第12話 夏期研修③

 リンリン、と鳴く虫の声。

 とある深い森の奥。ひっそりと佇む建造物にて。

 その男は、無言のまま部屋にいた。

 革張りの椅子の背もたれに寄りかかり、瞳を閉じている。

 歳の頃は三十代後半。右側の額に大きな裂傷を持つ頬のこけた人物。

 全身を黒いスーツで包んだ、まるで研ぎすぎた刃を思わせる黒髪の男だ。


「……十二年か」


 不意に男は声をこぼした。

 それから瞼を上げ、黒い瞳で部屋の様子を見渡した。

 ここは、彼の執務室。

 かつては騒がしかったこの部屋も、今やその面影もない。

 空になった本棚や、何も置かれていない執務机。

 来客用のソファーなども、すでに撤去されている。何とも寂しい景観だ。


「……吾輩の初めての城だったのだが仕方あるまい。これもまた外道の宿業か」


 男は小さく嘆息して、より深く背もたれに寄りかかった。

 その時、部屋のドアがノックされた。


「ドアは開いている。入れ」


 男は淡々とそう告げた。

 すると、外から「失礼します」と声がかかり、ドアが開いた。

 入室して来たのは、男同様に黒い服を着た人物だった。

 相違点を挙げれば黒い丸眼鏡をかけていることぐらいか。


「ホオヅキ支部長」


 黒眼鏡の男は部屋に入るなり敬礼した。


「最後の運送部隊の準備が整いました。いつでも出立できます」


「……そうか」


 報告を受け、その男――ラゴウ=ホオヅキは目を細めた。


「ならば、いよいよ吾輩の城ともお別れか」


 そう呟き、ラゴウはおもむろに立ち上がった。

 部下である男は、ラゴウの心情を察するように視線を伏せた。


「申し訳ありません支部長。我らが不甲斐ないばかりに」


 今回、組織が所有する《商品》の管理を行うこの施設――第6支部を廃棄せざる得ない状況に陥ったのは、間違いなく自分達の失態だ。

 経験の浅い新人が迂闊な行動をしたため、この場所を突き止められたのである。


「ふん、何を申すか」


 しかし、ラゴウは不敵な笑みで部下の肩に手を置いた。


「部下の失態は上司の失態よ。すべては皇国のあの女を――《天元星主てんげんせいしゅ》を侮っていた吾輩の驕りよ。ヌシらが悔やむことではない」


「……ホオヅキ支部長」


「ともあれ、奴らグレイシア皇国騎士団がここを襲撃してくる前に、この第6支部は放棄するぞ。爆薬も仕掛け終えておるな」


「はい。時限式のものを」


 そう答える部下に、ラゴウは満足げに頷く。


「うむ。では我らも撤退しよう。急ぐぞ」


「――はッ!」


 そして二人は執務室を出た。

 次いで誰もいない長い廊下をコツコツと歩く。と、


「ホオヅキ支部長。撤退ルートはどう致しましょうか。他の部隊が使ったルートはすでに潰されていると思われます。最後に運送する《商品》の数は十八。いざとなれば、強行突破も可能ですが……」


「……ふむ」


 指示を窺う部下に、ラゴウは歩きながらあごに手をやった。


「恐らく皇国からは《七星》が出てくるであろうな」


 セラ大陸有数の大国、グレイシア皇国が誇る最強の七戦士。

 それが《七星》。

 ひとり一人が一軍にも匹敵する化け物どもだ。

 とは言え、たとえ《七星》が相手でも、ラゴウとて組織においては最強の一角。

 三人の本部長と、六人の支部長の九名で構成される最高幹部の一人であり、偉大なる主君より《妖星》の称号を賜りし者だ。

 正面から奴らと対峙しても、負けるつもりなど毛頭ない。

 だが、負けずとも、戦えばただでは済まないとも自覚している。


「……奴らと事を構えるのは避けたい。できれば我が君主にご報告したいのだが仕方あるまい。一旦皇国を出るぞ。エリーズ国のサザンを経由して王都パドロに向かう。そこで第5支部長殿と連絡を取り、《商品》を一度受け渡す。その方針で行くぞ」


