第二章 前途多難な少年

第64話 前途多難な少年①

 朝。エリーズ国の首都である王都パドロは、晴天を迎えていた。

 周辺を多くの木々に囲まれ、森の国とも呼ばれるこの国は『八の月』を過ぎたばかりではまだまだ蒸し暑い。大通りに店を構える店舗の主人達は、今日も暑い日差しを手で遮りながら、出店の準備に勤しんでいた。


 そんな中、ガラララッと車輪の音が響く。

 大通りを通る多くの馬車の中でも一際豪勢なその車体は、各店舗の脇をすり抜けると、そのまま横道に右折し、さらに真直ぐ進んでいく。

 そして五分後、馬車は開かれた大きな正門の前で止まった。


 エリーズ国騎士学校。

 コウタ達が通学する学校である。正門から校舎へと繋がる石畳の道には、ガヤガヤと楽しげに登校する学生達の姿もあった。

 その時、馬車の御者が、自分の乗ってきた車体のドアを開けた。


 そしてキャビンの中から出て来たのは一人の少女だった。

 年の頃は十四歳。エリーズ国の学生服を着込んだ彼女は、ここまで送ってくれた御者に労いの言葉をかけると、ゆっくりとキャビンの階段を降り始める。

 毛先の部分にきつめのカールがかかっている長い蜂蜜色の髪は、後頭部当たりで紅いリボンを使って結ばれており、キャビンの階段を降りる度に大きくたなびいた。

 しなやかさを持つスレンダーな肢体と、髪と同色の瞳。凛々しく美しい顔立ちが印象的な彼女の名前は、リーゼ=レイハート。

 エリーズ国の四大公爵家の一つ、レイハート家の令嬢であり、さらにはコウタとメルティアの親しい学友でもある少女だった。

 リーゼが完全に地面に降り立つと、御者は恭しく一礼し、


「では、お嬢さま。私はこれにて」


「ええ、ありがとう。今日は帰りに私用がありますので迎えは不要です」


「承知いたしました。それでは失礼します」


 そう言って御者はもう一度一礼すると御者台に乗り込み、馬車はガラララと音を立てて学校の正門から走り去って行った。

 後に残されたリーゼは、そのまま校舎に向かって歩き出す。

 途中、顔見知りの他クラスの生徒ともすれ違い、「ごきげんよう」と優雅な挨拶をかわしつつ、彼女は校舎の中に入っていった。

 一回生であるリーゼのクラスは、校舎の一階にある。

 今歩く長い廊下の端にあった。すると、


「おっ、おはようさん、お嬢」


 不意に、後ろから声をかけられた。

 リーゼは振り向き、笑みを浮かべて応える。


「あら。ごきげんよう。オルバン」


 後ろから近づいてきたのは、ジェイク=オルバン。

 短く刈った濃い緑色の髪が特徴的な、大人顔負けの体格を持つ少年であり、リーゼと同い年のクラスメートである。


「今、登校ですの? あなたにしては早いですわね」


 と、リーゼが尋ねる。時刻はまだ八時前。彼女の知る限り、ジェイクはいつもHRの始まる八時半ギリギリに登校していたはずだ。

 この時間にいるのはかなり珍しい。


「いや、オレっちでもたまには早く来るぜ」


 言って、ボリボリと頭をかきつつ、大きな欠伸をするジェイク。


「とは言え、やっぱダルイよなあ。ああ、夏休みが懐かしいぜ」


 そんなことを言う級友に、リーゼは苦笑を浮かべた。

 夏期休暇が終わってまだ二週間ほど。懐かしむほど期間は空いていない。


「まったく。不抜けていますわね」


 リーゼがジト目を向けて、大柄な少年に喝を入れる。

 対するジェイクは「ははっ」と笑うだけだった。

 そうして、ハタから見ると、まるで従者とお嬢さまの関係のようにも見える二人は、並んで自分達の教室へと向かった。

 と、その時だった。


「………ん?」


 ジェイクが眉をひそめる。何やら教室の方が騒がしかったからだ。

 それも騒ぎの元は、彼らのクラスのようだ。


「何か騒々しいな。朝から何かあったのか?」


