第263話 炎より続く明日③
最後の決戦は、無音で始まった。
――ゆらり、と。
《ディノ=バロウス》が重心を落とした。
そして音なき加速。《天架》の上を滑走する。身構える《朱天》の元に真っ直ぐに。
間合いは瞬く間に消え去った。
(――《ディノス》!)
コウタは眼光を鋭くする。愛機もそれに応えた。
繰り出す闘技は《残影虚心・顎門》。
ここに至っては、小細工は不要。
――最強の闘技を、両腕を以て繰り出す!
双頭の魔竜が開く。
それは瞬時に四十八連にも及ぶ斬撃だった。
そしてそれに対し、《朱天》は――。
すうっ、とわずかに左手を下ろした。
とても穏やかで、静かな所作。
一瞬、コウタの脳裏に清流が浮かんだ。
静かに。
真紅に輝く拳を、《朱天》は突き出した。
(――ッ!?)
愕然と目を見開くコウタ。
拳の力場に触れた炎の剣が、一瞬で破壊されたからだ。
あまりにも威力に差がありすぎる。
――だが。
(まだ終わっていない!)
コウタの気迫は《ディノ=バロウス》にはもちろん、メルティアにも伝わった。
メルティアは、瞬時に炎の剣を復元させた。それは斬撃と共に砕け散るが、その時は再び復元。コウタの心が折れない限り、ただ、それだけに徹した。
――四十八の斬撃。
それらは一度も拳の力場を崩せずに終わった。
けれど、《ディノ=バロウス》は攻撃の手を休めない。
機体が盛大に火花を散らすが、それにさえ構わず、斬撃を繰り出し続けた。
炎刃の嵐は、凄まじい衝撃を放った。
しかし、最強の怪物は全く揺るがない。
魔竜の牙を前にしても、泰然と構えている。
そうして、遂に――。
――ズシンッ!
《ディノ=バロウス》は二本の処刑刀の切っ先を、地に落とした。
炎の剣は揺らぎ、消えていく。残されたのは折れた処刑刀のみだ。
すでに両腕の赤い光も、消えていた。
対する《朱天》は、拳を突き出す姿勢で止まっていた。
全身の真紅の輝きは消えていない。
――が、それは徐々に収まり、漆黒の装甲へと戻っていった。
もはや身じろぎする余力もない《ディノ=バロウス》は、ただ肩を落としていた。
《朱天》は構えを解くと、自分の右腕を見やった。
『……これがお前の答えか』
兄が呟く。
『……うん。どうだったかな?』
と、コウタは返した。
精魂使い果たした、息の荒い声だ。
ただ、同時に険の抜けた、あどけない声でもあった。
(ありがとう。《ディノス》。メル)
相棒と幼馴染に、心から感謝する。
おかげで、意地を見せることが出来た。間違いなく。
コウタは《朱天》に目をやった。
兄の愛機の右腕には、二本の裂傷が刻まれていた。
今はまるで喝采のように、バチバチッと火花も散らしている。
(これがボクの意地だ)
――この最強の怪物を前にして。
悪竜の騎士は、双頭の牙を、深々と突き立てて見せたのだ。
兄はしばし無言だったが、
『……ああ、確かに見せてもらったよ』
不意に、そう告げて。
兄の操る《朱天》が、ゴツン、と《ディノ=バロウス》の頭部を軽く叩いた。
クライン村で、兄がコウタによくしてくれたように。
『お前は、もっともっと強くなれる。俺が保証するぜ』
兄は、そう言ってくれた。
(……兄さん)
コウタは目を細めて、笑った。
兄に認められて、喜びが湧き上がってくる。
『しかし、すまなかったな』
が、兄の声は、すぐにテンションが下がった。
とても、申し訳なさそうな声色になる。
『メルティア嬢ちゃんには本当に悪いことをした。随分と怖い目に遭わせちまっただろう?』
『い、いえ。お気になさらないでください。お義兄さま』
と、コウタの後ろに座るルティアが答える。
『流石に《ディノス》がここまで追い込まれたのは初めてですが、その、こういったことは本当によくあることですから』
(いや、メル。確かにそうだけどさ)
コウタはメルティアの方を見つめて、何とも言えない顔をした。
