【攻守完璧の母】

今でこそワールドワイドな役者と称され一目置かれるあたくしですが、幼い頃は母から厳しい演技指導を受けていました。

罵詈雑言でなじられ、教育と称した折檻を受けたこともあります。

その時は、ただただ苦痛だったのに……タクマ君からやられると身体が真逆の反応を示すのです。

男性から攻められるって、こんな感覚なの……それともタクマ君だから受ける新感覚? 夫婦の営みでは、いつもあたくしが攻めに回って夫を搾っていたので分かりません。



「カット! 美里さんもタクマ君ももまだ動きが固いわよ。多少脚本から外れてもいいから、もっと自然体でいきましょう!」


監督から指示が飛びます。

自然体……ダメよ、この感情を自然に出したら危険だわ!


「大丈夫ですか、美里さん! 俺、思いっきり手を叩いちゃって。すみませんでした!」


タクマ君がペコペコ頭を下げてきて可愛い限り。あたくしは「気にしていないわ」と言おうとしました――が、口から出たのは。


「叩くの大いに結構よ。むしろもっと叩くべきだわ」


「へっ?」

「あっ――つ、つまり愛していた母親を思わず叩くほど結婚を忌避している、と一目で分かるのよ。だから遠慮はいらないわ」


ポカンとするタクマ君にあたくしは言い訳をまくし立てました。


やっぱりおかしい! あたくしの意思とは別のナニかが生まれかかっている。いけないわ、何とか止めないと!


リテイク。

再び母と子の修羅場のシーンを撮り直します。

内なるあたくしの注文に従い、タクマ君は先ほどよりも強く手を出してきました。


どぅぐん! どぅぐん!

どぅぐん! どぅぐん!

どぅぐん! どぅぐん!


あっ、あっ、あっ……

あたくしが、あたくしの身体が、あたくしを構成する細胞が変質していく……こ、これ以上されたら。


「お母さんはそうやって世間体ばかり気にする! 僕の気持ちなんてこれっぽっちも考えずに! なんでだよ! 僕はお母さんと一緒にいたいだけなのに! お母さんなんて嫌い、嫌い、大っ嫌いだっ!!」


素晴らしいアドリブを加えながら、タクマ君が突き飛ばしてきます。

美丈夫な彼の力に負け、あたくしは背中から床に倒れこみました。


「がふっ」

受け身を疎かにしたため、久しく経験していない大きな痛みが全身を駆け巡り……それと一緒に。


どぅぐん! どぅぐん! どぅぐん! どぅぐん!

どぅぐん! どぅぐん! どぅぐん! どぅぐん!

どぅぐん! どぅぐん! どぅぐん! どぅぐん!


暴風雨の如き衝動が、あたくしの全細胞を呑み込んでいきます。


だ、だめぇぇぇぇぇ……タクマ君に遺伝子操作されちゃうぅぅぅ……身体がイケない細胞分裂しちゃうのおぉぉぉぉ……




★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




やり過ぎではなかろうか。

大の字に倒れた美里さんを見下ろしながら俺は冷や汗をかいた。


いくら演技とは言え、いくらムスコンを抑えるためとは言え、いくら彼女からの要望とは言え、こんなに酷い扱いをして良かったのだろうか。


ネガティブな感情を持て余しながら、とりあえずこのシーンを演じきったところで。


「カット!」

監督さんが撮影を止めて、未だ倒れている美里さんに詰め寄った。

「美里さん! あなたらしくないですよ、なにその表情! いろんな意味でNGよ」


監督が文句を言いたくなるのも分かる。

名役者の美里さんはNGをほとんど出さない人なのだが、今のシーンに関しては違和感が半端ない演技をしたのだ。


息子に手を叩かれた時も、押されて背中から床に倒れた時も、母親ならショックで悲壮な様子を見せるべきなのに。


「なぜこの場面で放送コードに引っかかる笑顔を!? どこの世界に息子に暴力を振るわれてアヘる母親がいるんですか!?」

監督の疑問はもっともで、美里さんの演技? は場に相応しくなさ過ぎる。


「いいえ、監督。あたくしの解釈は違いますわ」

ようやく立ち上がった美里さんは、緩んだ頬を正して監督と向き合った。


「あたくしが脚本を読み込んだ限りでは、愛息に傷つけられて悲しむのは間違っていますわ」

「なんですって?」


脚本家の寸田川先生は祈里さんチームに属しているので、ここにはいない。

正解を答える人物が不在のため、美里さんは好き勝手言いだした。


「母の立場になって考えてみましょう。優しかった息子が憤って暴力に訴えるのは、母との生活をこれからも続けていきたいという意思表示なのです。母親も本音を言えば息子とずっと暮らしていきたいはず。であれば息子が怒れば怒るほど、内心嬉しくなるのが母心ではないでしょうか?」

「ぬぐぅ……」

「その内心が、息子からの攻撃によって思わず表情に出てしまった……あたくしはそう解釈して演じたのです」

「ううむ、なるほど。深い」


監督を説き伏せてしまう美里さん。

はぇぇ、そんな思慮があってのアヘ顔だったのか。脚本の読み込み度合いが凄まじいぜ。


俺が感心していると。

「んなわけありませんよ。あれは自分の性癖を満たす事だけしか考えていないメス顔でした」

横に立った音無さんが小声で言う。


「いいっ? でも、美里さんの性癖ってムスコンですよね。ムスコンなら息子から攻撃されて満足なんですか?」

美里さんがムスコン覚醒をしないように、心を鬼にして反抗期を演じたのに。


「あと一回」

「っ?」

「あと一回、美里さんは娘より多く変態できたんです。どう見てもマゾってます」


なん……だとっ?

クウラの効き過ぎた部屋に入ったような悪寒。馬鹿な、性癖は一人一個ずつじゃないのか! ムスコンの他にマゾ持ちとか欲張りセットやめてくれ!


真矢さんもやって来て、冷静で残酷な分析をする。

「こらあかんな。甘くすればとムスコンが満たされ、乱暴に出ればMっ気が歓喜や。攻守完璧で隙がないで」


「むしろ隙だらけの好きだらけのような。三池さんがナニをやってもご褒美にしかなりませんね」


「じゃ、じゃあ俺はどうやって息子役をやれば……?」

迷い込んだ性癖の森から脱出すべく、真矢さんと音無さんのアドバイスを懇願する。


「難しいんやけど、ムスコンとMっ気センサーが反応せん中間を意識するんや」

「無味無臭じゃ棒演技になっちゃいますから、それも避けないといけませんね」


なにそれ? 難易度ハード過ぎてどう演じればいいか分からないんですけど……

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