そのための右手、あと左手
由良様の私室に入ると、ご本人は畳の上に横たわりお休みになられているようだった。
ようだった、と断定しないのは由良様のお姿がハッキリと見えないからだ。
「この仕切りは……?」
部屋の中央に
ただ衝立の布は薄いようで、ぼんやりと布表面に浮かび上がってくるのだ――部屋の奥で横たわる由良様らしきシルエットが。
「お察しください」
「使用人さん?」
「由良様は淑女にあるまじき
ひでぇ。察してと言いながらしっかり説明しているじゃないか。
「でしたら、せめて着替えさせれば……」
「ご冗談を。今の由良様はVRゲームに集中しているのです。お身体に触ろうものならプレイを邪魔したとみなされ無意識に消されます。老い先短い私ですが、本日を命日として受け入れられない程度には生への執着があります」
今の由良様なら意識せずとも人をコロコロできると……うむ、容易に想像出来る。寝相の悪い象がアリを潰すようなものだ。
「じゃあ俺が由良様を起こすのも不可能ですよね?」
「いえいえ、大丈夫です。タクマさんでしたら由良様的にウェルカム。不用意に近付いたところを食虫植物のごとく捕まえて、身体の穴と言う穴から精分を吸収するに違いありません」
今の説明のどこに大丈夫がありました?
「あっ……んぅ……くふぅ……」
「拓馬さんをからかうのも大概にしてください! ダンゴたる者、敬老精神より敬男精神! お年寄りだろうと、ナマ言ってたらぶっ飛ばしますよ!」
「凛子ちゃんに同意。拓馬氏は仕事帰りでお疲れモード。早々に状況説明をしないのならば、この話は無かったことに」
「……失礼しました。ご説明いたします」
ダンゴたちの威圧を喰らい、ようやく使用人さんは愉悦より忠義を優先し始めた。
「いいっ……はぅん…………」
「由良様が『タクマといっしょう』の世界に閉じ込められたのには深い理由があるのです」
「ほーん、それって何なん?」
「世間へのアピールでございます」
アピール?
「食品が風評被害を受けた際、責任部署の代表者が問題の食品を試食して安全性をアピールする事があります。タクマさんはご存知でしょうか?」
「……ま、まあそういう事もありますね」
「そういう感じでございます」
深い理由というには凄くザックリ言うな。
「突然、由良様から直接電話が来たのです」
使用人さんの説明を引き継いだのは『タクマといっしょう』開発責任者の大島さんだった。未だ焦点の合わない目で畳を眺めている、衝立の向こうの由良様を見ないようにしているのだろうか。
「由良様はお優しい人でした。クオリティと致死性を上げ過ぎた我々開発スタッフを心配し、労い、発売延期に伴う追加コストをポケットマネーから補填するとまでおっしゃってくださったのです……発売延期を告知する前から、なぜ由良様が我が社の内情に詳しいのかという疑問を置いておくとして嬉しい提案でした」
疑問を置いたか、やるな大島さん。本能的に長寿タイプだ。
「融資の提案を受け入れたのが間違いだったのでしょうか。由良様は『タクマといっしょう』に口を出すようになりました。と言っても、ズケズケと無理難題を押し付けたりは一切ありません。それより厄介です。『クオリティダウンと申しますが、具体的な解像度は? 画素密度はどの程度まで抑えれば健康被害を出さないように出来るのでしょう。根拠となるデータはございますか?』とか『フレームレートをお下げになられる? 果たして効果はあるのでしょうか。動きがカクカクしたところで拓馬様の御身は常に画面を占有しているのです。再考の余地があるやもしれません』とか、卒論発表で素人質問で恐縮ですがと言いながらこちらの痛いところを容赦なく突く教授ですか由良様は!? たまったもんじゃないですよ!」
