第343話 炎と風の姫④

(……ほう)


 ――ガンッ!

 木剣同士が、激しくぶつかり合う音が響く。

 アノースログ学園の生徒に紛れ込むように、その少年は双眸を細めていた。


(これは、驚いたな……)


 灰色の髪を持ち、丸眼鏡をかけた少年だ。

 少年は、グラウンドで仕合う少女たちを見据えていた。

 ――ガッ、ガンッ!

 木剣の音が響く。

 二人の少女は、中々の強者だった。

 鋭い刺突を、幾度となく繰り出すリーゼ=レイハート。

 彼女の剣技はまるで風のようだった。

 軽やかな足取りで踏み込み、突風の速さで斬り込む。

 あの年齢としては、素晴らしい練度だった。


(……ふむ)


 一方、アンジェリカ=コースウッドも侮れない。

 彼女の剣は、リーゼとはまた違った。

 一言でいえば苛烈。炎のごとくだ。

 踏み込みは激しく、剣戟は重い。

 そして一呼吸で、幾度も打ち込んでくる。

 並みの剣士ならば、瞬時に打ちのめされていることだろう。


 剛と、柔。

 炎と、風。


 実に対照的な二人であった。


「――ふっ!」


 鋭い呼気と共に、リーゼが刺突を繰り出す!


「――はあッ!」


 しかし、アンジェリカはその刺突を横薙ぎで打ち払った。

 リーゼは払われた勢いをそのまま剣に乗せて、蜂蜜色の髪をなびかせてその場で反転、今度は胴薙ぎを繰り出した。

 アンジェリカは双眸を鋭くして、後方に跳んで交わした。

 リーゼは追撃しない。二人は木剣を構え直して再び対峙した。


「「おおお……」」


 両校を代表する美しい少女たちの戦いに生徒たちから感嘆の声が上がる。

 少年はますます双眸を細めた。


(見事なものだ。アンジェリカ=コースウッドは当然だが、あのリーゼという娘……)


 少年は腕を組み、感心した。

 恐らくは、アンジェリカ=コースウッドにも劣らない才能だ。

 才能を視覚化するという弟子の異能に頼らずとも分かる。

 そして覇気もまた素晴らしい。まさに相応しき逸材だった。

 しかし、


(これは想定外だな)


 少年は、眉をしかめた。


(本来ならば、これはに過ぎないのだが……)


 小さく嘆息して、少年はあごに手をやり、熟考した。

 数秒の沈黙の後、少年は、アヤメの方へと目をやった。

 同時に、弟子の傍らに立つ、水色の髪の少女の方にも目をやる。

 今はおろおろとした様子だが、彼女もまた一級以上の才を持つ少女だった。


(フラン=ソルバ。アンジェリカ=コースウッド。それに加えて、今回のリーゼ=レイハートか。才ばかりだ。何故、今回に限って……)


 小さく嘆息する少年。

 この任務において、最も重要なのは『才』と『覇気』を見極めることだった。

 武の才に恵まれ、意志と心が強く、さらに挙げれば、出来るだけ若い方が望ましい。また健康体であることも重要だった。

 それは、条件としてはかなり厳しいモノのはずだった。

 過去の実績では、結局、条件を満たす者が見つからず、徒労に終わることも多々にある任務である。それを彼も、彼の同胞たちもよく理解していた。

 だからこそ、これを名分にしたというのに、今回に限ってどういうことか。


 二人でも予定外だ。

 その上、三人目まで見つけてしまうとは……。


 少年は、渋面を浮かべる。


(あれほどの才。一族のためにも是非とも欲しいというのも本音だ。だが、どうする。いや、今回の催事を上手く使えば、あるいは……)


 数瞬の沈黙。そして、


(……計画を調整するか。そのためにもまずは)


 少年は口元を片手で隠した。


【アヤメ】


 特殊な技法で、弟子に告げる。

 数瞬の沈黙。


【……何でしょうか? 義兄さま】


 少女の声が返ってきた。

 そこそこ大きな声のはずなのだが、周囲の生徒たちは誰も気付かない。

 試合に夢中なのもあるが、根本的にその声が聞こえていないのだ。

 特殊な訓練によって得た伝達法。

 彼らの一族の中で、木霊法と呼ばれる『術』だった。


【不要な時に義兄と呼ぶな。……計画を伝えるぞ】


 少年は淡々と変更した計画を伝え始めた。

 少女は、その声に耳を傾ける。

 そして、


【……以上だ】


 説明は終えた。

 少女は無言だった。少年は眉をしかめる。


【……返事はどうした?】


 そう告げると、数秒ほどして、


【……承知なのです】


 ようやく返答が来た。

 やはり愛想がない弟子に、師は嘆息する。


【では、任せるぞ】


【……はい】


 そこで、木霊法の伝達は終わった。

 少年は「やれやれ」と呟いて、再び剣戟を繰り返す少女たちに目をやった。


(さて。いささか以上に想定外ではあるが)