そんなコウタをよそに、幼馴染と兄の会話は続く。
『……よくあるのか?』
兄がそう尋ねると、
『は、はい。これまでも、気付けば大体こんなことに……』
おどおどとした様子で、メルティアが答えた。
「……いや、メル。まあ、否定はできないけどさ」
コウタは、深々と嘆息した。
基本的にそれらは不可抗力な出来事ばかりだ。
流石に言い訳の一つでもしたい。
『いや、その、ボクも、色々と気をつけてはいるんだよ?』
拡声器を通じて、兄にそう伝えると、
『はは、それは分かるよ。俺も大概な人生だしな』
そんな返事がきた。
何というか、凄く共感できる想いが伝わってくる。
(そっかぁ。兄さんも大概なのかぁ……)
生まれながらトラブルに巻き込まれる体質。
これは、もはや、ヒラサカ一族の特徴なのだろうか。
と、コウタが真剣に悩み始めた時だった。
「クライン」
不意に、立会人であるオトハが声をかけてきた。
彼女は二機の近くまで寄ると、大きな胸を支えるように両腕を組む。
「今度こそ、終わりを宣告してもいいんだな?」
兄の愛機が彼女に視線を向けて『おう。待たせて悪かった』と答えた。
――その台詞こそが。
この試練の終了を告げるものだった。
「……はぁ」
コウタは一気に脱力した。
何やら兄達が会話をしているようだが、もう耳にも入らない。
それぐらい疲労していた。
すると、不意に、首元が柔らかい感触で覆われた。
「……お疲れ様です。コウタ」
メルティアに、後ろから抱きしめられたのだ。
「……うん。流石に今回は疲れたよ。メル」
恥ずかしがることもなく。
コウタはただ、大切な少女に身を預けた。
それだけで疲労が少し回復し、心が落ち着いてくる。
メルティアも、優しい笑みを見せてコウタの頭を抱きしめた。
「……お義兄さま。本当に強かったですね」
「……うん。流石にここまでとは思わなかった」
コウタは、メルティアの腕に触れた。
「ごめん、メル。《ディノス》も、これ以上ないぐらいボロボロにされちゃったし、メルも凄く怖かったでしょう?」
「いえ、私なら、大丈夫です」
メルティアは微笑んだ。
「《ディノス》も必ず直します。それに怖かったのは事実ですが、結局、お義兄さまは手加減をしてくれていたようですから」
「……うん。そうだね」
少しだけ不満そうに、コウタは呟く。
恐ろしいことに、兄にはまだまだ余力がある。
それは、メルティアでも気付くほどに。
「あれが『最強』なのかぁ……」
コウタはメルティアに深く体重を預けて、嘆息した。
目指す頂は、遙かに遠くて高い。
それを心底思い知らされる戦いだった。
けれど――。
「大丈夫ですよ。コウタ」
メルティアは、豊かな胸で、コウタをぎゅうっと抱きしめた。
「私がいます。《ディノス》も。これから、もっと強くなりましょう」
「う、うん」メルティアの暴力的な柔らかさに流石に恥ずかしくなりつつ、「ボクも、もっと頑張るよ。もっと強くなってみせる」
「はい。その意気です。コウタ」
メルティアは片手をコウタから離し、グッと拳を固めた。
「《ディノス》も、さらにパワーアップさせてみせます。そして、滞在中に、もう一度お義兄さまにリベンジマッチをしましょう」
「いや、それは待って、メル。無理。絶対無理だから」
コウタは、メルティアの方に振り向いて顔を強張らせた。
――と、その時だった。
「とりあえず黙れ! いいな!」
いきなり、オトハが兄に対し、そんなことを叫びだした。
コウタ達がそちらに目を向けると、彼女は片手を上げるところだった。
そして――。
「では、これにて!」
何故か少し赤い顔をして、彼女は宣言する。
「アッシュ=クラインと、コウタ=ヒラサカの立合いを終了する!」
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