【国際条約違反の予感】

この天道美里、一生の不覚だわ。


『親愛なるあなたへ』の撮影を終えたあたくしは、その高揚感のままにタクマ君を抱擁していました。

思い返してみると、やや常識から外れた行為だったかもしれません。


――その後、あたくしは彼のダンゴに絞め堕とされて……目が覚めると、タクマ君を含め南無瀬組の姿はありませんでした。


「南無瀬組からの言付けです。美里さんの意識が戻ったら、これを渡すようにと」


引きつった顔の監督が一通の茶封筒を渡してきます。なんなの、その腫れ物に触るような動き。

不満に思いながら茶封筒を受け取り、中を確認します。


『警告文』

出だしの文字を目にして、否応なく心臓が跳ね上がりました。


タクマ君への過度な接触は到底許されるものではない。今回だけは役に熱が入ってしまったため、と解釈して見逃してやる。しかし、次があれば社会的制裁を覚悟しろ――かい摘むと、そんな内容でした。


やってしまった。振り返ってみると、今日のあたくしはどこに出しても恥ずかしい痴女。こんな姿をマスコミに報道されれば、天道家のブランドは地に落ちて粉々になるでしょう。

祈里の事をどうこう言える資格はないわ。あたくし自身が、タクマ君に取り込まれるなんて……いえ、むしろタクマ君を天道家とあたくしの母体に取り込みたくなるなんて……はぁはぁ。


戒めなさい、天道美里!

タクマ君を天道家に婿入りさせるのは不可能。億が一、祈里が悪いものでも食べた影響で稀代の男タラシになってタクマ君を攻略したとしても、待ち受けるのは宗教団体や国家との争い。割に合わないわ!

『親愛なるあなたへ』を以て祈里、紅華、咲奈の野望を討ち、あの子たちには別の男性と次代を作ってもらうのよ。


母性汁が飛び散っていた脳内を洗浄し、あたくしは今一度決意を固めるのでした。




『親愛なるあなたへ』の編集作業は二日で終了しました。

監督と共に何度もチェックしましたが、素晴らしい出来栄えだわ。特に最後の母と息子の抱擁シーン。あまりの尊さに精神漂白され、魂が解脱するかと思いました。


はぁ、観れば観るほど勿体ない。

婿には出来ないけどタクマ君との関係は続けたいわね。祈里はしばらく子作りと子育てで家庭に入るから、代わりとしてあたくしが不知火群島国の芸能界に復帰しようかしら……意外とアリね。



パイロットフィルムの上映日。

あたくしは宿泊中のホテル御用達の高級送迎車で中御門家の敷地に入りました。広々とした庭を数分ドライブすると、上映場所の迎賓館が見えてきます。


「あら……あれは」

入口でジッとこちらを見ているのは――



「顔色が優れないわね、祈里」

運転手にドアを開けてもらい、優雅に車外へ出ます。


「お母様、今日はよろしくお願いしますわ」


式典用にドレスアップされた祈里は、我が娘ながら気品に溢れています。けれど、嫌だわ。親の仇を見る目で、親を見るなんて。ふふふ、余裕がなさそうね。


「気負い過ぎて、特注のドレスが泣いているわよ。芸能人なら如何なる時も外面に気を付けなさい……もっとも、近いうちに芸能活動を中断し、家庭に入ってもらうけど」


「そう冷笑するのも今のうちですわ!」


「自信があるようね。寸田川先生がおっしゃっていたけど、随分攻めた内容だそうで」


「史上例を見ない作品になりましたわ! 私やタクマさん、それに紅華と咲奈が作り上げた自慢の最終兵器! 甘く見ているとドッカンドッカン逝きますわよ!」


「は、はいっ?」

最終兵器? ドッカンドッカン? 突然場に相応しくない単語が飛び出て、あたくしは素っ頓狂な声を上げてしまいました。


「あ、あなた……どんな作品を作ったの?」


この前テレビ局の廊下で夢遊病患者になっていた寸田川先生も意味深なことをおっしゃっていたけど、本当になんなの? 物言いが国際条約違反の兵器みたいに聞こえるのだけど。


「それは観てからのお楽しみですわ。お母様の呆けた顔がどう歪むのか、今から胸が高まります」


あたくしを戸惑わせて多少留飲が下がったのか、祈里はドレスを爽やかになびかせターンし、迎賓館の中へ入って行こうとします……ですが、途中で振り返り。


「お母様、一つ尋ねたいことがあります。パイロットフィルムとは別の話です」


「なにかしら?」

祈里が浮かべている表情。それは芸能人としてでも、家長としてでもない――姉としてのものでした。


歌流羅かるらについてです。お母様の事ですから、歌流羅が今どこで何をしているのかご承知でしょう?」


この子ったら、衆人の中でプライバシーなことを……あたくしは周りに目を向けました。幸い、互いのチームスタッフはすでに会場入りしていますし、中御門家の使用人たちは空気を読んで離れています。

祈里の目は真剣で、回りくどい会話は望んでいません。だったら。


「天道家を出奔したとは言え、世間はあの子を天道家として見続けるでしょ? 歌流羅の現状は常に把握しているわ。ちょうど数日前に会ったけど、調子悪そうだったわね」


まさかタクマ君のダンゴに収まっているとは……どうやら出会いに作為はなかったようだけど、羨ましい限りだわ。その豪運とコネにあやかりたいと何度思ったことか。


「もし、歌流羅が天道家に戻りたいと言ったら……お母様は許してくれますか?」


「――なんですって?」


歌流羅に天道家帰還の意思は見えない。調査資料でも実際あたくしが観察しても同様の結論が出ていました。どうしてそんな質問を……?


