も早く、部屋着姿の二人は顔を見合わせた。
そして、
「あ、あの……」
アンジェリカが、代表して声を掛けた。
体のラインが浮き上がるインナースーツだけの姿で、何やら、懸命にストレッチを繰り返すアヤメに対して。
「どうかしたの? アヤメ?」
「問題ない、のです」
腕を、ぐいぐいと伸ばしてアヤメは答える。
「私は覚悟を決めたのです。もう迷わないのです」
そう告げるアヤメの顔は、いつにないぐらい活力に満ちていた。
いつもの無表情・無感情のアヤメではない。
ここまで溌溂とした彼女は初めて見た。
アンジェリカとフランは、もう一度、顔を見合わせた。
「その、どういうことなの? アヤメ?」
再び、アンジェリカがそう聞いてみる。
すると、アヤメは、
「私は、ずっと、曖昧な運命とか使命とかに縛られていたのです」
そんなことを語り出した。
「え、あ、うん」「そうだったんだ」
よく分からないが、相槌を打つアンジェリカとフラン。
アヤメは、言葉を続ける。
「けど、その曖昧な運命が昨日の夜、遂に形になって現れやがったのです」
「え、それって……」「ア、アヤメ……?」
アンジェリカとフランが、少しドキドキしつつ瞳を輝かせた。
もしや、その運命とは……。
「コウタ=ヒラサカ」
アヤメは、彼の名を呟いた。
「彼が、私の運命だったのです」
「「きゃああっ!」」
アンジェリカとフランは、同時に黄色い声を上げた。
まさか、まさか、まさかっ!
あのアヤメが! 色恋沙汰には一切興味なさそうなアヤメが!
遂に、運命と呼ぶような男の子と――。
と、はしゃぎかけた時、
「ぶちのめしてやるのです」
アヤメが、ポツリと呟いた。
「「…………え?」」
「今日、完膚なきまでに、ぶちのめしてやるのです」
「「何があったの!? アヤメ!?」」
アンジェリカとフランは、揃って声を上げた。
アンジェリカが青ざめた顔で、アヤメに近づき、彼女の肩を両手で掴んだ。
「え? アヤメ? もしかして、昨日、彼に何かされたの?」
昨日の晩、アヤメは帰ってくるのが随分と遅かった。
本当にこっそり彼と逢引きしていたのではないかと、フランと一緒に妄想してはしゃいでいたが、それは事実だったのだろうか?
しかし、もしそうだとしたら、アヤメがここまで敵意を見せるのもおかしい。
もしかして、彼は、アヤメの好意につけこんで何かしたのだろうか?
誠実そうな少年だったが、アヤメはとても魅力的な少女だ。
つい、魔が差すような行為をしてしまったのかもしれない。
「……アヤメ。正直に答えて」
アンジェリカは、真剣な眼差しでアヤメを見つめた。
もしそうならば、生徒会長としても、アヤメの友人としても見過ごせない。
フランもまた、胸元に片手を当てて神妙な顔をしている。
しかし、当のアヤメは、キョトンしたもので。
「彼と……ですか? それは……」
アヤメは、頬に指先を当てた。
「昨夜は、危ない場所に迷い込んだところを、彼に助けてもらいました」
「……え?」
「それから夜の公園で、二人でお話をした、のです」
「う、うん」
「彼は、ずっと優しい目をしていて、きっと、私を気遣っていてくれていたのだと思うのです。凄く深い瞳で、吸い込まれそうで……だから私は」
一拍おいて、アヤメは言う。
「彼をぶちのめすと宣言した、のです」
「「なんでそうなるの!?」」
アンジェリカとフランは、同時にツッコんだ。
「私にも事情があるのです。運命は非情なのです。こればかりはアンジュにもフランにも関係のないこと、なのです。ともあれ」
アヤメは、おもむろにアンジェリカの手を取った。
「大丈夫なのです」
目を細めて、アヤメは微笑んだ。
アンジェリカとフランは、目を丸くした。
アヤメの笑顔。それもまた初めて見るものだったからだ。
「……アヤメ?」
アンジェリカは眉をひそめた。
「本当に、どうかしたの?」
「大丈夫なのです。今日、アンジュの方にも色々とある……かも知れない、のです。けど絶望しないで。すぐに行くから」
「え?」
アンジェリカは目を瞬かせた。
「絶望ってなに?」
そう尋ねるが、アヤメはかぶりを振るだけだった。
ただ、静かに、
「大丈夫なのです。そう。全部」
アヤメは、強い意志を以て告げた。
「私がどうにかするのです。運命なんてくそくらえ、なのです」
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