幕間一 兄の日常

第245話 兄の日常

 思い返せば、兄はつくづくとんでもない人物だった。

 とにかく異性にモテる。

 クライン村にいた兄と同性代の女性は、下手をすると全員が兄に好意を抱いていたのではないかと思うぐらいだ。

 とは言え、別に兄は女垂らしではない。

 むしろ硬派な人間だ。

 兄が女性を口説くところなど、義姉相手以外には見たこともない。

 それでもなお、兄は圧倒的にモテた。

 そして、それは時に村の範疇を越えるものもあった。

 例えば――。


「……おい。待てや、てめえ」


 それは、買い出しの帰りだった。

 コウタが兄と一緒に村唯一の食材店で食材を買い、家に向かっていた時だった。

 人通りのない森沿いの道で、いきなり厳つい男に声を掛けられたのである。


「……? 俺を呼んだのか?」


 兄が眉根を寄せて男を見据えた。

 男は一人だけではなかった。

 全員で四人いる。二十代後半から三十代ぐらいの連中だ。

 彼らは革鎧を着た傭兵だった。腰には、鎧機兵の召喚器である短剣も差している。確か、ここ一週間ほど宿を拠点している傭兵団だったはずだ。

 宿の主人――テツロウさんの話では、クライン村の近くに生息するウサギ型の小型魔獣の毛皮を一定数集める依頼を受けた連中らしい。

 コウタはよく知らないが、傭兵が受けるには低ランクの仕事とのことだ。


『まあ、一緒にいるお嬢ちゃんの練習がてらの仕事らしいぞ』


 テツロウさんは、そんなことを言っていた。

 確かに傭兵団の中で、一人だけ兄とほとんど歳の変わらない十四、五歳ぐらいの少女もいたのを憶えている。


(けど、何の用だろ?)


 コウタは首を傾げた。

 一時的に滞在しているだけの来訪者。

 兄とは、面識もないはずだ。

 しかし、声をかけた男は、心底不快そうな顔で兄を睨み付けていた。


「……てめえ。俺らの計画を台無しにしやがって」


「……? 何の話だよ?」


 兄が言う。すると、別の傭兵が声を荒らげた。


「レナのことだ! 余計な真似をしやがって!」


「……レナ?」兄は首を傾げた。「それって、あいつだよな。お前らの仲間の。森の中で怪我をしたみたいだから、宿まで送っただけだぞ?」


「それが、余計な真似なんだよ!」


「……どういうことだよ?」


 兄は眉をひそめる。

 すると、団長らしき男が、鬱陶しそうに呟いた。


「あいつは強えんだよ」


「……?」


「まだ経験は浅いが、鎧機兵を扱わせりゃあ一流。俺らの中でも最強だ。しかも男勝りで気が強えェ。には中々厄介な女なんだよ。だからこそ、鎧機兵じゃあ対応できねえこの仕事を選んだんだ」


「何言ってんだ? 訳分かんねえこと言うなよ」


 兄が不快そうに呟く。と、


「要は、俺らはこの依頼であいつに怪我を負わせるつもりだったのさ」


 別の傭兵が、大仰に肩を竦めて告げた。


「そんで、手負いのあいつを無理やり手籠めにする。刃向かう気も、逃げる気もなくなるぐらい徹底的にな。そのために俺らの団に入れたんだ。俺らの仕事だと娼館が使えねえ時もあっからな。まあ、団専属の仲間兼娼婦ってことだ」


