第172話 その女、気まぐれにつき④

(さあ、どう出るよ、坊主)


 顎髭の大男――ベッグは少年を見据えた。


(お前がレイハート家の護衛なんだろ? 分かってるぜ)


 ベッグはすでに見抜いていた。

 あのゴツい甲冑騎士が護衛だと思っていたが、恐らく違う。立ち姿は完全な素人だ。あれではただ図体がデカいだけにすぎない。


 それに引きかえ、この目の前の少年ときたらどうだ。

 揺るぎない重心に、景色に溶け込みそうな自然体。

 まさに瞠目に値する力量だ。


(しかし、この歳でこんな境地にいけるもんなのか?)


 同時に恐ろしいとも思う。

 ベッグが、怪物だと思った少年はこれで三人目だ。

 眼前の少年に、同僚である赤い髪の少年騎士。

 そして彼が忠義を誓った――……。


(まあ、流石に旦那ほどじゃねえがな)


 ベッグはつい苦笑いを浮かべた。

 この少年といえども、あの人外クラスの隊長と比較するのは酷である。

 だが、思わず比較してしまうほど、この少年が逸材であることには違いない。


(ともあれ俺にも事情がある。ここは予定通り試させてもらうぜ)


「おいおい何だよ?」「喧嘩か?」


 ザワザワ、と群がりつつある通行人。

 ベッグはちらりと周囲を一瞥する。姿こそ確認できなかったが、恐らくこの人垣のどこかに『女王』がいるはずだ。こっそりと見物しているに違いない。


『あの子達の力量を見定めなさい』


 それが彼女の勅命だった。

 しかし、それを別にしてもいざ実物を見ると面白い少年だ。

 ベッグ自身も俄然興味が湧いてきた。


(さァて、と)


 グッと拳を固める。

 ありきたりな台詞ではあったが、充分な挑発はした。

 この少年の真価を試すのはここからだ。


 果たしてどう動くのか……。

 と、興味深く様子を窺っていたのだが、


「随分と礼儀知らずな殿方ですわね」


 意外にも、少年が動く前に口を開いた者がいた。

 リーゼ=レイハート嬢その人である。

 誇り高い彼女は、かなり不機嫌そうだった。


「淑女の誘い方が全くなっておりません」


 そう言って、彼女は一歩前に踏み出した。


「そこに直りなさい。わたくし自ら礼儀を教えてあげましょう」


(……おいおい。お嬢ちゃんの方が来んのかよ)


 ベッグは内心で皮肉げに口元を崩した。


(なんつう攻撃的なお嬢さまだ。公爵令嬢ってのはこんなんばかりなのか?)


 と思うが、当事者であるリーゼはやる気満々のようだ。

 へらへらとした作り笑いは繕ったまま、ベッグは少し困ってしまった。

 流石に他国の公爵令嬢と喧嘩沙汰になるのは色々とまずい気がする。


「おい、嬢ちゃんよ」


 ベッグは馬鹿にするように肩を竦めた。


「その細腕で何をする気だ?」


 続けて地面を強く蹴り付けると、牙のように歯を見せ、威嚇の声を上げた。


「俺らを舐めてんじゃねえよ。お嬢ちゃんは後でベッドに可愛がってやるからよ。それまでお転婆は控えときな」


 並みの者なら震え上がるような声。

 しかし、公爵令嬢さまの胆力は並みではなかったようだ。


「言ってくれますわね」


 柳眉を上げてさらに踏み出す。


「あなたごときがわたくしを抱くと? わたくしを抱いてもよい殿方はたった一人だけだというのに」


 むしろ闘争心を煽ってしまったようだ。

 彼女の美麗な顔は、怒りに染まっていた。


(げ。ヤベ。火に油を注いちまったか)


 ますますもって、ベッグは困ってしまった。

 彼の仲間達も顔には出さないが困惑していた。

 本当にどうすべきか……。

 本気で悩んでいたところ、助け船を出してくれたのは意外な人物だった。


「リーゼ。ダメだよ」


 当初の標的であるレイハート家の護衛の少年である。


「悪いけど、ここはボクに任せてくれないかな」


 そう言って、少年は少女の前に進み出た。


「ですがコウタさま」しかし、少女は不満そうだ。「ここまで侮辱されてはレイハート家の名折れです。この悪漢どもはわたくしの手で成敗しなければ」


 と身を乗り出して憤る彼女だったが、


「……リーゼ」


 少年の声に、ピタリと動きを止めた。

 彼はさらに続ける。


「見た目だけで判断してはダメだ。この人は凄く強いよ」


「で、ですが……」と、なお言い募ろうとする少女。すると、彼女の腕を小さなメイドがギュッと掴んだ。


「……ダメだよ。リーゼ」幼い少女は言う。「……コウタが強引になる時は、本当に危ないと思っている時だよ」


「……むむ」


 公爵令嬢は呻いた。

 すると、今度は紫色の鎧を着た子供が前に進み出て。


「……ウム。アノヒゲハ、ツヨイゾ」


 ピピピ、と、ヘルムの耳元辺りから音が鳴った。


「……ヌウ。戦闘力5000。ヒゲトハオモエヌ戦闘力ダ」


「え? 零号さん? あなたには相手の力量を測る機能があるのですか?」


『い、いえ。そんな機能はないはずなのですが……』


 と告げるのは石像のように硬直していた甲冑騎士。


「え? 女の声?」と、眼帯の優男が目を丸くする。


「おい、マジかよ」「……こいつは意外だったな」


 これにはベッグと傷持ち男も結構驚いた。

 まさか、あの巨体で女だったとは……。


「まあ、いずれにせよ」


 そんな中、少年が締める。


「ここはボクに任せて。こんなことで君に怪我なんてして欲しくないから」


「……コウタさま」


 と、少女は自分の胸元で指を組んで少年を見つめた。


(ああ、なるほどな)


 ベッグは内心で苦笑する。

 これは分かりやすい。要するにそういう間柄か。


(しかしまあ、公爵令嬢ってのは強い野郎に惚れやすいのかねえ……)


 そんなことも思うが、何にせよ令嬢はここで退いてくれるようだ。

 後は予定通り。眼前の少年の力量を見定めるだけだ。

 そう考えて、少年を睨み据えたその時だった。

 少年は静かに拳を固めた。

 ――途端、


「ッ!?」


 ぞわりと走る悪寒。

 ベッグは息を呑み、後方に大きく跳んだ。

 ズザザ、と石畳を軍靴が擦る。


(おいおい、こいつはマジかよ)


 冷たい汗が頬を伝う。


「……おい、てめえら」


 そして感情を抑えた声で仲間達に警告する。


「いいか、手ぇ出すなよ。こいつの相手は俺がする」


 その台詞に、仲間の二人は目を剥いた。


「え? 隊……い、いや兄貴?」


 と動揺する優男をよそに、


「……それほどの相手っすか?」


 額に傷を持つ男が神妙な声で尋ねる。ベッグは静かに頷いた。


「正直、俺の手にも余るかもしんねえ」


「……マジですか」「……姐さん、そんなのにぶつけるのかよ」


 眼帯の優男と、傷を持つ男がパチンと額を手で打った。

 が、すぐに表情を改めると、ベッグと少年から距離を取る。

 それはリーゼ達側も同様だった。

 大通りに集まり始める見物人。その中央にいるのは二人の人物だ。


「俺の名はベッグだ。坊主。お前の名は?」


「コウタ。コウタ=ヒラサカです」


 互いに名乗りを上げる。

 そして対峙する大男と、黒髪の少年。

 張り詰めた空気が大通りを覆った。

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