だんだん大島さんがヒートアップしてきた。不知火群島国に不敬罪はないが、だいたいの領主は戦闘力が高いため表立って反抗的態度を取る人は少ない。領主の愚痴を領主の住まいでブチまけるほど大島さんの鬱憤は溜まっていたようだ。
「そこっ……ええそこを………っん……」
「極めつけが! 自分からテストプレイヤーに志願したのです! 『タクマといっしょう』の安全性を身をもって実証する、それこそが不知火群島国を担う者の責務だとおっしゃって!」
「凛子ちゃん、どう読む? 私の考えでは『責務2:我欲8』」
「そんなの『責務0:我欲10』に決まっているでしょ! ここぞって時の情欲の熱さと、面の皮の厚さは由良さんの専売特許なんだから」
俺も音無さんの読みに一票だ。肉食女性は心に獣を飼っている、その獣に理性を乗っ取られて暴走してしまうのが常だ。
しかし、由良様は俺と会うまで(表面的に)暴走していなかった。由良様は獣を飼いならしているのだ。
獣性を上回る理性。素晴らしい、人間的だ、と思う事なかれ。だってそうだろ、『理性が性欲と無縁である』なんて道理は無いのだから。
「私は説得しました。立場を考えてください、由良様は領主で実質国主なんですよ。そんな御方を私たちのゲームが意識不明の重体にしてしまったら、不知火群島国にとって大きなマイナスじゃないですかと。けれど、由良様の覚悟は固く……ああ、私はやってしまった! 国賊になってしまった! なんとお詫びすればいいんだ」
大島さんがゲッソリと疲弊していた理由は分かった。そうだよな、国家運営の要をノックアウトしたらエライこっちゃだ。
でも、考え過ぎですよ大島さん。
俺もちょくちょく国賊やっちゃうけど何だかんだ暮らしていける。アイドルになって気付いたんだけど、世界って思ったよりも頑丈なんだなって。
「由良様はテストプレイの末にあんな感じになったんやな」
「ええ。私はクオリティダウンした『タクマといっしょう』を持ってここを訪れました。結果は……見ての……いいえ、聞いての通りです」
「……っ……くすっ……召しあがって……ふふ」
「いい加減耳障りですね、アレ。いっちょあたしが止めてきましょうか」
音無さんが握った拳を反対の手で包みポキポキ鳴らす。
「ま、まあまあ強硬手段は最後にしましょう。まずは穏便に」
音無さんの言う『アレ』には俺も参っていた。衝立の向こうから聞こえてくる由良様の喘ぎ声や卑猥な息遣い。
入室した時から気になって仕方ない。
普段の由良様の清廉な声質からは考えられないほどに絡みつく湿った声だ。すごくエロくてムラムラする……という事はなく。他人の自〇行為の声を大勢で聞くようで、ただただ居た堪れない気持ちになる。
「由良様をお救いする方法を考案するため、モニターをご用意しております」
使用人さんが部屋の隅に置かれた薄型テレビの前へ、みんなを先導した。
大きいな、65インチくらいありそうなテレビが台座の上に備えられている。本来、由良様の部屋には無かったものだ。
いったい何を観せるつもりなのか? 老齢の使用人さんが皺を一層深くして微笑んでいらっしゃる、絶対にロクなもんじゃない。
使用人さんがモニターのスイッチを入れた。
「「「「!!??」」」」
直後、俺以外の南無瀬組メンバーから言葉にならない驚きが発せられる。
画面に映るのは俺だった。3Dタクマだった。
「ま、まさかこの映像……由良様がプレイ中の『タクマといっしょう』ですか?」
「テストプレイヤーの視点は外部から確認出来るようにしています。もっとも救助のヒントになるかは望み薄ですが」
俺の質問に大島さんが答える。
「こ、これが3D拓馬氏……だとっ」
「解像度落としてこのクオリティ。ええやん、なんぼなん?」
「VRでやれば淫場感や達性感も
いかん、早速南無瀬組が興奮し出した。早く映像を切らないと、みんなまとめてSAOだ…………って、おや?