 ラゴウは舌打ちしつつも、そう決断した。

 それに対し、部下は「了解しました」と頷く。

 そして二人はさらに早足となり、幾つかの角を曲がり、階段を下りて、建物――第6支部から出た。周囲には深い森。それと数台の馬車が止まっていた。

 まるで牢屋をそのまま乗せたようなそれらの馬車には、いつでも出立できるように御者がすでに待機している。


「ホオヅキ支部長。それでは」


「うむ」


 それらを見やり、ラゴウは指示を下す。


「――では、これよりサザンへ向かおうぞ」



       ◆



 エリーズ国に所属する都市の一つであるサザン。

 王都パドロの隣町ではあるのだが、むしろ隣国であるグレイシア皇国に近い位置にある人口二十万ほどの都市である。

 その立地条件のため、皇国から来る者は必ず立ち寄るエリーズ国の関所のような役割を持つ街だ。従って人の流れも激しく活気に満ちた街でもある。


「だからこそ、サザンの屯所にいる騎士は優秀なんだって。研修地に使われるのも、彼らの優秀さを見習えって意図があるそうだよ」


 そのサザンに向かう街道にて。

 幌つき馬車の中で揺られながら、コウタはメルティアにそう講釈していた。


『……そうだったのですか。サザンは名前ぐらいしか知りませんでした』


 と、サックの上に腰を降ろした甲冑騎士――メルティアがそう返す。

 彼女の鎧は重装甲のため、正座や胡坐などは出来ない。座るにはどうしても何かに腰を下ろすしかないのだ。

 そんなメルティアの隣では、足を横にして座るリーゼがいた。


「わたくしもサザンには行ったことはありませんので、どのような街なのか、実が少し楽しみですのよ」


「まあ、そうだよな。オレっち達の歳でパドロから出る連中は救ねえだろうし」


 と、御者台に座り、手綱を握るジェイクも会話に加わった。

 エリーズ国は百を超える町村を擁するのだが、都市間同士の距離はかなり離れていて、移動するには、近くても二日はかかる場所ばかりだ。

 行商や物資の運搬ならいざ知らず、一泊以上することが前提の面倒な移動を、わざわざしたいと思うモノ好きは少なかった。

 ましてや貴族の子弟である彼らならば尚更だった。


「けど、その街が見られるのも明日の午前中ぐらいかな」


 と、コウタが呟く。

 現在、馬車は王都パドロからサザンへ続く街道を進んでいる。

 馬車が二台ほどすれ違えるぐらいの幅の道であり、森林の一部を切り拓き、とりあえず整地しただけの舗装もされていない街道だ。

 この街道を真直ぐ進めばサザンに着くのだが、早馬でも一日では無理な距離だ。

 従って今日は、この道筋にあるコテージに泊まる予定だった。


「まあ、そうだな。けどよ、そのコテージも話によるとちょっとしたキャンプ場みたいな感じらしいぜ。オレっちはそっちの方も楽しみだな」


 と、御者台から視線を後ろに向け、ジェイクが告げる。

 その顔はとても嬉しそうだった。

 目的こそ研修だが、見方を変えれば友人だけの小旅行でもある。

 少なからず気分が高揚するのも仕方がないだろう。


「うん。確かにそうだね」


 コウタも笑顔で同意する。

 それから幌の外に顔を出し、太陽の位置を確認した。

 日の高さからして、今は午後三時半ぐらいだろうか。

 天気も良く崩れる心配もなさそうだ。


「コテージまであと二、三時間ってとこかな」


 コウタは幌の中に戻ると、御者台の方に声をかけた。


「ジェイク。ここらへんで御者を変わろうか?」


「おう。そうだな」


 ジェイクはすでに二時間近く御者をしている。いくら体力があっても、そろそろ休憩を取るべきだろう。コウタとジェイクは位置を入れ換えた。


『私も付き合います。コウタ』


 言って、メルティアも御者台に移動し、ドスンとコウタの隣に座った。


