幕間二 森の館の少女
第21話 森の館の少女
その日は、とても晴れた日だった。
アシュレイ家に居候するようになって早や三ヶ月。
七歳のコウタは一人、アシュレイ家の庭園で木の棒を振っていた。
行方知らずの兄と義姉を、いつか探しに行くための訓練である。
この世界は理不尽と危険に満ちている。力を磨くに越したことはない。
とは言え、誰かが剣の指導してくれている訳ではなかった。完全な独学。もっとはっきり言えば、ただ木の棒を振り回しているだけだった。
正直意味がない行為だ。
だが、それでもコウタはこれが強くなる道だと信じて毎日木の棒を振っていた。
その晴れた日も、朝早くからそんな想いで修練を積んでいた。
「……ふう」
素振りの回数が百回を超えた所でコウタは棒を下ろし、小さく息をついた。
今日の修練はここまでだ。体力的にはまだまだいけるのだが、成長途中の身体で鍛えすぎるのはよくないと何かの書物で読んだことがある。
コウタは近くの長椅子に掛けていたタオルを取ると、汗を拭いた。
と、その時。
「……ん?」
コウタはふと首を傾げた。今、顔を拭いていたタオルの隙間から、幼児ほどの大きさの紫色の物体が走り抜けるのが見えたのだ。
「……? 何だ? 今の?」
物体が走っていった方向は鬱蒼とした森の中だ。
綺麗な庭園の中で、唯一手付かずになっているような森である。
そういえば、コウタはあの森に入ったことがない。
「あの先って何があるのかな?」
そう考えると、少年特有の冒険心がムクムクと沸き上がってきた。
コウタは少し考える。まだ朝食には時間がある。
さっきの紫色の存在も気になるし、少し覗いてみるのもいいかもしれない。
「……よし」
元々好奇心が強い年頃。コウタは森の中に足を踏み入れた。
そうして昼間でありながら、少し薄暗い森の道を進んでいると、
「――あっ!」
前方にさっき見かけた紫色の物体を見つけた。
「え? 何だあれ?」
コウタは少し目を丸くする。
それは実に丸々とした小さな鎧機兵だった。
短い手足と紫色の甲冑。ヘルムの上に金色の小さな王冠をつけた機体だ。
背中からは地面に届かない尾も生えていてプラプラと揺れている。
正直、こんなサイズの鎧機兵など見たこともない。
「し、新種の鎧機兵?」
コウタが少し躊躇いがちに近付くと、こちらに気付いたのか、小さな鎧機兵は猛烈な勢いで森の奥へと駆け出してしまった。
「えっ、ちょ、ちょっと待って!」
コウタは慌てて後を追った。
すると、しばらくして今度は大きな館が目の前に現れた。
四階建のとても豪華そうな館だ。その玄関であるドアの前には先程の小さな鎧機兵の姿があり、丁度、館の中へと入っていく所だった。
バタンと閉まるドア。コウタは徐々に走る速度を緩め、館の前で立ち止まった。
そして館全体を仰ぎ見る。
「……ここってアシュレイ家の別館なのかな?」
コウタは首を傾げたが、考えても仕方がない。
少しワクワクしながら館に近付き、ドアの取っ手に触れてみる。
どうやら鍵は開いているようだ。
折角ここまで来たのだ。コウタは館の中に入ってみることにした。
「……お邪魔します」
そう言って、そおっとドアを開けて室内に入るコウタ。
入口であるホールは少し薄暗かった。
まるでお化け屋敷を思わせる光景に、コウタは少しドキドキする。
(もしかして、さっきの鎧機兵ってお化けだったりして)
そんな考えがよぎるが、それはそれで楽しそうだった。
「……ははっ」
コウタは笑った。
こんな風にワクワクするのは実に久しぶりのことだった。
故郷を失い絶望しつつも、兄達が生きているかもしれないという事実に希望を抱き、生きる意志を持てたとはいえ、やはり心は沈んでいる。
少年らしいこんな気持ちを抱けたのは、村があった頃以来だった。
ともあれ、コウタは好奇心のおもむくまま屋敷内を探検した。
廊下に並ぶ部屋を次から次へと覗き込み、先程のお化け鎧機兵の姿を探す。が、中々見つからない。
と、そうこうしている内に、
「……あ、この部屋、少し違うや」
ひと際大きな扉の前に辿り着いた。
扉の少し上には、ネームプレートが設置されている。
読んでみると『図書室』と記されてあった。
「へえ~、ここって図書室なのか」
これほど大きな屋敷。恐らく蔵書も相当なものに違いない。
興味津々にコウタはドアを開けた。
そして室内の光景を前にして、思わず目を丸くする。
「う、うわあ……」
そこは、まるで本の砦のようだった。
講堂を思わせる円筒状の広い空間。そして壁を埋め尽くす天井まで届く書棚。だが、それでも足りなかったのか、床にまで本を重ねた塔が林立している。