「さあ? 今日は特にイベントもなかったはずですが……」


 リーゼも小首を傾げる。

 が、教室に近付くにつれて、この騒ぎの原因はあっさりと判明した。

 教室に入ったリーゼは、口元を上品に押さえて大きく目を見開き、ジェイクの方は「おおっ!」と感嘆の声を上げた。


「メ、メルティア!」


 リーゼが喜びに満ちた声で友人の名を呼ぶ。

 ――そう。教室の一番後ろの席。

 そこには、二週間ぶりにメルティアの姿があったのだ。

 ただし、紫銀の髪の美少女ではない。

 鋼鉄製の頑丈な椅子に座るその人物の身長は、およそニセージル。

 背中に大きなバックパックを背負い、ヘルムにはネコ耳のような出っ張り。丸みを帯びたシンプルなデザインの甲冑を着込んだ紫銀色の騎士の姿だった。


 作品ナンバー459。着装型鎧機兵パワード・ゴーレム


 これは、対人恐怖症のメルティアが外出の際、必ず着込む鎧機兵であった。

 そしてその中にいるのは当然、メルティア本人である。


「よかった! メルティア! また学校に来られるようになったのですね!」


 友人が再び不登校になるのではないかと心配していたリーゼが、メルティアの元に駆け寄った。近くには男女問わずクラスメート達が集まっている。

 教室が騒がしかったのは、久しぶりにメルティアが登校していたからだった。


『……リーゼ。おはようございます。オルバンさんもおはようございます』


 メルティアが、首だけを動かして朝の挨拶をする。

 それから立ち上がり、おずおずと巨大な体を動かして周囲を見渡し、


『あの、皆さん。体調不良のため、しばらく休んでいましたが、今日から復帰することになりました。また宜しくお願いします』


 と、礼儀正しい姿勢で改めて挨拶をした。

 それに対し、元々陽気で人懐っこい者達が多いクラスメート達は、


「おう! よろしくな!」「けど、あんまり無理しちゃダメだよ、メルちゃん」「拙者に出来ることならば何でも申すがよい」「うん! また一緒に勉強しようね!」


 と、次々と受け入れる声をかけてくれた。

 メルティアは片手を胸に当て、少しだけホッとする。

 彼女が最も恐れる『拒絶』や『否定』がないのは、とても有難かった。

 メルティアは大きな胸――今は胸板だが――を撫で下ろした。


「ははっ、今日からまたよろしくな、メル嬢」


 と、ジェイクもコツンとメルティアの肩当てを叩き、ニカッと笑った。

 クラスの中でメルティアと最も親しいリーゼも「改めてよろしくですわ」と告げて、友人の復帰を心から歓迎した。

 騒々しさから、和やかな空気に変わる教室。

 が、そんな中で、ジェイクはふと眉根を寄せた。

 メルティアから少し離れた窓際にて、コウタの姿を見つけたのだ。

 何故かコウタは、この和やかなムードの中、何も語らず窓際に腰をかけていた。

 表向きはアシュレイ家の使用人であり、それを別にしても、メルティアにやたらと甘いコウタが、彼女の傍から離れているのはかなり意外だった。


(……コウタ?)


 ジェイクはさらに眉根を寄せる。

 普段は温厚な親友の顔つきが、かなり強張っていたからだ。

 何と言うか、コウタは今とんでもなく焦っている。具体的に言うならば、ギリギリまで追い込まれた人間の顔をしていた。

 ここまで切羽詰まった様子のコウタは、結構珍しい。


(何かあったのか?)


 と、ジェイクが面には出さずに考えていたら、


「……あのさ、ジェイク」


 コウタの方から近付いてきて話を切り出して来た。そして訝しむジェイクをよそに、相棒の少年は真剣な顔つきのまま、おもむろにこう尋ねてきた。


「少し相談があるんだ。今日の放課後いいかな?」

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