「うん、じゃあ行こうか」


 そうしてコウタは手綱を取り、馬車を走らせる。

 森に覆われた広い街道は、果てしなく続く。

 途中で何度か別の馬車ともすれ違った。相手の御者はメルティアの鎧姿を見るたびにギョッとするが、とりあえず挨拶をかわして馬車は進んだ。

 そして、二時間半ほど経ち……。


「あっ、ジェイク! リーゼさん! コテージが見えて来たよ!」


「おっ、マジか!」「とうとう着きましたの?」


 幌の中でトランプをしていたジェイクとリーゼは、カードを放り出し、幌から身を乗り出した。コウタ達の肩越しに前を見やる。

 少し離れた街道沿いの一角。十数軒の木造のコテージが立ち並び、少し広い馬車用の停留所もある。まるで小さな集落のような光景がそこにあった。


「へえ~、マジでキャンプ場みてえだな。少しワクワクしてきたぞ」


 と、ジェイクが言う。

 リーゼも言葉にはしないが、少し高揚しているようだ。

 しかし、コウタの隣に座るメルティアだけは、


『……コウタ』


 少しだけ声のトーンが低い。


『何か騒がしい雰囲気です』


「……え?」


 言われ、コウタは目を凝らした。

 確かに意識してみると、コテージの前に人が集まっているようだ。


「これは……何かあったのかしら?」


 と、リーゼも眉根を寄せる。


「どうもキナ臭えな。コウタ。とりあえず停留所に行こうぜ」


「うん。分かったよ」


 そしてコウタは馬車を急がせ、停留所に着けた。

 それから、荷物はとりあえず幌の中に残したまま馬だけ固定し、四人は人が集まっている場所へと向かった。


「……こいつはやっぱ何かあったみてえだな」


 その光景を前にしてジェイクは顔つきを険しくした。

 そこはコテージの一つ。今その場には様々な格好の人間が十数人集まっていた。

 行商人のような者から、農夫のような者。普通の旅行者もいるようだ。

 彼らは揃ってガヤガヤと騒いでいる。

 もしかすると、今日このコテージを利用しようとしている人間がほぼ集まっているのかもしれない。中央には泣き崩れる女性の姿が見えた。

 やはり、ただ事ではない雰囲気だ。


「あの、どうかしたんですか?」


 ともあれ、コウタは近くにいた行商人風の男性に声をかけた。

 すると、その男性は振り向き、


「……ん? 君らは、もしかしてパドロの騎士学校の生徒かい?」


 コウタ達の制服からそう判断したらしい。

 行商人風の外見だけあって王都にある騎士学校のことを知っているようだ。

 ただ、メルティアに対してだけは流石にギョッとしていたが。


「はい。そうですが、これは一体何の騒ぎですの? 何かトラブルでも?」


 と、リーゼが凛とした態度で尋ねた。

 それに対し、行商人らしき男性は「ふむ」とあごに手をやり、


「……そうだな。君らにも相談しておこうか」


 そう呟くと、真剣な眼差しでこう告げた。


「どうやら、森の中に子供達が迷い込んでしまったそうなんだ」


「……え?」


 コウタが目を見開く。メルティアも甲冑の中で眉をひそめた。


「おいおい、それマジかよ。かなりヤベエぞ。もうじき日が暮れちまう」


 そう言って、ジェイクは空を仰ぎ、思わず呻く。

 時刻はすでに夕方。まだ太陽は見えるが一時間もしない内に夜が来る。

 獣や魔獣が最も活発になる時間帯だ。

 そもそも森の中は、彼ら獣達の領域である。


「……確かにこれはまずいな」


 コウタは表情を険しくしてグッと拳を固めた。

 そして、彼らは互いの顔を見合わせる。

 どうやら研修の前に、大きなひと波乱ありそうだった。

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