第10部
プロローグ
第298話 プロローグ
エリーズ国・アシュレイ邸。
その一角にある執務室にて、アシュレイ家の当主である、アベル=アシュレイは一通の手紙を朗読していた。
白銀に近い総髪に、深い彫り。
四十代後半になる彼は、年齢に相応しく厳格そうな顔つきをしているのだが、今はとても優しく穏やかな顔で執務席に座り、手紙を読んでいる。
朗読が続く。
その場には、アベル本人も含めて三名の人物がいた。
一人はアベルの父の代から仕える老紳士。執事長のラックス。
彼は笑みを湛えながら、主人の朗読に耳を傾けていた。
そして、もう一人は女性だ。
年の頃は二十代前半。髪の色は薄い桃色。その長い髪を太い三つ編みにして胸の前に下げている騎士服の女性。美麗な顔つきでありながら、常に刻まれた無表情ぶりから騎士団では『氷結の騎士』の異名で呼ばれる人物でもある。
イザベラ=スナイプス。
アベルの副官でもある女性騎士だ。
アシュレイ邸は、当然ながらアベルの私邸になるのだが、彼女は最近、公私に渡ってアシュレイ邸に訪れていた。
今日も来訪ついでに、この場に居合わせていた。
「……というのが、コウタからの報告だ」
アベルは満足そうに告げる。
アベルが読んでいた手紙は、コウタからの報告書を兼ねた手紙だった。
「そうでありますか……」
ラックスが、好々爺の笑みで頷く。
「コウタさまは無事、兄上殿と再会されたのですな」
「ああ。そのようだな」
アベルも上機嫌に首肯する。
「手紙によると兄上殿との関係も良好なようだ。兄上殿は一度、こちらに挨拶に行きたいと仰ってくれているようだしな」
「それは喜ばしいことです」
と、イザベラが表情を変えずに告げる。
「コウタ君のお兄さまは《七星》最強と謳われるほどの人物。ご来訪の際は大々的に歓迎すべきでしょう」
「……うむ。それは私個人としては反対ではないが……」
アベルは苦笑を零す。
「そこはコウタにも話を聞くべきだな。兄上殿は、今は一般の職人だと聞く。あまり騒ぎ立てては迷惑がかかるだろうしな」
「……ですが」
イザベラは眉をひそめた。
アシュレイ家は四大公爵家の一角であるが、歴史はまだ浅く、新参者扱いされている。
そこへ元騎士とはいえ、大国・グレイシア皇国にて、雷名を轟かせる人物が身内に加わると知らしめれば、かなりのメリットになる。
だからこそ、大々的に報じるべきだと思うのだが……。
「まあ、その話はコウタ達が帰ってきてからしよう」
アベルは破顔した。
(……う)
彼の笑みに、イザベラは胸がきゅうと締め付けられ、何も言えなくなった。
しかし、表情自体は変わらないので、アベルが彼女の心情に気付くことはない。
手紙に再び目を落とす。
「コウタ達はあと二週間ほど滞在してから出立するそうだ。その後、グレイシア皇国で一週間滞在し、帰国する予定だ。帰ってくるのは一か月半後ぐらいだな」
「楽しみでありますな」
ラックスが言う。
「きっと、コウタさまもメルティアお嬢さまも成長されておられるでしょうな」
「確かにな。しかし、私としては……」
アベルは手紙を机の上に置いた。
「二人の仲が進展しているとさらに嬉しいな。旅は人を開放的にしてくれる。何なら交際どころかその先にまで発展してくれていてもいいぐらいだ」
自分もじきに五十代になる。
そろそろ孫の顔を見たいアベルだった。
「ほっほ。そうですな」
自分も生きている間に、コウタとメルティアの子を手に抱きたいと常々思っているラックスも、あごに手をやって笑った。
一方、イザベラは、
「……………」
無言のまま、自分の腹部に片手を当てていた。
(……そうですね)
イザベラは思う。
最近の彼女は、結構頑張っている。
アベルからの信頼は間違いなく得ているし、何度も通って、今やアシュレイ邸には顔パスだ。廊下で執事やメイドとすれ違うと頭を下げられるほどの進捗具合である。
部下としては、もう身内レベルの親しさだろう。
だが、それでもまだ第一段階だ。
彼女の最終目標。
アベルの寵愛を受けて、妻になるための過程に過ぎない。
イザベラは、ちらりとアベルを一瞥した。
(……そろそろ次の段階を目指さないと)
愛しい彼には初孫と、新しい我が子の両方の誕生を喜んでもらいたいものだ。
そのためにはもっと積極的にならねば。
瞳を閉じてしばし考える。
(そうですね……せめて、メルティアさんが戻って来る前に、婚約者の立場ぐらいは目指しておくべきですね)
と、イザベラは具体的な目標を掲げた。
(あなたも頑張ってくださいね。メルティアさん)
未来の義娘に心の中で声援を贈る。
アベルを最も喜ばせるためには、二人同時懐妊が望ましい。
そのためにも、自分も早く行動しなければ――。
無表情のまま、一人そんなことを考えている。と、
「ん? どうかしたのかね? スナイプス君? 体調が優れないのか?」
アベルが彼女に声をかけてきた。
無言で腹部を押さえ続けるイザベラを不思議に思ったのだろう。
『いいえ。何でもありません。あなた』
と、イザベラは言いかけるが、慌てることもなく、
「いいえ。何でもありません。アシュレイ将軍」
信頼厚い部下として、そう答える。
内面はピンクなのに、表面ではアイスブルー。
まさに鉄壁の仮面だった。
無論のこと、彼女の心情には、アベルもラックスも気付かない。
ただ、言葉通りに受け取って「そうか」と応える。
そして、
「しかし一か月半後か」
アベルは、双眸を細めて指を組んだ。
「メルもそうだが、兄上殿と再会し、果たしてコウタがどれほど成長したのか。今から本当に楽しみだな」
未来の義息子の成長を思い描いて。
今は破顔するアベルだった。
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