「歌流羅の病気に関しては、お母様も知っていますわよね? アレが治ったとしたら帰って来るかもしれません」


「治る見込みはない、と以前耳にしたけど」


「以前は以前、今は今ですわ」


「――そう、タクマ君が関係しているのね」


「…………」


「沈黙は肯定と受け取るわよ」

以前と今で決定的に違うのは、あたくしたちの近くにタクマ君がいること。良くも悪くも世界を変革していく彼なら……医師が匙を投げたあの病気すらも消し去るかもしれないわね。


「歌流羅はあたくしが素直に敗北を受け入れた唯一の鬼才よ。一時的にスキャンダルのネタとして天道家の看板を傷つけるかもしれないけど、長期的視野になればあの子の復帰は天道家に恩恵をもたらすでしょう」


「復帰を認めてくださるのですわね?」


「子作りは紅華の後よ。しばらくは汚名返上のために芸能界でバンバン働いてもらうわ。それで良ければ」


「その言葉、忘れないでください」

踵を返し、今度こそ祈里は迎賓館の中に入って行きました。その背中は何か大きなものを背負っているように感じらます。


「ふ~ん。パイロットフィルム対決の裏で、あたくしの知らない一大事が起こっているようね」

面白いわ。すぐにでも部下に調べさせようかしら――と思案していると。


「話題に乗り遅れた美里様をお助けすべく、ただいま参上」


突然、背後からサプライズボイスが放たれました。


「あら、祈里たちのメイドね。お元気?」

あたくしは何でもないよう振り返ります。母親といい娘といい、天道家のメイドは背後から登場して主人を驚かせないと生きていけないの?


「……さすがは美里様。見事な受け流しでございます」

何でもない顔で言うメイドだけど、少し残念そうなのがあたくしの気を良くします。


ガチガチな使用人服で自分をコーディネートし、薄い化粧で地味さを演出して主人の影に徹する。あたくしのメイドと同じく、外見に文句はないのだけれど中身が……ね。


「それより歌流羅の情報を提供してくれるのかしら?」


「はい、祈里様は私にとって大事な主人。そのお母様もまた誠心誠意仕えさせていただきます」


「世辞は結構。見返りは何?」

メイド母娘に忠義心なんぞ期待していないわ。こ奴らは己の欲望を第一優先しますもの、信頼すればいつ寝首を掻かれるか。


「お話が早く、感謝の念に絶えません。情報提供料は会場への入室許可でございます」


そういうこと。

なぜメイドが迎賓館前にいるのか疑問でしたが、祈里から出禁を喰らっているのね。


「祈里様の作品は必ずや、会場を地獄に叩き落とすでしょう。まさに愉悦パラダイス! その光景をカメラに残せないようでは、私は天道家のメイドとして失格です」


「あなたの中の合格・失格の基準に異議を申したいわね。それにしても地獄……」

祈里の作品には危険なイメージが付いていたけど、地獄と例えるレベルとは。


「と、いうわけで是非とも私をお供に付けてくださいませ。そうすれば、歌流羅様のことを」


「んー、そのことですけど。気が変わったわ」


「は、はっ?」


「ああ、そこの貴方。ちょっといいかしら?」

メイドを無視して、あたくしは中御門家の使用人を呼びました。警備専門らしく、レディーススーツの上からでも見て取れる美丈婦ね。


「お客様、何か御用で?」


「このメイドなのだけど、暑さで頭をやられたらしくて。悪いけど医務室のベッドにでも縛り付けて」


「み、美里様!? そんなご無体な!」


「承知しました」

物わかりの良い使用人は瞬く間にメイドを拘束しました。素早く強い、中御門家に仕えるだけはあるわ。


「お目汚し、失礼しました」

短い謝意を述べ、使用人はメイドを脇に抱えて走り去って行きました。


「ちょちょ、美里さま! せめてこのカメラで撮影をっ!」


「どこの世界に主人の親にカメラ撮影を頼むメイドがいるのよ。医務室で少しは曲がった性根を治療しなさい」


まっ、無駄とは思うけど。まだ何か吠えるメイドをスルーしてあたくしは会場入りしました。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




パイロットフィルム対決の先攻は、あたくしとタクマ君による親子愛の傑作『親愛なるあなたへ』でした。

当たり前と言えば当たり前ですが、審査員からは激賞の反応を頂戴します。


ふっ、子を持つ親になれば、誰もがタクマ君の息子っぷりに母性ガンギマリになるわ。10歳にも満たない幼子だってこの作品を観れば、想像妊娠から始まり想像出産を経て想像育児までひとっ飛びね。



「では続きまして天道祈里様、並びに紅華様、咲奈様、拓馬様主演のパイロットフィルムを上映いたします」

由良様のお声で、あたくしは祈里の方を見ました。祈里の顔もこちらを向いていて、互いの視線がぶつかります。


審査員に脚本を配らないなんて、よっぽどストーリーの革新性に賭けているのね。

自分の人生を決める正念場での強気な一手。危なっかしさには前当主として文句を付けたいけど、そのエンターテイメント性は天道家の在り方に反していないわ。


足掻きなさい祈里! 全力をもってこの母の度肝を抜くことね!

あたくしの強気な笑みに対し、祈里が取った行動は……えっ?


両方の手のひらを合わせて、静かにお辞儀することでした。まるで墓前に花を手向けた後に行うような動き……

表情は迎賓館前と打って変わり、逝去した母へ捧げる憐憫の顔。

き、祈里、さん? あなたは……あたくしをどうするつもりなの……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る