第320話 宵闇の誘い②

 場所は変わって、王城ラスセーヌの三階。


「………ッ」


 その時、コウタは必死の形相で走っていた。

 渡り廊下を、どんどん加速していく。

 駆け抜けるコウタの後ろには、今にも泣き出しそうなアイリを両腕に抱いた着装型鎧機兵が続いていた。武装したメルティアだ。


(なんで、なんでこんなことに!)


 コウタは走りながら、歯を軋ませた。

 彼らは、真っ直ぐ目的の部屋へと向かう。

 そして――。


「リーゼッ!」


 コウタにしては、有り得ないことにノックもせずにドアを開いた。

 それだけ切羽詰まっているのだ。

 少し遅れて、メルティア達も到着した。

 そこは、リーゼの個室だった。

 上等な絨毯が敷かれた大きな寝室。中央には天蓋付きのベッドもある。


「リーゼッ!」


 コウタは、ベッドに注目した。

 ――と、そこには六人の人間がいた。

 椅子に座り、指を組んで視線を落とすジェイク。

 神妙な顔で、ベッドの横に控えているシャルロット。

 ヘルムを両手で持つ制服姿のサーシャ。額には白い包帯を巻いている。

 そして何故か、ベッドの縁に、もたれかかるように眠っているユーリィだ。

 ユーリィは意外だったが、ここまでは、ある程度コウタも想定していたメンバーだ。


 しかし、後の二人には驚いた。


「……え」


 そこにいたのは椅子に座るサクヤと、彼女の傍らに控えるジェシカだった。


「サクヤ、姉さん?」


「……コウちゃん」


 コウタに名前を呼ばれて、サクヤは振り向いた。

 コウタは少し目を瞠る。

 サクヤが、あまりにも疲弊していたからだ。

 美しさは劣らないが、明らかに活力を消耗しているのが分かる。


「うん。来たんだね。じゃあ、ここをどくね」


 サクヤはそう告げると、重そうに体を動かして立ち上がった。

 そんな彼女を、ジェシカが、そっと支えた。


「サクヤさま。あまりご無理をなされずに」


 心配そうな声で、そう告げる。

 やはり義姉は相当消耗しているようだ。

 コウタは、ハッとした。


「……まさか姉さん」


「うん。ちょっと無理しすぎたかな」


 サクヤは、微苦笑を零した。


「コウタ」


 その時、後ろから声をかけられた。

 着装型鎧機兵から降りたメルティアの声だ。

 彼女は、今にも泣き出しそうなアイリの手を掴んで、コウタを見つめていた。


「早くリーゼを」


「う、うん」


 コウタは頷いた。

 そしてコウタも含めて、三人はベッドの元に近づいた。

 大きなベッドの上には、リーゼがいた。


 とても静かだった。

 まるで、息をしていないかのように。


「……リーゼ」


 コウタは、恐る恐る彼女の手を取って脈を確かめた。

 そして――ホッとする。


「……あぁ、良かったぁ」


 脈は、確かにある。

 リーゼは、生きていた。


 ――ああ、彼女を抱きしめたい……。


 そんな強い衝動が胸中に渦巻く。

 けれど、安らかに眠る彼女を前にしてどうにか自制した。


「……リーゼ」「……良かったよォ」


 メルティアとアイリも、リーゼの顔を見て、ようやく安堵の表情を浮かべた。

 と、その時。


「……正直に言って相当危険な状態だったわ」


 とてもか細い声で、サクヤが呟いた。

 コウタ達はサクヤを見つめた。

 そして、コウタはくしゃくしゃと顔を歪めた。


「……姉さん。やっぱり、サクヤ姉さんがリーゼを助けてくれたんだ」


「どちらかというと、助けたのはトウヤかな。あと十分……いいえ、あと五分も遅かったら、多分、私の力でもどうしようもなかったと思う」


 そう告げたところで、サクヤはふらっと崩れそうになった。


「――サクヤ姉さんッ!?」


 コウタは、大きく目を見開いた。


「どうしたの!?」


「だ、大丈夫よ」


 そう告げるサクヤではあるが、目に見えて辛そうだった。


「……コウタさん」


 すると、サクヤを支えるジェシカが、教えてくれた。


「サクヤさまは、リーゼさんだけではなく、ユーリィさんと共に、他の重傷者の治癒にも当たったのです。ユーリィさんも一日で叶えられる《願い》をすべて使い果たされるまで頑張りましたが、サクヤさまには《願い》の回数制限がありません。そのため、限界まで体力を使われてしまって……」