 ケケケ、と傭兵は下卑た笑みを見せた。

 それに吊られてか、他の連中もニタニタと笑い、


「けどよ、レナって、昔のライラを思い出させるよな」


「ああ、そうだな。あいつも最初の頃は随分と威勢が良くて気が強かったよな。腕前も相当なもんだった。けど、した後はもう従順でよ」


「全くだ。何度相手してもらったことか。ああ、惜しい女を亡くしたぜ」


 傭兵の一人が、わざとらしく溜息をついた。


「まあ、俺らとしては本当に困ってんだよ。なにせ、つい最近までそれを担当してくれてた仲間が死んじまってよ」


 傭兵の団長が、苦笑混じりに言う。

 が、すぐに怒気を孕んだ眼差しを兄に向けて。


「本来なら森で決行するつもりだったんだよ。それをてめえが台無しにしたって訳だ。想定外のお預けくらったこっちの身も考えろよ」


「……そうかよ」


 兄は、すっと目を細めた。

 コウタはすぐに悟った。兄がとても怒っていることに。

 兄は、手に持っていた荷物をコウタに預けた。


「胸くそ悪りい。ゲス野郎どもが」


 言って、一歩前に踏み出した、その時だった。


「……それ、マジか?」


 不意に、呟きが聞こえる。

 傭兵達は、ギョッとして後ろに振り向いた。

 そこいたのは、十四、五歳ぐらい少女だった。

 髪はかなり短く、色はアイボリー。瞳は炎のような緋色だ。

 幼いコウタの目で見ても相当な美少女であり、低い身長には不釣り合いほどの見事なプロポーションも持っている。服装は茶系統のホットパンツと黒いニーソックス、上着にはノースリーブ型の黒いレザースーツを着ている。腰には短剣も差していた。

 傭兵と言うよりは盗賊トレジャーハンターのような少女だった。


「……レ、レナ」


 傭兵の一人が、頬を引きつらせて彼女の名を呼んだ。

 すると、少女は肉食獣のように歯を見せた。


「ふざけやがって! あんたら、最初からそんな目的であたしを団に入れたのかよ!」


 まるで荒ぶる虎のように吠える。

 思いの外、乱雑な言葉遣いをする少女に、コウタは少し驚いた。


「い、いや、それはだな……」


 と、傭兵の一人が言い訳しようとしたが、


「ああ、もういいぜ。面倒くせえ」


 それを団長が遮った。


「丁度いいか。ここでやっちまうぞ」


 言って、団長は腕を鋭く動かした。


「――くあっ!」


 途端、少女が片膝を突く。彼女の右足に礫をぶつけられたからだ。

 ブーツで覆われているが、そこは先日負傷した箇所だった。


「てめえに怪我をさせること自体は成功してんだ。悪いが、ここで楽しませてもらうぜ」


 そう宣言すると、親指で森の奥を指差した。


「て、てめえ!」


 彼女は、腰の短剣を抜いた。

 しかし、


「――おっと」傭兵の一人が同じく短剣を抜いて構える。「この状況で、鎧機兵を喚び出せる隙があるなんて思うなよ」


「――クッ」


 少女が呻く。すでに傭兵全員が抜剣していた。


「なぁに。心配すんなよ、レナ」


 団長は優しく笑った。


「すぐに慣れるさ。ライラもそうだった。そんで、そん時こそ俺らは、血の繋がりよりも濃い絆で結ばれた本当の仲間になんのさ」


「――このクズ野郎が!」


 少女が、忌々しげに気炎を吐く。と、


「……おい。おっさん」


「……あン?」


 団長は、視線を声の方に向けた。


「なんだ? てめえ、まだいたのか?」


 と、団長が兄に告げる。兄は、ボリボリと頭をかいた。

 それから少女の方を見やり、


「なあ、レナ」


「お、おう。何だよ、トウヤ」


 どうやら少女は兄の名を知っているらしい。

 少し頬を染めて、その名を呼んだ。


「お前って、仲間を見る目がねえよな」


「うっせえよっ! それよりお前はそっちの小っこいの連れて逃げろよ!」


「……ふん」団長が鼻を鳴らした。「別にてめえはもう行ってもいいぞ。ただし、今日のことは黙っとけよな。もし話したら……分かるよな?」


 そう告げて、団長は兄を睨み付けた。

 傭兵達も「長いモンには巻かれとけ」と、ケラケラ笑っている。

 コウタは、かなり不愉快に感じた。

 それは当然、兄もそうだろう。

 眉をしかめつつ、ゆっくりと進んで団長の前に立つ。

 そして――。


「もう黙れよ。クズ」


 突如、拳が唸った。

 無造作に撃ち出した兄の拳だ。

 それは、幼かったコウタの目には剣閃のように見えた。

 だが、その威力は拳大の弾丸だ。


「――ほげえッ!?」


 拳は団長の顔面に直撃した。

 盛大な鼻血と、砕け散った歯を撒き散らして男の身体は吹き飛び、三セージル近くも離れていた木の幹に勢いよくぶつかった。幹に沿って背骨が大きく曲がる。そして、そのまま地面に崩れ落ちた。


