衰退する国教

『上がる』


複数の意味を持つ言葉だが、その一つに『緊張した時に使われる表現、平静を保てない状態を指す』がある。


では、『上がる』のを防ぐにはどうすればいいだろうか?

深呼吸する? 気を紛らす? 『人』という字を手のひらに書いて呑む? 


どれも正解であり、どれも確実な効果が望めないと思う。


しかし今日、俺は完全な『上がる』の対処法を目にした。

それは実にシンプルであり、テンプル(こめかみ)を痛いほど刺激するものだった。


そうなのだ――『上がる』なら『押さえつけてしまえばいい』のだ。



「ああぁぁぁ!! マサオ様の教えの重みが!! 小生の浮ついた心を押さえつけてくれるのぉぅぅ!!」



床に仰向けで寝て、木彫りの男性像を胸の前で抱えるクルッポー。絶叫しながら赤ん坊のようにジタバタと動き回る様は壮絶にキツイ。

恐れ多くも他島の領主の執務室で、この凶行にして狂行……ロックにも程があるぞ。


っと、いかん。初対面の人を偏見の目で見てはいけない。大らかな気持ちで節穴になってみよう。

男性像を胸に押し当て恍惚とする姿も見方を変えれば……ほら、まるでラッコがお気に入りの石で戯れるようで微笑ましいじゃないか……あぁ……んん……悪い、やっぱ辛えわ。



モニター試験において、俺の歌にクルッポーが影響を受けなかったのも木彫りの像――彼女的には『マサオ像』のおかげらしい。

あの時の彼女は、一体のマサオ像を服の中に入れて体育座りをしていた。音声が録れていなかったため行動の真意は読めなかったが、マサオ様を内包することで精神の安定を保っていたのだろう。


「映像越しでも散々たるものだったが、間近で目撃すると私の正気度が下がりかねない。悪魔崇拝もかくや」


「こんなんを国教にしているなんて不知火群島国ってヤバヤバだよね。あたしにはレベル高過ぎぃ」


「い、いちおうマサオ教は健全な宗教で通っとる。クルッポーはんが特殊なだけで、他は普通やさかい」


ダンゴや真矢さんが失礼なことを口走っているけど、それ以上にクルッポーが礼儀をかなぐり捨てているからセーフ。



「敬虔で思いやりのある子だと思っていたのに……北大路の教育方針はどうなっているんだい……くっ、子どもの育て方でどうこう言える立場じゃないか、あたいは」


妙子さんはクルッポーから顔を背け、居心地が悪そうにしている。ここ、妙子さんの部屋なのに。




予告通りのジャスト1分、良い夢を見たようで。



「ふふぅぃぅ……各々おのおの方、お時間を頂きありがとうございました」


短いながら濃い儀式を終え、クルッポーはアヘアヘマサオ狂いから人間に戻った。



「では、改めましてクルッポーさん。ご依頼の説明をお願いします」


話とクルッポーが更にこじれるより早く、俺は本題へと舵取りをする。


「クルッポー……ぐふぅ、またそう呼んで、小生に一撃を加えてくる。マサオ様のご加護が無ければどうなっていたか」


いや、あなたが「クルッポーと呼んでいただきたい」とか言ったやん。なに手痛い攻撃を喰らった風に鳩尾みぞおちさすってんだ!

喉元まで高ぶるツッコミ欲をグッと抑えろ、抑えるんだ。さっさと会談を終わらせるためにも。


クルッポーは告げる。


「半月後に北大路でマサオ教の一大式典が開かれます。そこにタクマ殿を招待したい」


っ! 宗教の式典!?


「ちょい待ちぃ! 半月後? 冗談やない! 拓馬はんのスケジュールは向こう三ヵ月、体調に支障がないよう決めとる。クルッポーはんは若いけど組織運営に携わっとるんやろ。いきなり半月後に来てくれ、がどんだけ無理筋な依頼か分かるはずや」


アイドル・タクマのマネージャーとして真矢さんが非難がましく声を上げる。


「お怒りはごもっとも。小生としてもタクマ殿を呼ぶのは最後の手段、出来うる事なら取りたくありません。しかし、事態は小生らの想定を超えて切迫しているのです。そう……マサオ教の存亡に関わるほどまで」


マサオ教の――不知火群島国の国教の存亡っ!

顔を強張らせる俺を申し訳なさそうに見ながらクルッポーは話を続ける。


「昨今、『とある事情』によりマサオ教の信徒が減少の一途を辿り、一年前の六割程度まで落ち込んでいます。会報や定期的な儀礼で信徒の結束を説いていますが、効果があるとは言えません」


「一年前……もしかして、ぽえみが起こした事件のせいで?」


俺の質問に、クルッポーは複雑そうな視線を寄越しながら。


「彼女がキッカケではあります。高位のマサオ信徒が男性の盗撮を行っていた。一般信徒がマサオ教に絶望し、嫌気がさすのは無理からぬこと……ですが、多くの信徒がマサオ教から去ったのには別の理由が大きい、そう小生は思います」


別の理由か。マサオ教内でいったい何が……?

って、俺が頭を悩ませても仕方ないか。俺はマサオ教とはまったく無関係なんだから。


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」


ん? なんか場の空気がおかしいな?

ダンゴたちや真矢さん、妙子さんまで気まずそうな顔で押し黙っていらっしゃる。どうしたんだ、みんな?


