第338話 歓迎➂

 ――交流会の初日。

 生徒たちの互いの顔見せは、友好的な雰囲気で終わった。

 お互いがまだ緊張していることもあるだろうが、それでも、歴史的には幾度にも渡って敵対してきた両国の交流としては、上出来な始まりだっただろう。

 両校はお互いに挨拶を交わした後、今日は解散となった。

 アノースログ学園は、二日半に渡る移動を終えたばかりだ。

 疲労も少なからず溜まっているだろう。いきなり、交流会に入るのは酷である。

 今日は、前もって用意したホテルで、ゆっくりと休んでもらおうというエリーズ国の配慮だった。交流会は明日から開始となる。


「中々いい街だな」


「ああ。水網都市のディノスとは対照的だな」


 生徒たちは、ホテルのロビーなどで、そんな会話をしていた。

 今日は夜の六時までは、自由行動も許されている。多くの生徒はこれから街へと観光に出かける予定だった。

 誰もが楽しみを隠せずにいる。

 が、そんな中、不機嫌なのはアンジェリカだった。

 食堂も兼ねたロビーのソファで、紅茶を口にしている。

 表面的には実に優雅だ。貴婦人とさえ呼ばれそうな雰囲気を醸し出している。

 しかし、傍にいるフランやアヤメにしてみれば一目瞭然だった。

 アンジェリカは今、相当にご機嫌斜めだった。

 理由は二つ。

 一つは、アルフレッドがいないこと。

 騎士団も統括する彼は、エリーズ国騎士学校の校長と明日以降の打ち合わせのために、数人の教師と共に残ったのだ。

 アルフレッドはこの王都パドロに来訪した経験があるらしい。

 幼馴染にエスコートして欲しかったのに、当てが外れて不貞腐れているのである。

 そしてもう一つは――。


『お初にお目にかかります。リーゼ=レイハートと申します』


 ほんの数時間前。

 出会ったばかりの異国の少女。

 アンジェリカにも劣らない、実に洗練された所作だった。


(……あれが「リーゼ」なのね)