所々には梯子もあり、書物特有のインクの匂いが部屋中に充満していた。
コウタは感嘆しつつ室内を歩き始める。と、
「――
「……えっ?」
不意に頭上から声をかけられ、唖然とした。
慌てて上を見ると、そこには一人の少女がいた。
梯子に足をかけた状態で書棚の最上段にいる、白いワンピースを着た女の子だ。
年齢は七、八歳ほどだろうか。
彼女はコウタの方には視線を向けず、分厚い書物を読んでいた。
思わず見惚れてしまうぐらい美しい少女なのだが、コウタの目は別のモノに釘付けになっていた。なにしろ、ここからだと真っ先に目に入るのは彼女の純白の――。
「う、うわわっ!?」
突然、顔を真っ赤にして声を上げたコウタに、少女はギョッとした。
本を読む手を止め、自分の下方を見やる。
「えっ? え!? あ、あなたは誰ですか!?」
少女は大きく目を見開いてそう叫んだ。
が、その時よほど動揺したのか、バランスを崩して梯子を踏み外してしまう。
ガクンッと少女の小柄な体がグラついた。
「――いッ!? あ、危ない!」
そして落下してくる少女。突然のことにコウタは焦った。
しかし、毎日欠かさず素振りをしていたことが幸いだったのか。
コウタは少女を両腕で抱きとめることが出来た。
「よ、良かったあ……」
と、安堵の息をこぼしつつコウタは腕の中の少女に目をやり――息を呑んだ。
そして唖然とした表情で目を見開く。
(う、うわあ……。なんて可愛い子なんだ……)
紫銀色の髪に、金色に輝く瞳。
その顔立ちも美しく、猫のような耳も愛らしい。
思わずコウタは硬直してしまった。
しかし、少女の方は怯えたような眼差しを浮かべて――。
「な、何なのですか、あなたは……。い、いやあ! わ、私に触れないで! お父さま! 零号! 助けて零号!」
バタバタと腕の中で暴れる少女に、コウタは動揺した。
「え、えっと少し落ち着いて!? 今降ろすから! それに零号って――」
と、少女を一旦降ろして、落ちつかせようとした時だった。
「……オイ。メルサマカラ離レロ。ゲスヤロウ」
「――えっ?」
いきなり足元から聞こえて来た声に、コウタはギョッとする。
見ると、そこにはずっと追いかけていたあのお化け鎧機兵がいた。
ヘルムから覗く円らな瞳は赤く輝き、少し怒っているようだ。
「えっ? ええっ!?」
コウタは目を瞬かせた。
「も、もしかして今、君がしゃべったの!?」
と、自分でも正気を疑う内容を口にしたら、
「……オマエヲ葬ル」
小さな鎧機兵は、とんでもない台詞を返してきた。
そして、その小さな手でコウタの両足首をむんずと掴み、
「へっ? な、何を――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
断末魔の如き絶叫が響いた。コウタの両足を掴んだ鎧機兵――後で知ったのだが彼が『零号』らしい――が、問答無用でバック走を始めたのだ。
当然、足を掴まれたままのコウタは後ろに倒され、ガリガリと引きずられる。
そして信じられないほどの早さで走る鎧機兵は、そのまま館の廊下を走り抜けてホールまで辿り着くと、ドアからコウタを放り出したのだ。
コウタは背中の痛みを堪え、館の庭先でただ呆然とするだけだった。
これが、コウタとメルティアの初めての出会いだった。
その後、メルティアの父であるアベルから彼女の話を聞いたコウタは、メルティアのことが無性に気になり始め、翌日から毎日この館に通うようになった。
最初は門前払いだったが、時にはケーキなども持参して根気よく通い、どうにか零号も味方につけてメルティアと面会できるようになった。
当時、かなりの人間不信であったメルティアも、少年の純粋な好意に少しずつだが心を開いていったのだ。
そして二人は館内限定ではあるが、よく遊ぶようになった。
この頃のコウタは、本当に幸せだった。
無論、クライン村のことは決して忘れてなどいない。
何度も何度も、あの『炎の日』を夢で見てうなされる。
けれど、メルティアと一緒にいる時だけは――。
彼女がほんの少し笑ってくれるだけで、凄く嬉しかった。
メルティアの笑顔を見ると、心がとても安らいだ。
――そう。コウタにとって彼女は初めての……。
「メル! 今日は何して遊ぼうか!」
そう言って、コウタが手を差し伸べ、メルティアがそっと取る。
こうして二人の日常は続いたのだった。
ずっと。いつまでも――。
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