「《星神》の回数制限って、体力や気力とも直結しているからね。回数を使い果たしたユーリィちゃんが眠ちゃったみたいに。はは、ちょっと頑張りすぎたかな」


 サクヤは微笑を浮かべて言う。

 それから、大きく息を吐き出して。


「ごめん。流石に限界みたい。隣の部屋で休ませてもらうね」


「サクヤさま。今お連れ致します」


 ジェシカに連れられて、サクヤは部屋を出て行った。


「……ありがとう。姉さん」


 コウタは、限界まで力を尽くしてくれた義姉に心からの感謝を述べた。メルティアとアイリ、そしてシャルロットも静かに頭を下げていた。

 すると、


「……すまねえ。コウタ」


 鎮痛な声が響く。椅子に座ったまま俯くジェイクの声だ。


「オレッちが付いていながら、お嬢をこんな目に遭わしちまうなんて……」


「……ジェイク」


 コウタは眉根を寄せた。

 ジェイクが悪いなどとコウタは一片たりとて考えていない。

 ジェイクはコウタの親友であり、心から信頼している人物の一人だ。

 リーゼの危機を前にして、ジェイクが全力を尽くしていないなどあり得ない。


 しかし、コウタがそう思っていても、ジェイク自身の心情は別の話だった。

 後悔の言葉が、ジェイクの口から零れる。


「オレッちが、もっと早く鎧機兵を喚び出す決断をしていれば……」


「……オルバンさま」


 その時、シャルロットが初めて口を開いた。


「それを言うのならば、私などお嬢さまの傍にさえいませんでした。オルバンさまは最善を尽くしてくれました」


 シャルロットは、眠るユーリィにシーツをかけてそう告げた。

 ただ、表情は酷く暗い。

 リーゼの危機に、最も心を痛めたのは彼女に違いないのだから。

 その場に駆け付けられなかった、自分自身の不甲斐なさを悔やんでいるのだろう。


「――いや違う! オレッちさえ、もっとしっかりしていれば――」


 ジェイクが顔を上げて叫ぼうとした、その時だった。


「えい」


 ――ゴンッ、と。


「ぐおっ!?」


 いきなり、固いもので殴打された。

 殴られたジェイクはもちろん、シャルロットもコウタ達も目を丸くした。


「落ち着かなきゃダメだよ。ジェイク君」


 ジェイクを殴りつけたものは、サーシャの持つヘルムだった。

 ジェイクは目を瞬かせて、サーシャを見つめた。


「ジェイク君はしっかり出来なかったって言うけど、リーゼちゃんは無事なんだよ」


 サーシャは優しい面持ちで、眠るリーゼに視線を向けた。


「それは、みんなの頑張りの結果だよ。ジェイク君がリーゼちゃんを守るために頑張ったおかげで私が間に合って、私が倒れた時は、沢山の人が助けてくれたおかげで先生が間に合ったんだよ。みんながいたからこその結果なんだよ。もしジェイク君が欠けていたら、この結果にはならなかったんだよ。だからね」


 サーシャはヘルムを片手で持つと、空いた手でジェイクの頭を撫で始めた。

 その美麗な顔には、とても優しい笑みを湛えている。


「確かに反省することはあるかもしれないけど、後悔する必要はないよ。だって、リーゼちゃんは無事なんだから」


「……サーシャさん」


 ジェイクは唖然としてたが、不意に「ははっ」と口角を崩した。


「確かにそうっすね。けど、いきなりヘルムで殴ることはねえんじゃないっすか?」


「ははっ、私の手って、手加減すると全然効かなくて、かといって本気で殴ると相手が沈黙するの。だからヘルム」


「……恐ろしいことを言うっすね」


 ジェイクが青ざめた。

 ともあれ、ジェイクは復活してくれたようだ。

 それを見届けて、コウタは口を開いた。


「ジェイク。シャルロットさん。リーゼのこと、頼むよ。それとサーシャさん」


 コウタは、兄の弟子である彼女に問う。


「兄さんは今どこに?」


 サーシャは真剣な顔で、コウタを見つめた。


「この王城の三階。角部屋にある第三騎士団の本拠地ベース。そこにガハルド叔父さま――アリシアのお父さまと一緒にいるよ。コウタ君を待っている」


「……そうですか」


 コウタは、神妙な顔で頷いた。

 兄が自分を待つ。それだけで今回の事件の裏が分かってきたような気がする。


「分かりました。メルとアイリは、ここでリーゼの様子を見ていて」


 振り向いて、メルティアとアイリに告げる。

 二人は頷いた。


「分かりました。お義兄さまの元へ行ってきてください。コウタ」


「……リーゼは見とくから」


 アイリは未だ泣き出しそうな顔のまま、ギュッとコウタの腰に抱きついてきた。

 コウタは、彼女の頭を優しく撫でてあげた。

 そして、もう一度だけベッドに眠るリーゼを見る。

 安らぎの顔を見せる彼女。

 コウタは彼女の頬に手を伸ばして――一旦止めた。

 寝ている少女に触れることに強い罪悪感があったからだ。

 しかし、それ以上に、どうしても今、彼女の体温を感じたくて。


「リーゼ」


 コウタは、彼女の頬に触れた。

 すると、リーゼはほんの少しだけ微笑んでくれた。

 愛おしさが込み上げてくる。


「……行ってくるよ」


 そう告げて、コウタは立ち上がった。

 そして、コウタは、真っ直ぐ兄の元へと急いだ。

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