 アンジェリカは、内心で「ぐぬぬ」とハンカチを噛みしめた。

 エリーズ国騎士学校の代表生徒だという少女。

 一言でいえば、美少女だった。それも、とんでもないレベルの。

 紅いリボンで結いだ、カールを巻く長い蜂蜜色の髪はまるで黄金のように見えた。

 放たれるオーラも、明らかに他の生徒とは一線を画している。

 それもそのはず。彼女はエリーズ国における四大公爵家の一角。レイハート家のご令嬢だという話だ。家の格でいえば、侯爵家であるコースウッドよりも上だった。

 アルフレッドが「さま」付けで呼んでもおかしくない相手である。

 そして予想通り、リーゼ=レイハートは、アルフレッドの知り合いだった。


『お久しぶりです。リーゼさま』


『ええ。お久しぶりですわ。アルフレッドさま』


 実に親しそうに挨拶をするではないか。

 もう、完全に二人だけの世界のようだった。

 実際のところ、アルフレッドはリーゼの傍にいた少年とも親し気に挨拶をするのだが、アンジェリカの目には映っていなかった。

 ただ、内心で酷く焦っていた。


「…………」


 無言のまま、すでに空になったカップを啜り続けている。

 壊れた人形のように、同じ動作を繰り返しているのだ。

 向かい側に座るフランとしては、ひたすら怖かった。


「あ、あの……アンジュ?」


 恐る恐る尋ねると、アンジェリカは、ようやく瞳を動かした。


「……なに?」


 淡々とした声で尋ね返す。

 静かだが、まるで熱波でも放っているかのような圧力だ。フランは、過呼吸のような呼吸を繰り返すが、勇気を出して話を続けた。


「そ、その、いきなり『リーゼ』に出くわしたのは驚いたけど、落ち着いて」


「……落ち着いてるわよ」


 アンジェリカは、ぐいとカップを動かした。

 当然ながら、すでに紅茶はない。彼女が落ち着いていない証だ。


「確かに、親しそうだったけど、ハウルさまが彼女と付き合っている可能性は、多分低いわよ。異国の人だし、会う機会だってそうそうないだろうし……」


 と、フォローしたところで、名案が思い浮かんだように柏手を打った。


「大丈夫よ! リーゼさんは凄い美少女だったけど、アンジェだって全然負けてないわ! 総合力はもちろん、特にそれ!」


 たゆんっと。

 大きな胸を揺らすぐらいに、大きく前へと乗りだして、フランは、自分にも劣らないアンジェリカのたわわに実った果実を指差した。


「そこに関しては、もうアンジュの圧勝よ。あの子なんて目じゃない――」


「アル君は、ちっぱい派なのよ」


「………へ?」


 指差したまま、フランは固まった。

 アンジェリカは、額に青筋を浮かべて続ける。


「聖女さまもそうだったから、間違いないわ」


 聖女さま本人が聞けば、無言で蹴りつけてきそうな台詞を堂々と吐く。

 しかし、これは、アンジェリカのリサーチ不足だった。

 アンジェリカは、誤解しているのである。

 アルフレッドは、どちらかと言えば大きい方が好きなのだ。

 本来は、たゆんたゆん派なのである。

 ただ、恋した少女が……まだまだ成長途中であって、ほんの、ほんの少しばかり平均よりも小さかった。

 それだけのことなのである。


「だから、実は、アル君をアヤメに引き合わせるのが少し不安だったのよ。ちっぱいでちっこくて子供体型のアヤメって多分、アル君の好みだろうし……」


 と、同級生の少女にまで失礼なことを言う。


「ちょっと、アンジュ……」


 流石に、フランは眉をしかめた。

 今の言い方はいただけない。女性に対して、少し失礼な言い方に聞こえる。

 スタイルは人それぞれだが、そのことにコンプレックスを抱く女性もいるのである。

 例えば、フランも、背が高いことにかなり悩んでいる。

 今の段階でも、男子まで含めてクラスの中で一番高いのだ。

 このまま成長していくと、きっと、ほとんどの殿方よりも背が高くなってしまう。

 スタイルが良いと、アンジェリカや友人たちは褒めてくれるが、それは全体的に体格も大きいということでもある。しかも、若干筋肉質でもあるせいで、女性としては体重もそこそこあるのだ。自虐的に言えば、自分は『大女』であると思っていた。

 そんな『大女』である自分を、自分の未来の旦那さまは、果たして、お姫さま抱っこできるのか、密かにそんな不安を抱いていた。

 アヤメも、顔には一切出さないが、もしかすると、今の自分のスタイルに思うところがあるかも知れないのである。

 当然、普段のアンジェリカならば、これぐらいの配慮はする。

 しかし、やはり今はかなり狼狽しているようだ。


(仕方がないわね)


 フランは、隣に座るアヤメに目をやった。

 もし不愉快に思っている様子なら、フォローするつもりだった……のだが。


「……? アヤメ?」


 小首を傾げた。

 どうしてか、アヤメは、果実水オレンジジュースの入っていたコップのストローに口を付けたまま、ずっと黙り込んでいた。

 普段は、外では飲食しないアヤメが注文をしたのである。

 珍しいなとは思っていたが、彼女は飲み干した後も、ずっとストローを口に咥えたままだった。完全に、心ここにあらずといった感じだ。

 アンジェリカの発言も、耳に届いていないように見える。


「……どうしたの? アヤメ?」


 そう声を掛けると、アヤメは少し驚いた様子で、微かに目を見開いた。

 そして、アヤメは、ポツリと呟く。


「……『黒き刀』」


「え」


 アヤメは、どこか遠い眼差しで唇を動かす。


「……『竜と火焔の紋が刻まれた、神殺しの黒き刀』」


「え? 何言っているの?」


 フランが眉根を寄せる。と、アヤメは「……何でもない、のです」と素っ気なく視線を逸らした。それ以上は何も語ろうとしない。


「……何なのよ。もう」


 フランは、トスンっとソファに座り直した。

 アンジェリカは「どうしよう。どうしよう」と空になった紅茶を呑み続け、アヤメはアヤメで視線を逸らしたまま動かない。

 何とも、よく分からない空気になっていた。


「………はァ」


 苦労人である副会長は、深々と嘆息した。

 そして、この状況に思わず呟くのであった。


「明日からの交流会。本当に大丈夫なのかしら……」

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