「モニターの視聴者まで意識不明にならないようタクマさんの音声は切っております。モニター自体も画素数の少ない低価品ですので致命性はないでしょう」
「ほっ、そうなんですね。ご配慮ありがとうございます」
ひとまず恒例行事の南無瀬組壊滅は避けられたか。
「ぐぎぎぎぎ」する組員さんらは放っておいて、ともかく由良様のゲームプレイを観察してみるか。
プレイ済みだから分かる。今、由良様は『プロデューサー』ルートを遊んでいらっしゃる。
場面はクライマックスのコンサートを前にして、ステージの下見だろうか。
3Dタクマがステージの広さを実感しようと、プロデューサーであるプレイヤーに背を向け歩いている――ん?
なぜか3Dタクマのお尻がズームアップされた。歩く拍子に引き締まった3Dタクマのお尻が僅かに揺れる。
「な、なんだこれ?」
「見て通り『ズーム機能』です。クオリティダウンばかりではユーザーに申し訳ないので追加しました。人間は何かを注視する際に瞳孔を収縮させます。その動きをヘッドギアに搭載した視覚認識システムが処理し、注目した場所をズームするわけです」
「と、いうことは今現在、由良様は俺の尻に夢中と……」
「想定された行動ですね。我が社にはお尻にうるさいスタッフが多くいますので、ジーンズ越しでもお尻の躍動が伝わるようグラフィックには力を入れています」
余計な機能を付けたり、フェチ部に妥協しなかったりと大島さんの会社はユーザーを生かしたいのかコロコロしたいのかハッキリしろ!
「……あ、そう言えば疑問だったんですけど、このゲームってコントローラーがありませんよね。今のズーム機能もわざわざ瞳孔を認識して対応しますし」
ゲーム中、選択肢をクリックするのも目で行う。数秒間一つの選択肢を注視することでクリック扱いとなる面倒なシステムなのだ。
「『タクマといっしょう』開発当初からコントローラーを採用するつもりはありませんでした。示し合わずともスタッフ全員の共通認識でした」
はっ? んな不便な……疑問に思う俺とは裏腹に。
「せやな」
「トーゼンですね!」
「自明の理」
画面に釘付けのまま、真矢さん、音無さん、椿さんがコントローラー不要論に同調する。まるで常識のように。
「……っはぁ……ひっ……おなさけをっ……あぐ!」
由良様の嬌声が激しくなった。
モニターを見ると、3Dタクマがキメ顔で口を動かしている。
ええと、たしかこのシーンでは、素晴らしいステージを用意してくれたプロデューサーに「あなたが居てこそのアイドル・タクマだな。いつも感謝してますよ……ほんと片時も忘れず」とかハチミツ漬けのセリフを吐いてたっけ。
音声がカットされていなかったら大惨事だ。特に本物のプロデューサーである真矢さんはVR無しでSAOしていたかもしれない。
なお、音声をバッチリ聴覚に収めた由良様は大変なことになっている。
衝立に貼られた布に由良様のシルエットが映っているんだが、エビ反りしたりブリッジしたりと軟体生物も夢じゃない悪夢な影絵を演出していてヤベェの一言。
また、プレイヤーの視点が、3Dタクマの顔と3Dジョニー部を交互に高速ガン見していて、由良様の大興奮っぷりが憐れなほどハッキリ見て取れる。
さらに視覚だけじゃ我慢出来ねぇ、と由良様の両手がご自身を
「コントローラーを付けなかったのは、まさか(二重の意味で)プレイの邪魔になるから……」
「至りましたか、正答に。ええ、そのための右手……あと、そのための左手……」
鬱憤を吐き出して多少メンタルが回復したのか、大島さんがドヤ顔で言う。
それはともかく事態は一向に解決していないし、由良様の人権がかつてないほどズタボロになっているのだが、さてどうしたものか。
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