 これは良き機会でもある。所詮は名分といえども全力を尽くすべきだろう。


(武の娘たちよ。悪いが、今は少し仲違いしてもらおうか)


 少年は、自嘲するように笑った。



       ◆



(…………)


 口元から手を離し、木霊法を切ったアヤメは、静かな眼差しで前を見た。

 そこには、剣戟を繰り返す少女たちの姿がある。

 アンジェリカ=コースウッドと、リーゼ=レイハートの二人だ。

 二人とも互いの姿しか見えていないように、剣で激しく語り合っていた。


「…………」


 アヤメは無言のまま、彼女たちの姿を見据えた。

 リーゼ=レイハートのことはよく知らない。

 けれど、アンジェリカのことは、とてもよく知っていた。


「…………」


 ――ガンッ!

 アンジェリカは、笑みさえ浮かべて剣を繰り出した。

 コースウッド侯爵家の令嬢。

 炎のように激しく、とてもよく笑う人。

 意外とヘコみやすく、どうしようもないことほどよく悩んでいる。

 自分とは違う、光の中で生きる少女。

 出会った時は、まるで太陽のような人だと思った。


 ――そう。暗闇の中で生まれた自分とは、やはり違う存在。


 アヤメの双眸にわずかに影が差す。と、


「が、頑張って! アンジュ!」


 不意に、隣から声が聞こえた。

 アヤメは、そちらに顔を向けた。

 そこには、心配そうに眉根を寄せるフランがいた。

 アンジェリカに、いつも振り回される面倒見の良い少女。


 彼女のことも、良く知っている。

 他者には優しく、自分には厳しい頑張り屋の女性。

 背が高いことを、密かに悩んでいることも知っている。

 フランはケーキが大好きで、時々、アヤメにも食べさせてくれた。

 彼女もまた、一族に少女である。


 二人といると、安らかな気分になった。

 まるで友人同士のように。

 ――いや、優しい彼女たちは、こんな自分を友人だと思ってくれているかもしれない。


 だが、それも、きっと今だけだ。

 いずれ、彼女たちは自分を恨むことになる。

 あのリーゼ=レイハートも、自分を憎むことになるだろう。

 陰に引きずり込んだ自分のことを。


「…………」


 アヤメは双眸を細めて、人差し指と中指を絡めて立てた。

 所詮、自分は『人』ではない存在だ。

 外道以外に生きる道などない。


「……《焔魔ノ法》初伝・土の章」


 アヤメは、小さく呟いた。


「……《地縛り》」


 途端、アヤメの目にグラウンドの一角が紫色に光るのを感じた。

 リーゼの足元近くだ。

 だが、誰もが注目しているはずだというのに、地面が光ったことには誰も気付かない。

 それは師にも分からない。アヤメの目にだけ映るものだ。

 自然物を対象にして自在に操ることが出来る秘術である。

 その根源は、世界の理から外れた異界からの力。

 一族の者ならば、その力の流れを感じることは出来る。しかし、光として視ることが出来るのは、一族の中でもアヤメだけの異能だった。

 それに加えて。彼女が、焔魔さまのお側女役として選ばれた理由である。


 ――そう。今や空虚となった焔魔さまの……。


(…………)


 表情を完全に消すアヤメ。

 ともあれ、これで罠は仕込み終えた。

 アヤメの見立てではあと十二手。

 アンジェリカとリーゼが打ち合うことで、十二手目でリーゼはそこを踏み抜く。

 そして術は発動する。

 一瞬だけ足を地面に張り付ける些細な術だが、大きな隙になるはず。

 アンジェリカは、その隙を見逃さないだろう。

 決着はつく。だが、リーゼの方も不自然な疑念を抱くことになる。

 いきなり足が地面に張り付くのだ。訝しんで当然である。罠と考えるに違いない。

 その場合、最も怪しいのは、この模擬戦を申し込んできたアンジェリカだ。

 リーゼは、アンジェリカに不信感を抱くことになるだろう。

 それが、師の仕掛ける罠だった。

 剣術から体術、数々の《焔魔ノ法》。幼き日より師事してきた人物。

 彼は……いや、彼に限らず、アヤメの一族は、手段を問わず狡猾に生きてきた。


 この罠は入り口だ。

 いずれ、決して逃げられない蜘蛛の巣へと誘うための。


(………私は)


 アヤメは、微かに唇を噛んだその時だった。


(………え?)