「あ~ん~なんや~その~」真矢さんがたどたどしく言葉を繋げて。

「クルッポーはんたちの事情は何となく察したわ。拓馬はんを広告塔にして再興したい気持ちも理解できる。せやけど、マサオ様と拓馬はんを掛け合わせるのは、信徒はもちろん多くの女性にとって刺激が強過ぎる。社会の平穏のためにも拓馬はんを出さん方が」


「社会の平穏と言えば」


真矢さんの言葉を遮って、クルッポーはワザとらしいほど平坦なイントネーションで言った。


「マネージャー殿の前職は、弱者生活安全協会の副支部長だったと記憶している。間違いないでしょうか?」


「な、なんや急に。そうやね」


「貧困者、身体障碍者、男性など社会的弱者への衣食住と多岐に渡る支援。社会の平穏を守る素晴らしき活動だと、小生は感銘を受けずにはいられません……ところで、弱者生活安全協会にマサオ教が人・物・金をどの程度援助しているのか、元副支部長はご存知ですか?」


「へ、へぇ……お人形遊びが趣味の子どもかと思ったら言うやん、自分」


顔を引きつらせつつ、無理やり笑う真矢さん。笑顔という行為は本来攻撃的なものだってハッキリ分かるぜ(ガクブル)。


「ちょっと待ったぁぁ!!」

「ここからは私たちの手番」


音無さんと椿さんが鳴り物入りで前に出た。


「社会の平穏とか弱者支援とか小難しいことで攻めても無駄無駄ァ!」

「ダンゴにとって護衛男性以外は全て些事。世界が滅亡しようが漂白しようが、タクマ氏を護るのみ」

「マサオ教とか厄ネタの宝庫です。タクマさんを連れて行くわけにはいきませんって!」

「お帰りになって、どうぞ」


快活にまくし立て、牽制するダンゴたち。対してクルッポーは気分を悪くすることもなく。


「さすがはタクマ殿の身辺護衛官、清々しく明瞭な啖呵。さぞ、訓練校時代から優秀だったのでしょう」


「トーゼンです! いま思えば、成績優良者として同期の憧れだったような気がしてきました」


「うむ、就活に苦しんだ過去があった気もするが別にそんな事はなかった」


音無さんは自信ありげに胸を張り、椿さんも胸を張ろうとするも「この戦場では分が悪い」と小さく呟くやダンゴ制服のスカートを摘まみ上げて太ももを強調した。何やってんだろ。


「有能なダンゴのお二人ならご承知でしょうが……訓練校の学費が格安であったり、教科書や学用品が無料なのは多額の寄付のおかげです。男性愛護を謡うマサオ教にとって、ダンゴは支えてしかるべきもの。生活が苦しかろうと、切り詰めながら寄付するのがマサオ教徒の正しき姿と言えます。信徒たちも喜ぶでしょう、お二人のようなダンゴを輩出することが出来たのですから」


「ぐにゅむぅ。精神攻撃は基本という事か……クルポッポ、出来る」


「あたしの僅かばかりの良心を狙い撃つなんて……恐るべきスナイプ性能」


音無さんと椿さんが背を『くの字』に曲げて苦しんでいる。この二人を口で退けるとは、油断ならないぞクルッポー。自家製マサオ像で戯れ狂うだけの変態じゃなかったんだな。


マサオ教は、ぽえみの事件のせいで嫌なイメージがあったけど改善すべきかもしれない。

社会的弱者である男性の生活を守ろうと手広く活動しているようだし、俺の想像よりずっと奉仕的な組織のようだ。


あれ、マサオ教が衰退したら不知火群島国にとって大きなマイナスじゃないか?


「まくるさんよ、その辺にしちゃくれないかい。マサオ教からすれば、あたいらは目の上のたんこぶ……それは痛いほど伝わったさ。けどな、こっちにもメンツがあり、南無瀬領の治安維持のためにメンツは潰せない。言われっぱなしになれば相応の手段を取らなくちゃいけなくなるねぇ」


バイオレンスな香り漂う場を締めようと、南無瀬の領主にして組長の妙子さんが口を開いた。ドスのいた声には、性的ではなく生的にヒエッである。


「申し訳ありません、妙子殿。揶揄するつもりは無かったのですが……小生、自覚以上に焦っているようです」


相手が悪いと思ったのか、クルッポーは素直に頭を下げる。しかし、全身の強張りから憤っているのは見て取れた。


「『とある事情』の火付け役である南無瀬組が、他人事として振舞うのは面白くはないだろうねぇ。あたいの方で手助け出来ないか検討してみるよ」


「妙子姉さん! うちらに直接的な責任はないし、手助けって拓馬はんも駆り出されるんやろ。拓馬はんを追い詰めるのは看過出来へん!」


これまでの流れから『またオレ何かやっちゃいました?』案件かと疑っていたら、やっちゃっていたようだ。

真矢さんは俺にストレスが掛かるのを心配して、マサオ教から距離を置こうとしている。有り難いが……


「とりあえず『とある事情』について教えてください。そうしなきゃ議論が進みません」


「拓馬はん! そない首を突っ込まんでも」


「黒一点アイドル・タクマが人様に害を及ぼしているんなら、俺には知る義務があります。そして、自身を見直す必要があります。大丈夫ですって、真矢さん。こういうのは慣れていますから」


こういう胃をゴリゴリ削る感覚には……ね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る