「「「――へ?」」」


 傭兵達だけではなく、レナまでも唖然とした。


「次は誰だ?」


 兄はそう尋ねると、歩を進め、近くにいた傭兵に裏拳を叩き込んだ。

 その傭兵も冗談のように飛翔し、森の中に消えていった。さらに一歩進んでもう一人。三人目は吹き飛ぶ代わりに、その場で二回転した。

 あっという間に、傭兵は一人だけになった。


「な、何なんだ!? お前は!?」


 完全に腰が引けた状態で短剣を両手で構える傭兵。

 ガタガタと切っ先が震えている。


(……うわあ)


 コウタは、ほんの少しだけ傭兵が可哀想になった。

 兄の友人曰く。


『あいつに喧嘩で勝つには、鎧機兵でも使わねえと絶対無理だろ……』


 そんな兄相手に、傭兵は短剣一本で対峙しているのである。

 まあ、完全に自業自得なのだが。


「――グゲッ!?」


 最後の傭兵も宙を舞い、森の奥へと消えていった。

 兄は、パンパンと手を払った。


「後で自警団に通報しとくか。さて」


 兄は、内股でへたり込む少女に目をやった。


「大丈夫か? レナ」


「お、お前、何なんだ? 実は騎士か傭兵なのか?」


 レナが緋色の瞳を瞬かせて尋ねる。


「いや? 農民だぞ?」


「こんな農民がいてたまるか!?」


 もっともな意見を叫んだ。


「いや、マジで農民なんだが……それより立てるか?」


「た、立てるさ! 馬鹿にすんな!」


 言って、彼女は立ち上がるが、やはり傷むようだ。かなりふらついている。

 兄は「仕方がねえな」と呟いた。


「コウタ」


 そしてコウタの方を見やり、真剣な顔で兄は告げる。


「今の事情や顛末は、ちゃんとサクに証明してくれよな。特にこのことは」


 そう言うなり、兄は少女を抱き上げた。

 肩と太股を支える――要は、お姫さま抱っこだ。


「な、何すんだよっ!? お前っ!?」


 レナは愕然とした。


「お、降ろせっ! あたしは歩ける!」


「うっさい。悪化するぞ。足が」


「構わねえよ! こんな恥を晒すぐらいなら――」


「だから、うっさい。黙っとけよ」


 兄は暴れる少女を強く抱き寄せ、黒い眼差しで射抜いた。

 レナは唇を開けて、唖然とする。


「俺だって今、かなりのリスクを背負ってんだぞ。サクが拗ねた時、宥めんのは本当に大変なんだからな。だからレナ。いいな」


 兄は、ダメ押しのようにレナの顔を見据えた。


「もう大人しくしてろ」


 レナは呆然としていたが、ややあって「は、はい」と頷いて大人しくなった。

 そうして、兄は家まで彼女をお持ち帰りしたのである。

 ちなみに、彼女は足が完治するまでの一週間、ヒラサカ家に滞在した。

 その期間、義姉が常時、三白眼状態になったり、「あたしにはさ、お前と同じぐらいの妹がいるんだ。もうずっと前に生き別れになっちまったけど」と、レナが自分の身の上話を聞かせてくれたりもした。

 いよいよレナが去る時は、彼女は感極まった様子で兄に抱きついて「あたし、妹を見つけたらまた会いに来るから! また会おうな! トウヤ!」と、涙ぐんでいた。

 兄は、たった一週間で彼女の心を鷲掴みにしたのである。

 まあ、義姉は不機嫌そのものではあったが。

 こんな傭兵団を一掃するようなことさえも、兄の日常の一端に過ぎなかった。


(本当に、兄さんは凄いなあ)


 ――昔も今も。

 変わらず、そう思うコウタだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る