【ビキニ女王】

ブレイクチェリー女王国の職業の中で、最もくだらないのは歴史の先生である。

彼女らの口から出るのは、一の事実と九のオブラート。

言い換えの粋を極める教科書は、ハード凌辱な史実をSMに抑え込み、子どもたちの性癖進路が歪まないよう配慮している。


だが、全年齢向けに加工された歴史に価値はあるのか?

歴史の先生たちは悶々とした葛藤を抱き、ソフトプレイに甘んじる己を「くだらない」と自嘲するのだ。



と、そんな噂が外国人の僕の耳に入るくらい『ブレイクチェリー』は伊達じゃない。

かの国は好戦的であり、歴代の女王様たちはチェリーを奪うため、あらゆる破壊ブレイクを執行してきた。


中でも特筆、今代ほど破壊が似合う女王様は居ないと思う。


今代の女王様は二つの破壊を行った。

一つは夫婦観の破壊だ。


男女比1:30の人間は、多数の女性が一人の男性を囲うのが一般的。

既婚者は仲良く男性をシェアしましょう、未婚者は男性をもぎ獲るために己を高め善行を積みましょう。

それが現代社会の大前提。

男性を独り占めする欲張りな権力者も居るには居るけど、あくまで例外だ。



で、女王様はと言うと――複数の男性に自身を囲わせている。


……ちょっと意味が分からない。

どんな性欲旺盛な女性でも、結婚すれば一人の男性だけを愛し、二度と離すものかと執着し、三日会わざれば死人のように憔悴する。これが健全な既婚者のメンタルなのに、女王様は違った。


男は美味しい。もっと色々な味を楽しみたい。だったら何人でも夫にすれば万事解決!

神をも恐れぬ行為だ。いや、神が怒らなくても国民が許さない。

実際『女王様が二人目の夫を発表!? ご満悦の表情が語るサンドイッチプレイの実態は!?』と速報が流れるや、女王様国は荒れに荒れた。


暴力上等の大規模デモ、軍部のクーデター、側近による暗殺未遂。


一通りの亡国コースを体験してなお、女王様は健在だ。

生き残った秘訣は女王様個人の戦闘力に依るものか、女王様側に付いた人が優秀だったのか、はたまた天運か。


何にせよ夫婦観を破壊した挙句、自国を破壊寸前まで追い込むなんて普通じゃない、狂っている。

ブレチェ国の女王様は『世界有数』のヤバい人だ――当時の僕はそう思った。

でも、今なら違う評価を下すだろう。

二つ目の破壊を知る今なら、『世界有数』なんて弱い言葉は使わないから。







「エロい仕草が観たい! そのエロスをもっと見せつけるのだ!!」


『煩能』の幕が下りた直後。

玉座で前屈みになった女王様が、恥も外聞もない欲望を飛ばしてきた。

荒い息とギラギラの目つきは、劇中に出てくる鬼と化した妹のようだ。


でも、男役冥利に尽きるリアクションは演技の滑りを良くしてくれる。


「え~~っ! エロい仕草ってなぁに? よく分かんなぁい」


僕は速やかに男(に似た架空生物)の仮面を被り直した。アンコールは想定内、しっかり対応してみせるとも。


「ほおぉぉ! いきり立つわぁ、たまらぬ股間で誘うではないか、えづくぞ!」


「きゃ~~! 女王様ったら獣ぉぉ」


「獣だとぉ? 我は狩人だ、人心を惑わす悪の獣は狩る、それが我の主義だ!」


女王様が立ち上がった。

引き締まった巨体は、タクマ君が所属する南無瀬組の長を思い起こさせる。と言っても静かな凄みで圧を掛けてくる組長さんとは対照的で、女王様はオープンな凄みを放つ。

だって服装からして水着なのだ、ビキニなのだ、しかも面より線が主体のビキニ、ムッチムチでムッキムキの女王の肉体美が全開だ。


プライベートな空間とはいえオープン過ぎない? しかも全身がくまなくこんがり小麦色。

日焼けしていない部分が見当たらない。

という事は普段はさらに裸族オープンってことじゃ……まあいいや。

僕の辞書は『思考放棄』のページに折り目が付いている。引用する機会が多いからね、仕方ないね。




「くっははっは! 可愛がってやるぞ、ほぉれ!」


「いやぁぁ、こわぁあい!」


弛みのない身体を押し出し、女王様が追って来る。マジで怖い。

興奮した観客との鬼ごっこは何度も経験してきたけど、今回の鬼は強敵だ。救いなのは、戯れのためか向こうが本気を出していない事か。


男装した女を、高笑いしながら追うビキニ女。

端から見れば滑稽な光景なんだろうな……まあ、ここには僕と女王様と美里さんの三人しかいない。

そして、美里さんだってプロの役者だ。ほら、僕らの追いかけっこを温かい目で見守ってくれている。内心は知らないけど。


「さあ捕まえたぞぉ!」


あっ、一瞬でも美里さんに気を逸らしたのがまずかった。女王様に腕を掴まれてしまった。


「うわぁん、捕まっちゃったぁ~」


どうしよう、大人しくするか? それとも振り解いてもう少し鬼ごっこしようか?