 ふと、視線が重なった。

 それはグラウンドの向こう側。

 黒髪と黒い瞳の少年が、アヤメを見据えていたのだ。

 ――ドクン、と。

 普段は決して動じない、アヤメの鼓動が跳ねた。

 軽く喉を鳴らす。

 その少年には、見覚えがあった。


(く、黒き刀の……)


 リーゼ=レイハートと一緒にいた少年だ。

 彼を見た時、アヤメは珍しく動揺してしまった。

 別に、彼がアロン出身者だったからではない。

 アヤメの眼に、彼の心象武具が視えてしまったからだ。

 アヤメは生まれながら、異界の力の存在と、対峙する人物の、才能と心を抽象化した偶像――心象武具を視ることが出来る特殊な瞳を持っていた。

 一族の長に《心意眼》と名付けられたその瞳で、彼の心を覗いたのだ。

 そうして視たのが、『竜と火焔の紋が刻まれた、神殺しの黒き刀』。


 それは、破格の中の破格。

 初めて視る心象武具だった。


 同時に視ることになったリーゼ=レイハートの『光を放つ白銀の細剣』という、アンジェリカにも劣らない心象武具が霞んでしまったほどだ。

 あまりにも唐突すぎる出会いに、アヤメは茫然としてしまった。

 何よりも『黒き刀』に動揺したのだ。

 それ以降、流石に気になり、知らずの内に、彼の姿を目で追っていた自覚もある。

 しかし、いま真っ直ぐアヤメを見据えているのは、彼の方だった。


 決して、鋭い眼光ではない。

 どちらかと言えば、穏やかで優しい眼差しだ。


 けれど、彼の黒い瞳から、全く目を離せなかった。

 刃を喉元に突きつけられているかのように、動けなくなってしまった。


 再び、喉を鳴らした。

 どうして、彼は自分を見ているのだろうか……。


(ま、まさか……?)


 アヤメは、目を瞠る。

 ある可能性が、脳裏をよぎったのだ。

 ――いや、昨日から、ずっと考えていた。

 代々一族に伝わるあの予言のことを。


(あの人が……? 本当に、そう、なのですか……?)


 アヤメは混乱した。

 あれは、老人たちや師の世代たちの妄言だと思っていたからだ。


(う、うそ……)


 アヤメは、少年の視線を受け止めた。

 この距離でも間近に感じる、まるで心が吸い込まれそうな瞳だった。

 黒曜石のような眼差しに、アヤメはただただ息を呑む。

 もし、彼が本当にそうならば、彼女の運命はまさに一変することになる。


(わ、私は……)


 常ならば決して動揺しない心が、今は激しく動き始めるのを感じた。

 と、その時だった。


「おっす! お嬢さんたち!」


 不意に、肩を掴まれる。

 アヤメは顔には出さなかったが、愕然とした。


(この私が肩を掴まれたのですか?)


 振り向くと、そこに居たのは、高身長のフランよりも頭一つ分は背の高い人物。

 体格の良い大柄な少年だった。

 髪の色は濃い緑色。精悍な顔つきの人物である。

 彼は、エリーズ国の騎士学校の制服を着ていた。

 その少年は左手でフランの肩も掴んでいた。全く男慣れしていないフランは「え、え? ふえ!? と、殿方と!?」と激しく動揺して、真っ赤な顔で少年を見つめていた。


(……『地を打ち砕く大戦斧』)


 アヤメは表情には出さず、警戒度を最大にした。

 少年の本質を《心意眼》で見抜く。

 またしても別格の武具だ。やはり、この少年も只者ではない。

 そもそも、アヤメにここまで容易に近づき、応援に意識を向けていたとはいえ、フランの方まで拘束しているのである。相当な実力者なのは確かだ。


「あ、あの……」


 フランが俯き、耳まで紅潮した顔で口を開いた。


「か、肩を離してくれませんか?」


「おっと。悪りい」


 少年は陽気な笑みを見せて、フランとアヤメの肩を離した。


「折角の試合だしな。一緒に見物しようと思ったんだが、こりゃあ、いきなり馴れ馴れしすぎたな。悪りい、悪りい」


 少年がそう告げると、ぞろぞろとエリーズ国の生徒たちが現れ始めた。

 十人ほどの集団だ。男子もいれば、女子もいる。

 彼らも、おもむろに近くのアノースログ学園の生徒たちに声を掛け始めた。


「あ、あの……」


 フランが顔を上げた。久しぶりに人の顔を見上げた気がする。

 彼女は、まだ少し赤い顔で少年に話しかけた。


「あ、あなたは?」


「おう。オレっちか? オレっちの名はジェイク=オルバンだ」


 そう名乗る。

 そして、その少年――ジェイクは笑って、続けてこう告げた。


「どうだい、お嬢さんたち。オレっちも一緒に観戦してもいいかい?」

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