「…………」


「………………あれ、女王様?」


なぜか女王様は真顔になって固まり、不自然な沈黙が流れた後、こう言った。


「あーーうむ、良き演目だった。さすがは音に聞こえし男役だ。よければ我の夫たちにそなたの仕草をレクチャーしてくれんか」





★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★





「だぁぁ……しんどぉぉ」


控室に戻った僕はへたり込んだ。

言葉遣い? 振る舞い? どうでもいいよ、身体はクタクタで心はカサカサだよ。


「残業お疲れさま、ジュンヌちゃん。はい、これ疲労回復に効く飲み物」


「ああぁぁ、ありがとうございますぅ」


先にお役目を終えていた美里さんからマグカップを受け取る。柑橘系の匂いがする湯気を「ふ~ふ~」と冷まして、グイッといく。


「おいしい……です」


爽やかな味が淀んでいた心を癒してくれる。


「見るからに……大変だったみたいね。男性に誘惑の方法を教えるって」


「あんなの『マサオ様に説法』ですよ! 男役の僕が、本物の男を偉そうに指導する? 何の罰ゲームですかコレェェェ」


女王様のアンコールは、僕の心を丹念にヤスリ掛けするものだった。

女王様曰く『愛の巣』というバカみたいに巨大なベッドのある部屋で、ダンディなおじさまからギリギリ合法の少年、ヒョロイ病弱系から胸筋見せつけ型まで様々なタイプの男性を相手に。


「顎を砕くように、そうそうアッパーです、視線はアッパー気味に撃ってください。だからって乾いた目では効果が望めませんので、先に涙腺へ訴えかけて瞳を潤ませてください。難しい場合は目薬を代用しましょう、バレなきゃいいんです。じゃあ、もう一度僕がお手本を見せますからね、まずは相手より目線を落として抉り込む感じで――」


もうね、自棄だよ。湿っぽい仕草を熱心にレクチャーする一方、体内は急速に乾いていく……死を感じたね、少なくとも死の輪郭は理解しちゃった、あははは。


「ジュンヌちゃん! 何も考えないで! 今はゆっくり休みましょ! 眠れないならあたくしに任せて! 延髄への一撃は祈里むすめ相手で慣れているの」


美里さんが僕の肩を揺すりながら、さりげなく首の後ろを触ってくる。延髄か、延髄への最適なヒットポイントを探っているのか。や、やめろぉぉぉ!


「と、ともかく」


後ずさりして美里さんから距離を取った。僕は一般人なんだ、祈里さんみたいな『最期の一線は何だかんだ越えない系』と同列にされてはたまらない。普通にこの世とあの世の一線を越えちゃう。


「男性への誘惑レクチャーもトラウマ級ですけど、女王様に僕の演技が通用しなかったのもショックでした」


話題を若干逸らして、手刀の構えになっている美里さんの気も逸らす。

もっとも振った話題自体は嘘じゃない。女王様のリアクションは僕を大いに傷つけた。

あの方は僕の腕を掴んだ途端、瞬間冷却して淑女モードになりやがった。目や耳は誤魔化せても、重ねた肌から僕の『女』が伝わってしまったんだ。


「女王様のあの目……『こいつ女じゃん、興奮して損した。あほくさ』って言ってました。女のクセに男のフリをする変態って目で見られました。所詮、僕はその程度なんですよ……ぅぅぅ」


「陛下には何人もの夫が居て、未だにお盛んらしいわ。ジュンヌちゃんも見たでしょ、あの臨戦態勢ビキニ。百戦錬磨の陛下に接触させるまで誘惑したのよ。むしろ誇れることでしょ?」


「みじんも誇れませんよぉぉぁぁぁ……この業界は1か0なんですぅぅ……相手が稀代の色欲魔だろうと関係ありません、淑女された時点で負けなんですよぉぉぉ」


心機一転、海外に進出した直後で、この敗北だ。自分の魅力の無さに絶望しそうだ。


「しくしく、素晴らしい。敗因をお相手の所為にせず、素直に負けを認める崇高な精神、感服でございます」


美里さんの後ろに控えていたメイドさんがハンカチで目元を拭ぐう。

嫌な予感がする。

女王様の『んほぉ~』をゲットするべく僕に盗撮・盗聴器を仕掛けようとしたメイドさん。そんな彼女に感涙という機能が付いているのだろうか、それに手に持っているビラは……まさか。


「ところでジュンヌ様。こちらのイベントはお済みでしょうか?」


僕の前で腰を落としたメイドさんがビラを突きつけてくる。そこにはこう書かれていた――『タクマといっしょう』のプレイ告知について、と。


『タクマといっしょう』

タクマ君を題材にした人気沸騰、理性蒸発の恐るべきVRゲームだ。その特殊なプレイ環境から『タクチン接種』とも呼ばれている。

プレイヤーはプロデューサーかダンゴになって、タクマ君をサポートするらしい。没入感と中毒性から個人所有が認められず、プレイ後は非人道なリハビリが義務付けられているとか。


プレイ権は国籍が不知火群島国かつファンクラブ会員である事。プレイする場所と日時が勝手に設定されてしまうあたり、膨大なプレイヤーの予定を微調整出来るわけないだろっ! という運営側の慟哭が聞こえる。


「あらあら何をお馬鹿な事を訊いているのかしら、うちの駄メイドは。ジュンヌちゃんはしばらく帰国の予定が無いのよ、当然タクチン接種は済ませているでしょ」


「接種は受けていません」


「はあああああ!? うっそでしょ!? タクチン接種をスルー? そそその歳でマゾ界のてっ辺狙うのあああなななたた!?」


美里さんの口調と顔面が崩壊した。


「なにも狙っていません。接種は来月に設定されていますけど、辞退しようかなと」


「どこ星人よ!? し、信じ難い思考回路だわ!? タクチンしないなんて一生後悔するわよ!」


「その一生が終わるかもしれないんです。『深愛なるあなたへ』の撮影でタクマ君から殺意を向けられてから、クセになっているんです、タクマ君関連で心臓を止めるのが」


「っ…………若い身空で痛ましい。ジュンヌちゃんをこんな身体にした祈里が恨めしいわ、あのヘタレが持つファッション心肺停止の能力をジュンヌちゃんに移植できればどんなに良いか」


心の底からお断りします。


「ジュンヌ様の境遇は察するに余りあります。ですが、男役としてステップアップを望むのでしたら、男であるタクマ様ほどの教材はございません。先日、休暇を頂いて私もタクチン接種を受けに帰国しました。同じメイドたる愚娘が私に変装して二回目の接種を画策していたので〆ましたがそれはそれとして、『タクマといっしょう』はタクマ様を間近で観察できる絶頂の機会です。作り物のタクマ様でありながら凄まじい色気が迸っておりました。それをもしジュンヌ様も会得できましたら、世界最高の男役は約束されたも同然でしょう。命を賭ける価値はあるかと存じます」


「うっ」


メイドさんはえげつない性格の持ち主だ。人を追い詰めるには正論が一番ってよく知っている。


「なるほどね、あたくしも接種したけど、役者として最高の学びとなった気がするわ……後半はラリッてあまり覚えてないけど(ボソッ。あとはシチュがプロデューサーとダンゴしか選べない上に、タクマ君との関係性がこちら上位になっていたのが不満点ね。タクマ君の良さって女だけの芸能界に鳴り物入りで参入した強気なところにあると思うのよ。つまり攻め。彼の真骨頂を表現するにはオラオラで――」


美里さんが自分の世界に入ったので、僕も自分の世界でメイドさんの助言を考察する。


僕はタクマ君から逃げるように海外進出した、その時点で男役としての成長を放棄していたのだろうか。

女王様をギャフンと言わせるにはタクマ君の色気から学ぶ、か。

どうなんだろう? 学んだり真似したり出来るの、タクマ君の色気って?

人の身には過ぎた禁忌にしか思えないんだけどそれは……





「お取込み中、失礼します」


控室入口からの声で、僕は思考を中断した。


「お、王女殿下!」


イルマ王女だ、いつの間に!? 

ドアが開く音はしなかったのに……って、しまった。そもそも控室のドアは僕が閉め忘れて、開けっ放しになっていた。

それに使用人服の効果か、イルマ王女の弱弱しいカリスマの為せる技か。声を掛けられるまで存在にまったく気付けなかった。

あ、あわわわわわ、どこから聞かれていたんだろう? 女王様への不平不満とか結構ぶちまけていなかったか、僕ぅぅぅ!?


「ジュンヌ様」


「は、はいぃ!」

へたり込んでいた身体を慌てて正す。


「お話があります」


ひぃぃぃ。

スタスタとイルマ王女が近付いてくる。やっぱり聞かれていた? 不敬罪で捕まる? 前髪に隠れて王女の表情も心も読めない。


「先ほどは――」


「ち、違うんです。先ほどのは言葉の綾と申しますか、その」


「先ほどは――女王の要求にお応えいただき、誠にありがとうございました」


「えっ?」


呆ける僕に向かって、恭しくイルマ王女が頭を下げた。


「ジュンヌ様のレクチャーのおかげで夜の性活に艶が出ると、女王は大変お喜びです。城の者を代表して心より御礼申し上げます」


「えっ、あ、あああ、お役に立てて光栄です」


これってセーフ? 僕の不平不満は聞かれていなかった? 


「最近の女王はタクチン接種へ大いに関心を寄せておりました。しかし、接種は不知火群島国の人々のみ対象……そのため良からぬ計画を練っておりましたが、ジュンヌ様のおかげで色欲魔の興味を逸らす事が出来たのです。拙を始め、多くの者がジュンヌ様に感謝しております」


やっぱり聞かれているぅぅ!? ってサラリとバラしちゃいけない内容が含まれてませんかぁぁ!?


「やったわね! ジュンヌちゃんはブレイクチェリー女王国と不知火群島国の戦争を未然に防いだの。大げさじゃないわ、悲観的でもない、ガチ目の偉業よ!」


「あっ……せんそう……はっ…………?」


変ですよ美里さん! 急に物騒なことになって訳わかんないですよ!

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